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卯の花姫物語 4-⑩ 姫が最後

牙城の落城 姫が最後
 愈々来たった時正に、康平六年八月一日の早天である。武忠が卒いる二百余人の軍勢は、宮村の屯営を出発。草岡村から前山を登って牙城の背面を突かんとするの行動である。
 兵を魚鱗(後世の縦隊行進のこと)に備えて進軍した。えいえい声で登っていった。愈々、山の登り上げの処で昼の兵糧をつかわせて、午後の三時迄で休息の時間を与えて、兵気を十分に養しなった。
 更にそこを立って進軍。午後の四時過ぎ頃に、牙城の背面の手前に到着した。暫く兵を休めて、愈々矢頃の処で、兵を鶴翼の隊形にかえて陣鉦をじゃんじゃん攻め、太鼓をどん々どん々と打ち鳴らして、一斉に鬨の声をどっと揚げて攻撃体勢を示してやった。が、城中ひっそり閑んとして一向に応戦の気配が更になかったのである。(註鶴翼の陣形と云うのは後世の横隊のこと)
 武忠は又しても姫が何をしての計略かと思ったから恐ろしくなった。油断して不覚をとるなと云うて用心をし。た密偵を放ってとくと城内をうかがわせたら、しばらくして帰った。密偵の兵が報告には、城中只の今迄でも人がいた跡の様子であるが、人っ子一人もいない。もぬけの空らと云う有様であるとのこと。
 武忠二度びっくりの仰天で、いや又逃げられたかとあっけにとられて開いた口が塞がらない思いで立っておると、こはそも如何に程もあらせず、山の酉に当る中腹頃から、もろもろと立ちのぼる只一条のノロシが天に伸して上がって来たから武忠は、あぁと云うて二度たまげを三度した様な思いになった。こは又姫が何を計ったかと益々薄気味悪くなって又も密偵をやって、ノロシの上がった処を探らせて見たら、只今火をたいた跡らしい処があるばかりで人っ子一人おらないと云う報告であったのである。
 こりゃ皆姫が智謀の計略で、武忠に冷や汗せ流した恐れを与えておいて、十分に手間のかかる時間を費やさせておる内に、自分は愈々と自殺をして死んでしまう計り事であったと云うことである。
 姫が考えでは敵の声が聞こえる時から、死の支度にかかってよいと思って其間の時間がかかる様にとの計らいであったのだ。
 (愈々、本文主要の人物が最後の段階にと到着したのである。今、其の卯花姫が悲恋の身を沈めた処と云われておる現場を調査して見れば、即ち三淵明神奥の院と称されておる処の深淵は、濃緑の水をたたえて静まりかえっておるが、その上下の渓流の水は白いキバをむいてゴウゴウと岩をかんで流れておる。その様相は全くものすごい絶景である。)

卯の花姫物語 4-⑨ 桂江牙城を脱出

桂江牙城を脱出した
 つづいて姫は古寺から家来として付けて貰った定七を呼んで来た。改めて此人を今から御身が家来として付いて行って貰うから、此人は御上人様が見込んで下さった通りに間違いない無双の忠心正直の人物である。其上慈の朝日山系の中ならばどんな処でも,此人の知らない処がないと云う山人である。
 世が静まる迄は,どうしても奥山に身を隠すよりないと思うと云うて、更に沢山の砂金の包みを与えて、此黄金は今は己に吾身にあって用なきものである。御身達ちが持って行って,これから身を立てる用にしてくれと定七に持たせた。名残り尽きせぬ事ではあるが、夜が明けては兎角く都合が悪い。今から直ぐに立ち退く様に云うてうながした。
 云う迄もない武忠が総攻撃は,味方の密偵によって知っていた。八月一日との事である。其日を以て吾が命日と考えてくれと云うたのである。桂江泣く泣く、定七と共に身重も四つ月にならんとした腹をかかえて暗にまぎれて牙城を脱出奥山深く落ちて行ったのである。
 姫は,亡き後の使命を果たしてくれるのは,共に死んでくれる百倍勝さって嬉しい忠義であると云うて,桂江を落としてやった。姫は、今はこの世に思いおく事がないと安緒の胸を撫でおろした。今度こそは奇手の軍勢押し寄せ来たならば、たとえ敵兵と云えども,此上無益の人命は一兵たりとも損んぜずに,我が身が死んで終う可きであると覚悟をしておったのである。味方の人数も出来るだけ犠牲者を少なくと考え,衣川から従えて来た男人夫と、里人からの応募兵の人達すべからく去らしめんとした。残りの黄金を分ち与えて,御身達は野川向かいの山陰に隠れて吾身の最後を見届けてから落ちうせてくれと云い渡して去らしめた。愈々最後を姫と共にせんと願う女兵五人と吾身と六人で牙城を引き払ってもぬけの空らとした。そして野川の上流の 谷千尋んの深淵たる絶壁の上に陣取って,討手の軍勢今や来れと待ち構えていた。(この現場は三淵明神奥の院と称しておる処である。)

