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卯の花姫物語 ⑬

奥州前九年の役の導火線発火
 大将頼義大いに怒って光貞に弓を引いた以上は吾れに刃向うたも同様である。己れが不義の恨みに因って国法を犯し闘争を起こして平和を錯乱した貞任が大罪そのままには免されない速やかに召し捕って 明申し付けよと云う憤慨甚だしい見幕であった。義家も父頼義が激怒甚だしい様子を知って其驚きと共に落胆も又大なるものであった。自分と卯花姫との関係の故もさる事乍ら引いては国家の一大事であったからである。
 こうした事件は一旦其処理を誤らんか干才を以って争う事に悪化しないをも保し難い事と考えたからであったのだ。これは  此事件を始から闘争事件としては取り扱わない飽く迄で貞任が一人の個人的犯罪人とした範囲に限定する。父頼時外安倍家一門に責任負わせた処断に任せて治むるにしくはないと考えたので早速父頼義が前に出でて己の所信を述べて父を めたが頼義は汝が進言も一応最もであるが安倍家一門に累を及ばさぬ様に寛典に処するは宜しいとしても国法を犯して騒乱を起こした大罪人を一個の犯罪人として罪人の家門の者共に任せ放しにしては全然一国の国司の威令が行なわれざると同様である一門の者共に各は申付ぬとしても犯人一人だけは国府え引き渡す様申し付けよと云うて承知しなかったのである。
 富強を以て奥州一を誇った豪族の安倍の一門が貞任引き渡しに応じればそれ迄でだが命を奉じないとしたならば勢い兵力によって処さねばならない事となる。之迄で折角泰平に治まった奥州の天地が再び修羅の たとなって萬民塗炭の苦しみに陥る国家の大事となるを恐れての進言も空しくやがて奥州の大乱となって姫が望みも一朝にして水泡に帰して終う運命となったとは是非もないことであったのだ。
 貞任引き渡しの命令を受けた安倍家では直ちに緊急一門会議が開催された。老将頼時が平和説であったが次男宗任は始から主戦論を猛烈に主張した。兄上を国府に引き渡して終う上は死罪仰せ付けられても早救い出だす可き道が無くなると云うものである。兄上一人 せられて吾々おめおめ生きておられ様か座して死なんより一層戦って決戦の覚悟と云う義家が先見寸分も違わぬ結果となったのである。
2012.07.07:orada:コメント(0)

卯の花姫物語 ⑫

奥州国司満期の年
 愈々天喜四年の年こそは姫が待ちに侍兼ねておった。前記の望みなどがなかったならば之迄で別れてなどはおられない仲であったのだ。恋しい恋しい八幡殿が京へお帰りになった上改めて迎えの使者を御遣し下さる可くの固い々お約束の仲であると思い廻せばまわす程我が身の前途は希望に輝き  と世にも稀れなる高徳の君子八幡殿が正室と恵まれて愉しい此の世が送られると思えば思うほど此の世に女と生まれた甲斐があると、春から秋へと一足飛びにもなれかし思いで暮らしておった。其の秋のことであったのだ。奥州多賀の城下に一大凶変が茫然とし即ち今世に迄でも有名な奥州前九年の役と称しておる大戦乱の導火線が発火したのである。此故によって折角姫が愉しい思いで前途に望みをかけておった其の望みと奥州の仕官が頼義将軍が善政の治下に於いて泰平鼓腹の生活の喜びと併せて木葉微塵に粉砕して終うと云うことになるのである。それは又次の様な次第であったのだ。
 茲に頼義将軍が幕下の部将に藤原光貞と云う人がおった。其館え或晩突然闇に乗じて夜襲を仕掛けた。何者の仕業とも判らなかった、味方が必死の防戦によって追い払ったので味方に死傷者が極く僅かより出なかったのは幸いであったが散々に暴れ廻って引き上げた。厳重なる調べの結果其の犯人は計らずも安倍貞任が仕業であると云う事が判明した。それは又女故の事からであったのは誠に遺憾の至りである。
 藤原光貞が娘に非常な美人の女がおったのに貞任が恋慕して自分が妻に貰いたいと云うて様々に手を尽くして見たが光貞が承知しなかった。と云うのは今こそ源氏に従って家来になってはおるが元を洗って見れば朝敵であった。たとえ金があっても力があっても家柄が悪いから吾が家の娘をやる訳にはいかないと云うて承知しなかった。貞任は にさわって今に見ておれ復讐をしてくれるからと思って其隙を狙っていたのに今度愈々此地を引き上げて京に帰って終うと云うのでは仇を返す機会がなくなると思って鬱憤晴らしにやったのであると云う事が判ったのであると云う事が判ったのである。
2012.07.07:orada:コメント(0)

