姫と義家が恋愛愈々深し
これ迄の仲となると若い者同士と云う者は、あたりかまわぬ様な振舞に迄なるものである。義家は毎晩、姫が病気見舞いに通う様になった。少しでも足が遠くなると姫の方で桂江を遣わして、家経が許を訪れさせて、「姫が苦しいから早く来て貰いたい。」と云う催促の使いである。義家が駆けつけて行くと、直ぐに苦しみは癒ってぴんぴんとなって、夜行けばみっしりおさえて翌朝迄帰さないと云う始末。ひどい病気もあったものだし。なんぼ押さえられたからとて、次の日迄、泊まり込んでいるとは、非道い御医者もいたものである。
其の噂が世間に広まらないでいよう筈がなかった。噂はこんな事になって広まった。「お~い君々、聞いたかい。安倍家の姫で奥州一の美人が、病気で行かれなくて泊まっておったのに、八幡殿が病気見舞いにさえ行かれると直ぐに苦しみが癒ってしまう。御足が少しでも遠くなると直ぐに苦しみ出す。いつも御医者迎えが走る。何でも其の特別な御医者様が駆けつけて注射さえしてくれると直ぐ癒えると云う病気だそうであると云う。あ~~~っと、如何にお偉い人達だとてその道ばかりは変わりがないものよう。あはは・・・。」と云う巻説ふんふんとして伝わった。
其の有り様では将軍頼義が耳にも入らない訳にはいかなかったようである。重臣からの言上によって知った頼義は、元来深謀遠慮の賢者であったのでつくづく考えた末に、若い者同志と云う者は仕様のないものである。然し乍ら安倍貞任が姫は、人物が優れておることは兼々聞いておったので、吾家の嫁としても不足はない女であるが、一旦彼の家は朝敵となって未だ日が浅い今日である。それを今直ぐに源氏正統の義家が正室として発表すると云う事は出来ない事である。さりとて、それ程本人同志が熱望しておる事を直ぐに破棄して終わると云う事も良い事ではない。いずれ国司陸奥守の任期が満了して、京に帰ってから時節を見て正式に発表するから、当分の間余り人の噂に上るような振る舞いを謹む様に、と云う温情のこもった注意であった。
其の旨を重臣を通して義家が許えと申し渡したのである。義家父が温情こもった申し渡しに感銘、肝にめいじて有り難く謹んで御受けをしたのである。
卯の花姫物語 ⑫姫と義家の恋愛
2012.12.31:orada:[『卯の花姫物語』 第壱巻]
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