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若者達へ ⑱松尾芭蕉とセミ論争

  • 若者達へ ⑱松尾芭蕉とセミ論争
 今日は4月17日、桜前線もすぐ近くまで来ていますが、4月19日と20日はは何の日かご存知ですか? 題名のとおり、松尾芭蕉の旅立ちの日なのですよ。
【奥の細道・日記】
4月19日 栃木県那須町の温泉神社に那須与一を偲び、殺生石を訪ねる。
 == 野を横に馬牽むけよほととぎす
4月20日 福島県白河市白河の関
 「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」

 ところで、松尾芭蕉の詠んだ「閑さや岩にしみ入蝉の声」の句で、「蝉論争」があったことをご存知かな。芭蕉が聞いたセミは、何セミであるか、昭和の初期に斎藤茂吉と芭蕉研究家の小宮豊隆との間で激しい論戦が繰り広げられたそうだ。結論的には、小宮氏のニイニイゼミが勝利したのですが、そんなことはどうでもよいのです。
 私が、若い皆さんに伝えたいのは、「セミの一生」についてなんですよ。セミは7年間も土の中で暮らし、外に出たと思ったら全力で鳴き、そして1週間でその生涯を終えるという、凄まじい生きかたをします。君たちの人生も、精一杯生きて欲しいのです。
【変なオジサンからの一句】:人生を 如何に生きるや 蝉しぐれ  頑張って生きてください!


長井の天・地・人とは・・・

  • 長井の天・地・人とは・・・
 さてさて、上杉謙信の悲しい『天・地・人』については、少しは分かってくれたかと思います。次は、長井の悲しい『天・地・人物語』を語ってみましょうか。
 松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったのだが、その当時の東北は「道の奥(みちのく)」であった。そんな東北が、脚光を浴びたのが、舟運による流通時代に突入した頃だ。しかし、山形県の奥の奥にある、長井市は「道の奥」であり「川の奥」にあった。まったく“地の利”がなかった訳だ。ところが、西村久左衛門が元禄7年(1694年)に黒滝開削をしてから、長井は上杉藩の貿易拠点として栄えた。ようやく“天の利”が来そうな時に、酒田辺りの商人が通行料の値上げ攻勢に出てきた訳だ。そのために、長井の商人たちは、新潟県村上市に直接陸送するために、西山新道を開設し、希望をつなごうとしたんだ。ところが、明治の世になって、官軍が新潟から攻めてくるとの噂が広がり、商人たちは自らの手で、西山新道を破壊しなければならなかった。まったく“天の利”もない。
 さらに時代はめぐり、鉄道の時代になった。長井に待望の鉄道ができたのが大正3年(1914年)。さらに昭和に入って、鉄道から自動車輸送の時代に入った。国鉄長井線は切り捨てられ、第三セクターとなった。時代は、国道や高速自動車道の時代になったが、長井にその“光”は今もって届いてはいない。“天の利”も“地の利”もないのだ。ならば、“人の和”はあるのだろうか?それが問題だ。
【写真】長井付近を走った小鵜飼舟

『天・地・人』って知ってるか?

  • 『天・地・人』って知ってるか?
 今から2年前ごろに、妻夫木君が主役を演じた直江兼続の大河ドラマを覚えていますか。脚本の原題は司馬遼太郎の「天・地・人」だったはずで、上杉謙信を主役にしたドラマでした。
 天・地・人というのは天の利、地の利、人の和があれば、事は成せるという意味なのです。上杉家が関東管領でありながら、京の室町将軍を助けるためには、越後は遠すぎた。地の利がなかった。
 さらに、上杉謙信が越後の内乱に奔走していた時に、織田勢の将・柴田勝家が北上して来た。魚津城の玉砕をあと三日待っていたら、本能寺の変があったのだ。天の利もなかったのだ。あったのは、愚直に生きた越後人気質の殿様と忠臣であった。これが、「阿弖流為(アテルイ)」と「八重の桜」の白虎隊の悲劇につながるのだ。そして、さらには松尾芭蕉の旅につながるのだ。もうすぐ、4月中旬になりますので、ヒントをあげましょかね・・・。
 
【奥の細道】
4月19日 栃木県那須町の温泉神社(那須 温泉神社)に那須与一を偲び、殺生石を 訪ねる。 == 野を横に馬牽むけよほととぎす

4月20日 福島県白河市白河の関
 「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」

4月28日 お花見会決定!

  • 4月28日 お花見会決定!
 玉置弘風に、「一週間のご無沙汰」でございました。1か月前までの雪がウソのように消えています。北国にもやっぱり春は来てくれます。そしてようやく、おらだの会のお花見会の日程が決まりましたのでお知らせいたします。

 ○期日  4月28日(日)
 ○日程  10時~ 会員集合、雪囲い外し等の環境整備
      11時~ おらだの会総会(形ばかりの?!)
      11時30分~ お花見会
 ○参加費 男性1,000円  女性500円 小人無料
      なお、成田駅で下りられた方は、無料です。
   置賜桜回廊でおいでの皆さんも、どうぞ遠慮なく参加してください。
   桜の下では皆で酒を飲まなければ、日本人じゃないべや。
    ⇒「変な民俗学者 1-③桜の花は・・・」参照

 【写真は一昨年のモッチー駅長を囲んでの花見風景です】
2013.04.06:orada:コメント(0):[成田駅イベント情報]

若者達へ ⑰鉄腕アトムと“夢”

  • 若者達へ ⑰鉄腕アトムと“夢”
 今の若い人達は、谷崎潤一郎原作の「白日夢」なんて知らないと思うよね。でも、鉄腕アトムは世代を超えて知っていますよね。アトムの誕生日には幾つかの説があるが、一般的には2003年4月7日が定説となっているようです。では、鉄腕アトムと“夢”の関係やこれ如何に・・・。
 鉄腕アトムは、当然ですが手塚治虫の漫画です。手塚プロの事務所は、高田馬場にあり、事務所の入り口にアトムの銅像が立っています。そのアトムの胸に『夢を形に』と刻まれています。アトムは、手塚治虫の夢を形にしたものだったという事でしょう。手塚治虫ファンは、全国に年代を超えてファンがいます。それはなぜか? 鉄腕アトムやジャングル大帝レオなどの作品は、手塚自身の夢を形にしたものです。その夢に感動しているのだろうと思います。
 しかしながら、形にするまでの過程は、煩悶の日々であったろうと思います。“ゆず”の「栄光の架け橋」の歌詞のように、逃げ出そうとした日々を乗り越えて来たのだと思います。若者達よ、楽して生きようとか、今は夢を持って生きるような時代じゃないよ、なんて冷めて生きるのがカッコよいのだ、などと思わないでほしい。努力しても成功しないかもしれない。夢があったとしても形にすることができないかもしれない。だけど、その道を歩み続けることが、“生きる”ということでないだろうか。学校教育で言う“生命輝く”ということでないだろうか。
 高田馬場に行く機会があったら、アトムの銅像をぜひ見てきてください(東京都新宿区高田馬場4-32-11)