卯の花姫物語 4-⑧ 姫と桂江の生き別れ

姫と桂江の生き別れ
之を聞いた桂江は声を上げて泣き乍ら、姫が膝に両手をかけて,頭を姫が膝に埋め,よよとばかりにしゃくり泣いて云う。
 姫君様,今が今迄で彼世迄でも,御供仕らんと思い込んでおりました。其私に慈から落ちて行けとは御情なう御座います。そればっかりは何とぞ何とぞ御免しなされて下さいませ,と云い乍ら泣いてやまなかった。主人が膝に丸っきり頭を埋めて泣きすがる愛臣桂江が頭を撫で乍ら,姫も泣き泣き云う。御身が心は自らもよく判ってはおるが、之には子細あって御身に是非共落ち延びてもらはにゃならない事情があるのだ。心を落ち着け聞いてくれ。今や御身が体内には,最も大切な大事な大事な家経様の御子様が宿っておられます。
 家経様と申しますは今更言を要せぬこと乍ら,八幡殿が御身内に君の御名の下の字を頭に頂いて名乗られた殿が最愛の御家来で御座います。それ程大事な御家来の御子をば,御身が身体と共に暗から暗に死なしては、八幡殿に対しまして自らが申し訳が立ちませぬ。そこの道理を聞き分けて自らをして、無情者の主人にはさせないでくれと涙と共に語ったのである。元より賢い生まれの桂江は、姫が懇切を尽くした説論を聞いて漸く理解し、納得をしたのである。
 桂江,やがては改めて恭や恭やしく平伏した。これまでの仰せを承る上からは,元より凡てを君に捧げた吾が身で御座います。謹んで君命に従い奉りますと云うて承知をしたのである。そうは云うても桂江は御名残り惜う御座いますを云いつづけて、さめざめと泣いておるばかりであったのだ。
 姫は,今や他領へ脱出する望みを絶たれて終わった上は,最早此世に生きておる用なきものと覚悟したのである。やがて姫は一つの包みの品を桂江が前に置いて、これなる品は自らが日頃使っておった二品である。これを吾が亡きあとの形身として思い出した時に,吾身と思って持っていてくれ。我が亡きあとを弔うてくやれよ。更に吾身は慈で死んでも,せめて其地の守り神と化して,八幡殿の御籠愛を賜った女性たるの面目を全うするの覚悟であると云うて、涙と共にしみじみと遺言を語ったのである。

