奥州国司満期の年
愈々天喜四年(西暦1056年)の年こそは姫が待ちに待ち兼ねておった。前記の望みなどがなかったならば、之れ迄で別れてなどはおられない仲であったのだ。恋しい恋しい八幡殿が京へお帰りになる年。そのうえで、改めて迎えの使者を御遣し下さる可くの固い々お約束の仲である、と思い廻せばまわす程、我が身の前途は希望に輝く。世にも稀れなる高徳の君子八幡殿が正室と恵まれて、愉しい此の世が送られると思えば思うほど、此の世に女と生まれた甲斐があると、春から秋へと一足飛びにもなれかし思いで暮らしておった。
しかし其の秋のことであったのだ。奥州多賀の城下に一大凶変が茫然とした。即ち今世にまでも有名な『奥州前九年の役』と称しておる大戦乱の導火線が発火したのである。此故によって折角、姫が愉しい思いで前途に望みをかけておった其の望みと奥州の仕官が頼義将軍が善政の治下に於いて、泰平鼓腹の生活の喜びと併せて木葉微塵に粉砕して終うと云うことになるのである。それは又次の様な次第であったのだ。
茲に頼義将軍が幕下の部将に藤原光貞と云う人がおった。其の館へ或晩突然、闇に乗じて夜襲を仕掛けた。何者の仕業とも判らなかった。味方が必死の防戦によって追い払ったので、味方に死傷者が極く僅かしか出なかったのは幸いであったが散々に暴れ廻って引き上げた。厳重なる調べの結果、其の犯人は計らずも安倍貞任が仕業であると云う事が判明した。それは又、女故の事からであったのは誠に遺憾の至りである。
藤原光貞が娘に非常な美人の女がおったのに、貞任が恋慕して自分が妻に貰いたいと云うて様々に手を尽くして見たが、光貞が承知しなかった。と云うのは今こそ源氏に従って家来になってはおるが、元を洗って見れば朝敵であった。たとえ金があっても力があっても、家柄が悪いから吾が家の娘をやる訳にはいかないと云うて承知しなかった。貞任は癪にさわって、今に見ておれ復讐をしてくれるからと思って其隙を狙っていた。しかし今度愈々此地を引き上げて京に帰って終う、と云うのでは仇を返す機会がなくなると思って、鬱憤晴らしにやったのであると云う事が判ったのである。
卯の花姫物語 第壱巻はこれを持って終了。いよいよ戦乱の世が始まる。第弐巻をお楽しみに!!
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