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木村トシオ句集 つれづれの記⑲ 最終章Ⅰ

最終章  ありがとう、ありがとう  

我が人生 寄せては返す 波のごとくに
シーシェルの花のように 空にまっすぐ生きたや この私

見てもわからぬ写真の前で 見るは主治医の顔色ばかり
嫌だ、嫌だよ この命、ふいに途切れる人生は

崩れゆく はかない我が身 誰が知る

「いつ、この世を去っても良いよ」と言いながら、「死ぬのはいやだ」と だだこねる。人間の心って、なぜ弱い(入院時)
2012.08.09:orada:コメント(0)

木村トシオ句集 つれづれの記⑱未来への伝言Ⅱ

春には春の花 夏には夏の花 秋には秋の花 冬には冬の花が咲く
山には山の花 海には海の花 野には野の花が咲く

優しい思いやり 親切な言葉 美しい笑顔 これすべて人生の花
共に咲かせましょう。心の花を
2012.08.09:orada:コメント(0)

木村トシオ句集 つれづれの記⑯ 未来への伝言Ⅰ

第六章  未 来 へ   

言葉は即、民族である。美しい日本語、味のある方言は今どこに? 
もう一度見直してみませんか。日本の美 春夏秋冬 どこへやら(2007.10)

人間が山を崩し海を埋める。地球の美しい自然を、人間が破壊し、土砂崩れその他の汚染で罪もない動物、植物、そして人間までも破壊する。人間って何だろう、科学って何だろう
人間の我執による環境破壊 捨てましょう私心

地球上の動植物には嘘はない。唯一、嘘があるのは人間様だけだよネ、この私を含めて。人間そろそろ心の時代にもどる必要があるのじゃないか

2012.08.09:orada:コメント(0)

停車場を降りれば ⑪成田の財閥・佐々木家

  • 停車場を降りれば ⑪成田の財閥・佐々木家
 さてさて,成田街道を少し歩いていくと,大きな茅葺きの家が見えて来ます。佐々木家です。
 佐々木家の祖先は,もともとは新潟県新発田市の武将でした。それが,上杉景勝との戦いで敗れ,隣町の白鷹町の山間の部落に,身を伏せていました。その後,上杉家が米沢に威風される時代になり,昔の敵であったことも薄れた頃に,成田村に出てきたのだそうです。
 佐々木家は商才の才覚にあふれ,次第に頭角を現し,大いなる財閥になり,米沢の殿様が佐々木家に滞留する御本陣となり,資金の提供もするまでになりました。明治の時代になると,佐々木家の当主は貴族院議員ともなり,地域の殖産興業にも尽力したのだそうです。今は,その子孫は成田にはいませんが,その家は今でも歴史の重さを伝えているようです。
2012.08.09:orada:コメント(0):[停車場を降りれば]

停車場を降りれば ⑩弁慶の供養塔が

  • 停車場を降りれば ⑩弁慶の供養塔が
 さてさて,成田地区内に「弁慶の供養塔」という史跡があります。「えっ,弁慶がなぜ,長井に?」と思うでしょう。それじゃ,ちょっと教えますね。
 頼朝と対立し朝敵とされた源義経一行が,藤原秀衡を頼り,奥州平泉に向かう途中で,長井の成田村に立ち寄った。その家の娘に一目惚れをした弁慶が,娘に「必ず戻って来る。その時は,夫婦になってくれ。」と伝え,扇を残して行きました。 その後,弁慶が衣川館で自刃し果てたことを知った娘は,家の前に五重の供養塔を建立した。今も,その子孫の家には,扇が残っているそうです。
 ※信じられないでしょうが,扇の話は,本当なのですよ。

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2012.08.09:orada:コメント(0):[停車場を降りれば]