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成田駅前変な民俗学 1-⑥金太郎物語

 私の 最近の研究は、『金太郎物語』をどう読むかであります。桃太郎伝説と竹取物語を読まれた方は、お気づきだと思いますが、伝説や民話は妙にエロイのであります。そうであるならば、『金太郎』も同じ路線にあるはずだと思いませんか。私は、考えました。
 ポイントは、金太郎君がかついでいる『マサカリ』にあると、私は睨んだ。フロイトのリビドー理論によれば、マサカリ=男根であろう。とすれば、金太郎と熊さんは、ゲイの関係ではないだろうか。あるいは、21世紀におけるゲイの登場を予言した物語ではないであろうか。(そんなことはないかとは思いますが・・)
  まさか → まさかり → ま・さかり → カリカリ首

成田駅前変な民俗学 1-⑦因幡の白兎

ドンガバチョ風に,「みなしゃ~ん,山形鉄道の成田駅の次の駅を知ってだべが。答えは白兎駅ですねぇ」
 さてさて,日本国内で「白兎」という地名を持っているのは,2つしかないらしいのです。長井の白兎(しろうさぎ)と鳥取の白兎(はくと)です。長井の白兎の由来は,昔々,高僧が村に立ち寄った際に,沼の底で輝くものが見えて,拾い上げてみたら,観音様でした。その時,白兎が現れ,僧を誘って葉山に向かった。それが長井市葉山神社の縁起である。
 一方の因幡の白兎伝説の勝手な解釈に移ろう。白兎は,サメの背中を渡って,陸に着いたが,嘘をついたことをバラシテしまい,毛を抜かれる。その兎を救ったのが,大黒様である。サメは中国大陸と日本の間にある島々であろう。兎は,中国大陸から渡って来て,途中で難破した人々であったと思われる。彼らは,相当な技術を持った人達である。その人達を救ったのが大黒様と言う,当時その地方を統治していた種族であったはずである。出雲の国は,こうした技術者のもって,壮大な神社を作り,国家を造ったのである。こうした出雲の国を,情報戦などを駆使して,近畿の大和朝廷が滅ぼした。そうした歴史の真実を伝えるために「因幡の白兎伝説」語り継がれたのであろう。
 白兎は,確か中国でも,神の使いと言われていたはずである。こうした伝説を持った地名が,ここ長井にあること,羽前成田駅の次の駅名であることに誇りを持っても良いのではなかろうか。

成田駅前変な民俗学者? 1-⑤桃太郎物語

成田駅前変な民俗学者? 1-⑤桃太郎物語

 日本民族のDNAの第二話を続けよう。「昔々、お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。…・」で始まる桃太郎は、環境論と性教育と国際政治論からの視点が必要な物語である。
 お爺さんが、芝刈りに行った山は、今日的には「里山」における育林の重要性を描いているのである。お婆さんが洗濯に行った川は、「三尺下って水清し」と言われる、水環境問題への警鐘である。そして、この物語の最大の鍵は、「何故に桃でなければならかったのか」と言うことであります。
 お婆さんがモモを割って、生み出す場面は、まさしく性教育であると思いませんか?。この際どい話しを、父母でなく祖父母に語らせるところに、昔の人の気遣いを感じるのである。
 さらに、山の川で生まれた桃太郎が、川を下って海の鬼が島に行き、鬼退治を行います、これはまさに「山は海の恋人」であり、さらにはいわゆる拉致問題ではあるまいか。国際政治であり、鬼が島は尖閣諸島なのかも知れないがね・・・・。
 そして、犬と雉と猿の三人の友人が登場するところは、風水論によるものであるが、三人の友があれば事は成す。「三人寄れば文殊の智恵」「三本の矢」の故事そのものだと思いませんか。三人の仲間に出会えたのは、婆さん(祖先の人々)が作ってくれたキビ団子にありますね。
 そして海から山に上って、宝物を持ち帰るところは、親孝行であり祖先に感謝のの心です。また「故郷に錦を飾る」に通じるような気もするのである。 桃太郎伝説を、こんな風に読む事は実に面白い。桃太郎伝説は、男の子が主役の物語ですが、次回は、女の子を主役にしたかぐや姫伝説を考えてみたいと思います。どうぞお楽しみに。財宝を持ち帰るのである。
2013.01.26:orada:コメント(0)

