朝敵征伐の大軍京を出発
頼義即座に、「御意の如く、頼綱がそれだけの自信ある力があるならば、向こうは吾家の本家嫡統であるから、自分は彼に喜んで大将軍の権利を渡します。」と、きっぱり答えた。
そこで改めて、此度奥州征伐の大将軍に御下賜品として、必用の旨による伝家の宝刀を朝廷に献納する様に、と云う勅命が頼綱が許に降下された。それがいやなら汝が行って奥州の賊徒を追討してくるか、と云う意味の命令であったから驚いたのは頼綱であった。勅命に逆むけば偉勅の大罪人として取り扱われる。口惜うて仕様ないが、謹んで御受けをしたが、仲々献上の実行が遅れた。さりとて自分には智仁勇三徳兼備の大将たるの実力あるとは考えられない。
御上からは再三再四の勅諚である、刀が惜しいならば汝が追討の任にあたるがよい、今や国家火急の一大事に大切なる宝刀をいたずらに因循するとは何事だと云う厳重な催促である。遂々諦めて献納した。改めて頼義に御下賜になったのである。これ以来頼義義家の系統は晴れて源氏の正統となったのである。
茲で愈々奥州征伐の官軍は大軍をもって出発進軍の場面と云う処であるが、軍の勢揃いの様相、将軍幕下の将校級の姓名、顔触れ、等々を悉く詳述するには相当の長文を要する。其上そうしたことは他の歴史の諸書に依って世上周知の通りである。該小説は卯花姫恋愛物語りが専らの主体である。本文に直結のことを詳述することを要旨とした進め方にしたいので、戦争軍記の方は極く筋書程度に省略する事をおことわりしておく次第である。
安倍の一族追討の大将鎮守府将軍兼陸奥守源朝臣頼義、同副将軍嫡男八幡太郎源義家が率いる猛将勇卒の大軍は、永承七年六月七日京を出発。威風堂々と進軍の途についたのである。
此噂を聞いた諸国の軍勢は、吾れも俺もと東海、東山、北陸の三道から駆せ集まって参軍したので、雲霞の如き大軍となって刻々追ってくるの報告が、次から次へと安倍が本拠衣川の城へと伝わって行った。流石の賊魁安倍の頼時も奥州にいて、文官出の国司が官軍などこそを打ち負かして威張っては見たものの、源氏の大将父子が天下の大軍を率いてくると聞いては、全く怖気がさしてきたのであろう。
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