卯の花姫物語 ⑪

姫が義家との別れ

其の趣を姫が処えも伝えられたのは又云う迄もない事であった。たとえ一旦の別れですと云うてもあれ程恋しい八幡殿がお側から離れて故郷に遠く帰っていくのは姫が胸の中ちは血を吐くばかりの悲しい思いであったのだ。でも頼義公が厚い温情のあふれた御取り計らいを考えて見れば之皆恋しい可愛い殿御の御身の為め引いては私共の身の上迄で思うて下さるからこそそのご教訓である。八幡殿の御身の為になる事でさえ、あったならばどんなつらい事でも忍のばねばならないと思うのだ。元より賢い生まれの姫は胸に分別して茲に涙を呑んで一旦別れて帰る事を承知したのである。
 愈々出立の前夜は義家を迎えて一晩中名残り尽きせぬ寝物語りに飽かぬ別れを惜しみつつ夜を明かした。其の翌日高木新三郎家経に送られて桂江と荷物を背負った下部二人とを従えた五人連れで故郷の衣川へと出立した。其のようにやがて来る義家が正室となる希望を前途に描きつつ一旦の別れの心算りで別れたのが、一生の別れとなって終うとは神ならぬ身の知る由もない、後にぞ思い知られたのである。
 其の年も早くれて天喜三年となった。姫が毎日指折り数えて待ち兼ねておるのは一時も早く国司の満期が来て八幡殿が京に帰還して頼義公のお計らいをもって八幡殿が正室として迎えの使者が晴れて堂々と来て貰う楽しい日がくるばかり唯一の希望として暮らしていた。いつでも文みの御使いとして家経が来たときは必ず返事の文をやる。返事をやるとしても向こうから返り言ばかりでなく家経から君が近況について色々聴いたのによっても書き加えてやらなければならないからいつでも三四日の逗留になるのは普通のことであった。
 夜分に主従三人で話し語りの折りにふれて姫はじょうだんに漏らすのに早く八幡殿の御側に行きたい。御身達ばっかり時折遇って楽しそうな様子を見ると羨ましうて仕様がない。ほほ・・・なんと云うて笑い興ずる事などもあったと云う。愈々其の年も天喜四年はやって来た、鎮守府将軍兼陸奥守源朝臣頼義が陸奥の国司満期完了の年となったのである。

2012.07.07:orada:コメント(0)