羽前成田駅前変な民俗学者? 1-⑥竹取物語

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第五話 日本民族と竹取物語

 ちょっと前に、「かぐや姫」というフォークグループがいたのをご存知ですか。この「かぐや姫」の元の題名は、「竹取物語」なのです。竹取物語に最初に出てくるのは、竹林の中のお爺さんです。それは月の夜、お爺さんが竹林の中から光る竹を見て、その竹を切るところから物語は始まります。
 この物語の最初のポイントは、「月」です。女性と月とは切っても切れないものですよね。外国語のルナティックとは月の光の中に立つ女性の妖艶さを表現したものです。第2のポイントは、「竹」です。竹=節を持ったモノであり、私の記憶が正しければ,心理学で言う「リビドー(男性器)」を表現したものにほかなりません。
 物語の最後にかぐや姫は、お爺さんとお婆さんに別れを告げて月に帰ります。かぐや姫が舞い降りた使命は、多分、子供のいなかった二人に夢を与えることでなかったかと思います。この物語は、女の子が主役であるために、多少なまめかしくて、エッチぽいお話になった事をお許しください。
 互いに愛する夫婦にとって,子供を授かると言うことは,本当にありがたい事なのです。でも良くわからないのが,かぐや姫に振られた3人の男達ですね。勝手な思い込みですが,かぐや姫を好きになった男性が,お爺さんとお婆さんを好きになり,大事にしてくれたら,どうなったでしょうかね。もしかすると結婚できたもね。
 私事になりますが、年をとると、女の子はつくづく可愛いいなあと思います。私には、女の子がいなかったので、せめて孫は女の子がほしいなあと思う今日この頃です。
 
2013.01.26:orada:コメント(0)

卯の花姫物語 6-② 桂江母子、義家と再会す

桂江母子義家が陣中見舞い
 後三年の役の戦話しには色々面白いものが沢山ある義家が勇臣鎌倉の権五郎景正が十六歳初陣初戦の功名武勇伝の話や八幡太郎義家が智謀談の様に様々にあるが本文と直接関係のないのは く抜きにして推進するのである。今は竜城軍の総大将格武衡は成らば義家を怒らせて城近くにおびき寄せて狙い討ちに射取ってしまう様と又も一つはいつも義家とは前九年役以来からの恋の敵同士である。逆か怨みも以ておると両方であるので或時一計を して義家に対する非常に口きたない悪口を城の櫓の上から大音の名人の雑兵に千任と云う者がいたのを、聞くに耐えない程の口きたない悪口を城外に向かって罵しらしめたのであった其悪口の筋はこんなものであった。
 前九年の戦の時吾が父武則が助勢なくしては安倍の叛賊を追討する事が出来ない沙汰であったでしょう。其大恩の武則が息子の俺が生き残っておるのが一人であるのに向かって刃向かうとは恩を仇で返すとは情け知らずの大馬鹿者の汝義家のもの知らず恩知らず奴と云う筋のものであったが、義家果たして烈火の如くに怒ったのであったがそうだからとて又うかうかと武衡如き者の誘いの手に乗せられているような者ではなかったので武衡も手の施し様が無くかえって自分の方が心焦ら焦らしておるばかりであったのだ。
 或日の事であった義家が本陣の軍門を訪ねて受付の軍兵に向かって八幡殿の御内に高木新三郎家経様の御陣営を教えて頂きたいと云うのであった品の好い四十余りの女性で二十位の若い男子を供に従えたのであった。之即ち桂江と半三郎経春の二人であった事は云うまでもないことである。桂江此度八幡殿が陸奥守に赴任して多賀城に下向して来られたが偶々今度の合戦でしかも現在当国出羽に御出陣なされてなかなかの御難戦であると云う噂も風のたよりに聞こえるので定めし夫の家経様も殿に従い奉って来ておられるでありましょうと思ったので、これから行って夫に面会の上久さかた振りの積もる話をした上に八幡殿に御目通りをして亡き姫が最後の様子から御遺言の事迄を言上しらんとした陣中見舞いであったのだ。