桂江牙城を脱出した
つづいて姫は古寺から家来として付けて貰った定七を呼んで来た。改めて此人を今から御身が家来として付いて行って貰うから、此人は御上人様が見込んで下さった通りに間違いない無双の忠心正直の人物である。其上慈の朝日山系の中ならばどんな処でも,此人の知らない処がないと云う山人である。
世が静まる迄は,どうしても奥山に身を隠すよりないと思うと云うて、更に沢山の砂金の包みを与えて、此黄金は今は己に吾身にあって用なきものである。御身達ちが持って行って,これから身を立てる用にしてくれと定七に持たせた。名残り尽きせぬ事ではあるが、夜が明けては兎角く都合が悪い。今から直ぐに立ち退く様に云うてうながした。
云う迄もない武忠が総攻撃は,味方の密偵によって知っていた。八月一日との事である。其日を以て吾が命日と考えてくれと云うたのである。桂江泣く泣く、定七と共に身重も四つ月にならんとした腹をかかえて暗にまぎれて牙城を脱出奥山深く落ちて行ったのである。
姫は,亡き後の使命を果たしてくれるのは,共に死んでくれる百倍勝さって嬉しい忠義であると云うて,桂江を落としてやった。姫は、今はこの世に思いおく事がないと安緒の胸を撫でおろした。今度こそは奇手の軍勢押し寄せ来たならば、たとえ敵兵と云えども,此上無益の人命は一兵たりとも損んぜずに,我が身が死んで終う可きであると覚悟をしておったのである。味方の人数も出来るだけ犠牲者を少なくと考え,衣川から従えて来た男人夫と、里人からの応募兵の人達すべからく去らしめんとした。残りの黄金を分ち与えて,御身達は野川向かいの山陰に隠れて吾身の最後を見届けてから落ちうせてくれと云い渡して去らしめた。愈々最後を姫と共にせんと願う女兵五人と吾身と六人で牙城を引き払ってもぬけの空らとした。そして野川の上流の 谷千尋んの深淵たる絶壁の上に陣取って,討手の軍勢今や来れと待ち構えていた。(この現場は三淵明神奥の院と称しておる処である。)
卯の花姫物語 4-⑨ 桂江牙城を脱出
2013.01.09:orada:[『卯の花姫物語』 第4巻 ]
この記事へのコメントはこちら