黒獅子伝説『卯の花姫物語』 第7巻①時は下って

  • 黒獅子伝説『卯の花姫物語』 第7巻①時は下って
 
 【注】時代は下って、江戸の時代に『二人笠』と題した短歌の記録が残っている。第7巻は、そうした後世からの物語を伝えたい。上の写真は、卯の花城があったと言い伝えられている場所である。現在は、全国で2番目に古い建物である「西置賜郡役所」が残っている場所である。

二人笠の壱
 卯花城が現在の郡役所跡の場所にあったとすれば、今の新しい十日町郵便局の西方一帯は今も相当の高台の地点である。カク大裏の堀は南面の堀で、西にも当然堀が巡っておったでしょう。さらに彼北の窪地は北面の堀で、東の低地体は彼当時最上川の本流が接近しておったのを東堀に当てた、小規模乍ら非常な要害堅固の名城であったでありましょう。
 松川の流れが近かった証拠としては、馬頭観音様の御詠歌にする様に、十番宮村「夜もすがら月を見上げておがむなり。沖の川瀬に立つは白」。あれは現在の様に松川が遠くて長井橋鉄橋のあたりの波立つ様相を読んだのではない。観音様に程近い処にじわじわと白波が押し寄せくる光景をさしてよんだことは云う迄もないことでありましょう。
 前述城の北掘らしい窪地があると云うた。其又北向かいに、更に今一段の高台の地点があって、昔の人は其地名を盲(メク)ら公方(クボウ)と云うていたのである。いつ頃かははっきりしないが旧墓地である。古い桜の大木があって有名である。今も毎春美しい花が爛漫と咲いて数多の人を喜ばせておる。処が其盲ら公方と云う地名が問題である。私の考察では、南の藩の倉庫に対して云うた「御倉窪」を「盲ら公方」と呼び違えられたのが、其のまま呼び伝えられたじゃないかと想像するものである。
 いずれとしても今更千年の後。本当の所を探究して見た処でわかりっこはない。想像推定より仕方がないのである。何人と雖も己が陣営とするに要害の地を選んでおるのは人情である。彼周辺には今の遍照寺の境内なども地形から見ても小規模の陣営には最も好適の処である。いずれとしても其確実のことは判らないのである。
但し昔、吾が置賜の人士は卯花姫や卯花城に就いては、非常に関心が深かった事ことだけが間違いのない事実であったのだ。
 以下二つ笠の本の中から、卯花城に関係した句を抜粋したものを原文のままを次に揚げて其の証左とするものである。
2013.01.27:orada:[『卯の花姫物語』 第7巻]

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