卯の花姫物語 4-⑦ 2度目の総攻撃準備

牙城二度目の総撃準備
 寄手の軍勢を皆殺しに打ち破った翌日であった。定七が考えた。彼は元古寺の寺男として,恩師の上人に仕えていたので大忍坊覚念が顔はよく知っていた。彼奴は必ず死んだとは思うが,死骸を捜して首を取って来て,姫の桂江が前で首実検に供えて安心をさせないでは心残と思った。定七は,一人で敵兵の死骸累々たる中を捜し当てて持って来た。姫と桂江並に自身も三人で実検した。いずれも恩人の仇を打ったので大喜びの満足であったのだ。
 一方宮の宿では,わずかの残留兵はそうした味方の大敗を,山稼ぎの里人から聞いて手の舞い足の踏み処を知らぬと云う驚き方であった。が,どうする事も出来ないので、早速早馬を飛ばして,有りのままを鎮守府の武忠が処へ通報した。
 その敗報を知った武忠が驚きと共に怒りは又甚だしいものであった。武忠は自ら進んで安倍の残党狩りを受け持ったのであるから,一切自分が責任であるので、自ら更に二百余人の大軍を率いてやってきた。宮の宿に到着したのは七月の十九日であった。軍議をこらし又も惨敗を重ねてはいられないと今度は沢登りの攻撃でなく草岡村から峯越しに牙城の背面攻撃をして、今一と度び,降参勧告を試みて応ぜぬ時は愈々破れかぶれだ。可愛さ余って憎さが百倍だ。一撃のもとに討伐してしまおうと云う戦法に考えたのである。
 そうして総攻撃の期日は来る八月一日の早天から出陣と決め,戦の準備おさおさ怠りなかったのである。この様子は一々姫がかねて放ち措いた味方の里人の応募兵が斤候の通報によって姫は判っていた。愈々今度こそは,たとえ敵兵たりとも無益の人命は一兵も損ぜずに,自分が死んでしまうばかりと覚悟を決めた。其の日のくるのを待っておると云う。
 或夜姫は,愛臣桂江一人を連れて陣営の外に出て行った。少し離れた人なき処に二人で座った。膝元近くに引き寄せて懇々と遺言を語った。こりゃ桂江,吾が身が死す可き時節は愈々近日に迫っている。武忠が総攻撃の期日は,来る八月一日と云うことである。此上無益の人命は敵兵たりとて損んず可きではない。俺が死んでしまえば,一門残らず滅亡の吾が家であってみれば,死後を弔うてくれる人一人いない吾が身である。御身これから慈を落ちのびて、どんな難儀をしても耐え忍び,何処くの果てでも身二つになって,生まれた子供を大切に守り育て,吾が亡き後の菩提を弔うてくやれよ,と涙と共に語った。
 姫は,家経が最後の文使いに古寺に泊まって行った時、桂江が腹に子を宿し,今は己に妊娠三ケ月の腹であるのを早くから見つけておったのである。

卯の花姫物語 4-⑥ 卯ノ花城の引き揚げ

卯ノ花城の引き揚げ
 姫は更に言葉を続けて云うには、こりゃ桂江それには心配は無用である。彼奴を打ち果たすことなどは容易い事で,我が方針にあるから心配するには及ばない。が、其のあとに限り無く押寄せくる者に叶う可き道理はないのである。其時こそは潔く打死するばかりである。然しそれにしても慈の陣屋では防備が足りないからこそ引き払って,牙城に立て籠りて,寄手の軍勢が押し寄せるのを待ち受けるのだと云う。そして,或夜砂金で応募した心ききたる里人の応募兵が三人いてあったのに秘計を授けて、姫が同勢が夜に紛れて裏門から抜け出した。そして最後の牙城とした今の安倍ケ館山へと帰って行ったのを,覚念が軍勢が知らないでおったのである。
 処が中一日おいた晩の夜明け方に,突然城中からぼっと火の手が上がった。寄手の軍勢が驚いて出て見た時は,己でに城中一面に火が燃え広がって手の付けようがなかったのである。焼け落ちるのを待って這入って見た時は,己に城内に人っこ一人いなかったので,これまた二度たまげを三度したばかりでどうしようもなかったのである。
 流石の覚念もただただ呆気に取られたばっかりであったと云うことである。大忍坊が自分の計略が何一つならないでしまったばかりでなく,其上こんな出し抜けを食わされたような目にあわせられたので,心大いに焦らして忍びの者を放って探らせた。そして野川奥の牙城に立て籠った事がわかったので,総攻撃を以て一挙に打ち破って手捕りにせんとした。七月五日の早天に,宮村の屯営を百余人の軍勢で出発した。其のころの二百余の軍勢と云うても,百人くらいは今の輜重隊の様なもので,本当の戦闘部隊の歩兵の様なものは二百余人の内に百余人と云うのは当たり前のことであったのだ。
 一方,姫が方では先に秘計を授けて頼んできた里人の応募兵が注進によって早くも知ったので、兼ねて工築しておいた前衛の砦で,小勢乍らも決死の女軍を籠らせ措いて今や遅しと待ち構えておった。寄手の軍勢は野川の沢づたいに登って,愈々布谷沢の支流の処の前衛の少し下前の狭い谷間に魚鱗の備えのままで,一斉にどっ~と声を揚げて戦いをいどんだ。(注当時魚鱗の備えと云うたのは今の縦隊のこと)