卯の花姫物語 ⑩

姫と義家が恋愛愈々深し
これ迄の仲となると若い者同士と云う者は、あたりかまわぬ様な振舞に迄なるものである。義家は毎晩姫が病気見舞いに通う様になった。少しでも足が遠くなると姫の方で桂江を遣わして、家経が許を訪れさせて姫が苦しいから早く来て貰いたいと云う催促の使いである。義家が駆けつけて行くと直ぐに苦しみは癒ってぴんぴんとなって、夜行けばみっしりおさえて翌朝迄帰さないと云う始末。ひどい病気もあったものだしなんぼ押さえられたからとて次の日迄泊まり込んでいるとは、非道い御医者もいたものである。其の噂が世間に広まらないでいよう筈がなかった。噂はこんな事になって広まった。お・・い君々聞いたかい安倍家の姫ですあの奥州一の美人が病気で行かれなくて泊まっておったのに、八幡殿が病気見舞いにさえ行かれると直ぐに苦しみが癒ってしまうが、御足が少しでも遠くなると云うと直ぐに苦しみ出す、いつも御医者迎えが走る。何でも其の特別な御医者様が駆けつけて注射さえしてくれると直ぐ癒えると云う病気だそうであると云う・・・あ・・・と如何にお偉い人達だとてその道ばかりは変わりがないものよう。あは・・・と云う巻説ふんふんとして伝わった。
 其の有り様では将軍頼義が耳にも入らない訳にはいかなかったようである。重臣からの言上によって知った頼義は元来深謀遠慮の賢者であったのでつくづく考えた末に、若い者同志と云う者はし様のないものである。然し乍ら安倍貞任が姫は人物が優れておることは兼々聞いておったので吾家の嫁としても不足はない女であるが、一旦彼の家は朝敵となって未だ日が浅い今日である。それを今直ぐに源氏正統の義家が正室として発表すると云う事は出来ない事である。さりとて、それ程本人同志が熱望しておる事を直ぐに破棄して終わると云う事も好い事ではない。いずれ国司陸奥守の任期が満了して、京に帰ってから時節を見て正式に発表するから当分の間余り人の噂に上るような振る舞いを謹む様にと云う温情のこもった注意であった。
 其旨重臣を通して義家が許えと申し渡したのである。義家父が温情こもった申し渡しに感銘肝にめいじて有り難く謹んで御受けをしたのである。
2012.07.07:orada:コメント(0)

卯の花姫物語 ⑪

忠ノ一
 姫は心の内初対面の第一感で好かない男と思ったが家の行事主催に応援衆の上席の人でもあってみれば、止むを得ない此場の仕儀である。直ぐに座はつて恭々しく一礼した上に仰せの通り安倍貞任が娘卯花と申する者で御座います此度は又御後援として御遠方態々御越し下さいまして有り難う御座います。只今は又気分少々勝れぬ為め宿に下がって休まうと取り急ぎましたので思わぬ不調法でありました、御免遊ばし下さいませと平あやまりになって詫びをした。
 武忠は姫を其場に釘付けにとらえた喜びに勝ち誇った思いで大得意になった。大いに笑っていやいや卯花殿最早御心配には及び申さぬ事、然しながら御座るがのう。八幡殿が御酌の御手並み御見事さはとくと拝見な仕っておりました。
 去り乍らとても武士の片割れの一人で御座る御当家行事の応援として父武則を代表して出羽の国より参りし者丸っきりのまんざらでも御座るまい一盃の御酌賜わりとう御座いますが如何なものでありましょうかと云うて大盃を突き付けた。姫は心に進まぬ乍らもまさか否やとも云われぬ場合である。否や否や乍ら数盃の酌をしておったが彼は始終姫が顔ばり眺めていやいや美人の御酌で呑む酒は又一段と味が違うもので御座るようと云い乍ら、にやにや面らでもっともっとと云うて果てしがなかった。どうも仕方のないものである、好きな男の御酌だと盃が干るのが待ち遠しい思いでするのであるが、其反対に嫌いな男にそうどこ迄でも強いられては耐えられない思いになるものである。様子を悟った桂江は恐る恐る進み出てあの申上げます武忠様主人卯花事少々気分が勝れぬ様子で御座いますので、ここらで御暇戴きまして休ませとう御座います。何卒ぞ御免遊ばし下さいませと云うて願った。武忠大いに笑っていやいやこれはしたり否なことを聞くものじや八幡殿が御酌には御気分が御見事な御手並みに勝れて某が酌が御病気で出来ないとは扨ても重宝な御病気で御座るわい早よう御帰りになって御養生が肝腎で御座る武忠も後程改めて御病気御見舞として御宿を訪ねて参らんと云うて皮肉っては見たものの惜しい鳥を逃がした思いで帰してやった。
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