さてさて、今まで桃太郎伝説や嫁姑戦争、ファミリーヒストリー、座敷童などを題材に“家”や“家族”について、思うことを綴ってきました。これらは基本的に「血が繋がっている」ことを前提としています。それでは、血が繋がっていなければ、家族は存在しないのか、ということを考えてみたいと思います。
『白雪姫』も継子である。「継母」という言葉からは、先妻の子をいじめる怖い母のイメージが浮かびます。こうした童話は世界共通にあるようです。「村田喜代子さんの世界を遊ぶ」というホームページから、考えてみたいと思います。(許可を得ず掲載することをお許しください。)
【村田喜代子さんの世界を遊ぶ】から
「白雪姫」(グリム童話の初版では実子だが第2版以降は継子となっている)のように最後は継子に勝たせる話が多い。西洋の凶暴な継母に対抗する継子も相当なもので、「白雪姫」のラストは王子とのハッピーエンドの結婚式で、継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて悶死するのである。やわでない狩猟民族の童話は、ときとして虐待された継子が継母以上の残酷な仕返しをするものだ。
これに較べると、日本の継子いじめの古典「落窪物語」や「住吉物語]では、幸せになった継子が積極的に継母へ復讐するような攻撃性はみられない。神仏の加護を得た娘たちはみずからの手を汚さなくても、天の懲罰によって継母は零落の途をたどるのだ。しかし独占欲の強い後妻にとって、継子は不純物である。こうした継母と生きる子供の人生は悲しいものであろう。
こんな世界は、今の日本にもあるのではなかろうか。現代的には、モンスターペアレンツや虐待ママ、ニグレクトママなどが浮かびます。でも不思議なのが 「ママ」と「継母」のいづれもが、“ママ & Mama”があることが不思議ですね。
若者達へ ⑭再び家族とは・・継母のこと
2013.03.24:orada:[変な民族学4巻 若者達へ]
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