頼義父子死地を脱出
愈々からだは綿の如くに疲れ果て、矢種も既に尽き果てて終わった。吹雪はひうひうと吹いてくる。このうえ敵の追撃が果てしなく長追いをかけられる上には、髪切り丸の宝剣にもの云わせて、群がりかかる敵兵を切って切って切りまくり、父を逃がして我が身はこの場に打ち死を遂げんと覚悟を極めて、彼方を睨んでおった。 丁度その時であった。入れ替わり立ち代わり追いかけ迫ってくる敵の追撃隊が、またも先き手に代わらんと呼ばり乍ら進み来た新ら手の一隊其勢僅か三十騎にもたらぬ小勢であったが、率いる隊長の武者はそれ者打て打て、と烈しい号令のもとに差しめ引きつめ切って放つその矢はばらばらと射かけてくるが、不思議なこともあるものであった。其の矢は頭上遥かに飛び散るばかりであったのだ。
義家乙は又いぶかしやとやおら彼方をきっと見渡した。其の隊長の武者は、年は二十才にも足らぬ花にもまごう美少年で卯の花おどしの大鎧、金鍬形の前立てに竜頭の兜を冠って連銭草毛の駒に金覆輪の鞍置いて、白と紫を染め分けの手網をかいくり南ばん鉄の鐙を踏ん張り馬上豊かに悠然と打ちまたがった。武者振り優美の青年将校であった。馬上乍らの大音声にああ・・いや敵の御将軍にそもぢ乍らも一矢参らせんと云うかと見る間もあらばこそ、風を切って飛んでくる矢文みを結んだ一本の矢が義家が足元近くにぶつりとばかりに突き刺さった。取る手も遅しと抜き取って開いてみれば、正しく姫が筆跡である。
「戦場の走り書き恐れ入り候。今日は一時も早く落ち延びの程、御願いに候。委細、家経様に申し上げ置候。ただ今直ぐにも、君の御そばへ飛んでも参りたく候へども、ままにならぬ浮世で之有り候。御察しの程御願い申し上げ候
天喜五年十二月三日
弊女卯花 恐惶謹言
恋しき殿御の八幡殿へ 」
読み終わった義家は、深く姫が厚志を謝しつつ、後とをも見ずに一散走りに山を下って来た頼義が一行に追いついて、一緒にやがて二町程を下って、道が二またに分かれた処があったので、今は敵兵も追い来る者も無かったから、主従の一行もどちらを下ってよい道かと暫し迷っておった程度のその時であった。右道の下の方からとぼとぼと上ってくる、蓑笠に身を固め小刀一本差した百姓体いの男がいた。義家早速其の男に道案内を聞かんとして呼び止め言葉をかけた。
卯の花姫物語 2-⑤ 頼義父子死地を脱出
2013.01.01:orada:[『卯の花姫物語』 第2巻 ]
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