清原一門内訌の説明ノ一
清原家に内訌などがなぜ起こったかの原因から書いてみるとこうである。原因は数々あるが、主なるものだけを挙げて見ると、一門の中に不平分子がいた事。第一に斑目四郎武忠が、卯花姫に対して醜名を馳せた事に就いては彼の通りであったから省略する。が彼は元来の吾が儘者で、其身に勝った欲を望んで成就しないのが当たり前な事が成らないのを恨んで他を憎む気性であるからろくなことが起きないのである。卯花姫に関した事ばかりではない。父が貰った千人一人の美人を、兄武貞が処にやられたのにも怒らんだが、まさか口に出して争う事が出来ないので心中只だ焦ら焦らであった。
父が死んだり二代目の兄が死んだりの三代相続の度毎に自分が家を起こした武則と云う初代の愛子であると云うので相続の野心満々であったが、如何に野心があっても末子か愛子であったと云うだけでは相続を表て立って争うと云う理由はなさないので其都度兄や甥を らんで心中 々の焦り方をすると云う。成らないのがあたり前なのか思う通りにいかないのを怨んで 々とやせる身の程知らないうつけ者であったから始末におえない者であったのだ。
それから清原家にもう一人、丁度、武忠を縮図にしたような者がいたのに家衞と云う者であった。これは武忠が長兄武貞が千人に一人の美人であると云う女性を戦功で賜ったと云う。其の女の腹から翌年生まれた武忠が甥で、三代実衞が異母弟と共に又其女性が連れ子である藤原清衞には異父弟であった。此家衞も二代武貞が若い美人の女房が生んだ末子と云うので父が寵愛無二であったので、叔父武忠と非常な意気統合の間柄せとなって三代の異父実衞に反目の中となっておると云う。其の様に当時の戦争に敗戦がわの女性を戦利品として有功の将士え分かち与うる習慣は、今世の人には考えられない非人道のことであるが、当時としてはそれを以って普通の事として怪しまぬ事は事実であったから驚くの外ないのである。
又藤原清衞も母の連れ子で、成人したので兎角く折り合いが主将の実衞には反目の中であったのである。そうした中にも三代実衞は一門の主権者の君主である以上は君は君、たとえ一門中の年長古老といえども臣は臣として臣礼を尽くして仕るのが普通とした当時であるから武忠実衞等のような存在は平和を以って通す難きとするものであったと云うもの 清原家に内訌などがなぜ起こったかの原因から書いてみるとこうである。原因は数々あるが種なるものだけを挙げて見ると一門の中に不平分子がいた事第一に斑目四郎武忠卯花姫に対して醜名を馳せた事に就いては彼の通りであったから省略するが彼は元来の吾が 者で其身に勝った欲を望んで成就しないのが当たり前な事が成らないのを恨んで他を憎む気性であるからろくなことが起きないのである。卯花姫に関した事ばかりではない。父が貰った千人一人の美人を兄武貞が処にやられたのにも怒らんだが、まさか口に出して争う事が出来ないので心中只だ焦ら焦らであった。
父が死んだり二代目の兄が死んだりの三代相続の度毎に自分が家を起こした武則と云う初代の愛子であると云うので相続の野心満々であったが、如何に野心があっても末子か愛子であったと云うだけでは相続を表て立って争うと云う理由はなさないので其都度兄や甥を らんで心中 々の焦り方をすると云う。成らないのがあたり前なのか思う通りにいかないのを怨んで 々とやせる身の程知らないうつけ者であったから始末におえない者であったのだ。
それから清原家にもう一人丁度武忠を縮図にしたような者がいたのに家衞と云う者であった。これは武忠が長兄武貞が千人に一人の美人であると云う女性を戦功で賜ったと云う女の腹から翌年生まれた武忠が甥で、三代実衞が異母弟と共に又其女性が連れ子である藤原清衞には異父弟であった。此家衞も二代武貞が若い美人の女房が生んだ末子と云うので父が寵愛無二であったので、叔父武忠と非常な意気統合の間柄せとなって三代の異父実衞に反目の中となっておると云う。其の様に当時の戦争に敗戦がわの女性を戦利品として有功の将士え分かち与うる習慣は、今世の人には考えられない非人道のことであるが、当時としてはそれを以って普通の事として怪しまぬ事は事実であったから驚くの外ないのである。
又藤原清衞も母の連れ子で、成人したので兎角く折り合いが主将の実衞には反目の中であったのである。そうした中にも三代実衞は一門の主権者の君主である以上は君は君、たとえ一門中の年長古老といえども臣は臣として臣礼を尽くして仕るのが普通とした当時であるから武忠実衞等のような存在は平和を以って通す難きとするものであったと云うもの
卯の花姫物語 5-⑧ 清原一門 内訌の壱
2013.01.23:orada:[『卯の花姫物語』 第5巻]
この記事へのコメントはこちら