記述の順序
此物語りは、郷土としては一番の大物語りでありましょう。何は扨て奥州前九年の役と云う大戦乱に纏りついた事に終始したのであるから事は仰山である。其上此物語りは一種変わっている。と云うのは賊軍の大将の長女と、征討大将軍の嫡男との恋愛物語りと云う変り種のものである。
記述の順序として奥州前九年の役が起こった奥州や其関係の隣国出羽の国と云う処は日本全国にたいしてどう云う程度の価値で、京都朝廷からどの程度に重要視されておった処であったかを判っきりしておかないとあんな大戦乱がなぜ起こったか、又それを平定するに、あの様に長い歳月を費やしてようやく平げ得たと云う事を解るに都合が悪い。もう一つは安倍氏の様な大豪族がどうして起こったか、又彼らが日常の生活状態はどうであったかも明らかにしておかないと、愈々本物語りの際に其真相を掴むにも不都合であろう。
よって順序を奥羽二カ国の状態を最先きに書いて、次に此地の豪族安倍氏や清原氏等の存在を記して更に本文の物語りに移るを以て順序とするのである。彼の当時の奥羽二カ国を日本全国が六十余州だから其のうちの二カ国で大きな方であるから六十分の五か六位の勢力の価値だろうと考えたならば甚だしい間違いである。彼の当時の奥羽二州の力の価値と云うものはとんでもない事であった。ある意味からではあるが、驚くなかれ日本の半分の力にも該当する価値のある処であったのである。
其次第は又次の様なものである。此の当時仮に京都政府へ出羽、奥州から年々送られる献馬、貢金がぴったり行かなくなったとしたならば、京都の朝廷が存在していられないと云う唯一の収入であったと云うことである。
これは文政頃出た本であるが(日本全国石高一覧表)と云う書物がある。これに拠ると最も石高からの価値を云うのであるが、陸奥は百七十二万四千石、出羽は八十七万石で併せて二百五十九万四千石と云うことになる。全国総石高二千二百五十万石に対する一割強の場所であると云うことであった。これは江戸末期の調べであるが其広範の程度は以前から同じであったろう。そんな処を自由に支配して動かす様な豪の者に叛かれた京都の政府がたまったものではなかったでしょう。
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