卯の花姫物語 2-⑧ 源義家の人物

義家の人物

 そこで義家は件の大弓を法皇が御枕元に御供え申し上げて置いたれば、翌朝迄でゆったりと御安眠なされたと云う事である。
 後で法皇が義家を御召しになって御座所近くに御呼びなされた。そちが弓矢の徳は名医妙薬にもまさる効き目であったぞよと仰せられた。義家畏って、いささかなりと御用に足りましたる段身に余る光栄と存じますると申し上げた。法皇重ねて、あれなる霊弓は奥州の徒戦に於いてそちがみずから手に執った弓であったろうがのう・・・と御問いになった。御言葉かたじけのう存じますが、臣義家一向に記憶が御座いませぬと申し上げたと云う事である。
 まことにあっさりとしたものである。まあ・・どの弓で御座いましたかのうと云う意味のものである。普通の人であったならばそこで其の弓にちなんだ戦話で、もしそうなものであると思う。然かし又彼は彼れたるの価値はそれでこそである。謙譲の美徳を具備した名将であるとは其のことである。
 以上の様に、白河法皇が御悩を弓弦を鳴らして止めたと云う事は御目出度い、好い事であつたと云う吉例となって後世に伝えられ、凡て御目出度い時の儀式に鳴弦の法と云う一つの形式行事となって今でも行われておるのである。白河法皇が非常な愛臣であったと云う御信任である上は、皇室から下は津々浦々に至る迄で義家崇拝熱が非常に盛んなものであつた。八幡殿と云えば三尺の童子も軍の神様と云う事を知っていたと云われたものであった。
 以上、義家が人となり全体の概要であるが、其のように万人から好かれる義家が人柄を、姫は最初から見通して深く惚れ込んだのである。今更、斑目四郎が女房にやるために諦めろなんて云われた処で、たとえどんな事情があってだろうがなかろうがを問わず、姫が承知されなかった事などは当たり前などが通り過ぎて、涙で同情を注がないではいられない程可哀想な事であったのだ。いわんやそれに加えるに義家の方から、現在でさえ北上川の河の流れが逆さに流れるとも俺が心に変わりがない意味の手紙を貰っている姫が身に於いておやであったのだ。最も義家が方でも、姫が人物の優れているのに見込みをつけておったので、あくまで愛を注いで止まなかったのである。今では貞任も姫が心をひるがえす事が能はないのが判つきり解ったが、そうだからとて其の旨判っきり封切ってはやられない。と共に又姫を古寺の山中に隠しておいた事も知れない様にしておる。
2013.01.01:orada:[『卯の花姫物語』 第2巻 ]

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