牙城の落城 姫が最後
愈々来たった時正に、康平六年八月一日の早天である。武忠が卒いる二百余人の軍勢は、宮村の屯営を出発。草岡村から前山を登って牙城の背面を突かんとするの行動である。
兵を魚鱗(後世の縦隊行進のこと)に備えて進軍した。えいえい声で登っていった。愈々、山の登り上げの処で昼の兵糧をつかわせて、午後の三時迄で休息の時間を与えて、兵気を十分に養しなった。
更にそこを立って進軍。午後の四時過ぎ頃に、牙城の背面の手前に到着した。暫く兵を休めて、愈々矢頃の処で、兵を鶴翼の隊形にかえて陣鉦をじゃんじゃん攻め、太鼓をどん々どん々と打ち鳴らして、一斉に鬨の声をどっと揚げて攻撃体勢を示してやった。が、城中ひっそり閑んとして一向に応戦の気配が更になかったのである。(註鶴翼の陣形と云うのは後世の横隊のこと)
武忠は又しても姫が何をしての計略かと思ったから恐ろしくなった。油断して不覚をとるなと云うて用心をし。た密偵を放ってとくと城内をうかがわせたら、しばらくして帰った。密偵の兵が報告には、城中只の今迄でも人がいた跡の様子であるが、人っ子一人もいない。もぬけの空らと云う有様であるとのこと。
武忠二度びっくりの仰天で、いや又逃げられたかとあっけにとられて開いた口が塞がらない思いで立っておると、こはそも如何に程もあらせず、山の酉に当る中腹頃から、もろもろと立ちのぼる只一条のノロシが天に伸して上がって来たから武忠は、あぁと云うて二度たまげを三度した様な思いになった。こは又姫が何を計ったかと益々薄気味悪くなって又も密偵をやって、ノロシの上がった処を探らせて見たら、只今火をたいた跡らしい処があるばかりで人っ子一人おらないと云う報告であったのである。
こりゃ皆姫が智謀の計略で、武忠に冷や汗せ流した恐れを与えておいて、十分に手間のかかる時間を費やさせておる内に、自分は愈々と自殺をして死んでしまう計り事であったと云うことである。
姫が考えでは敵の声が聞こえる時から、死の支度にかかってよいと思って其間の時間がかかる様にとの計らいであったのだ。
(愈々、本文主要の人物が最後の段階にと到着したのである。今、其の卯花姫が悲恋の身を沈めた処と云われておる現場を調査して見れば、即ち三淵明神奥の院と称されておる処の深淵は、濃緑の水をたたえて静まりかえっておるが、その上下の渓流の水は白いキバをむいてゴウゴウと岩をかんで流れておる。その様相は全くものすごい絶景である。)
卯の花姫物語 4-⑩ 姫が最後
2013.01.13:orada:[『卯の花姫物語』 第4巻 ]
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