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新図書館の「比較調査」報告で市民説明会…「駅前」立地への誘導が見え隠れ~病院跡地の一部に“災害リスク”、寝耳に水の参加者はビックリ!!??
「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所を決める際の基礎資料となる「図書館建設候補地」比較調査業務委託の報告書が10日開催の市民説明会で公開された。10年以上の迷走を続けた結果、今月17日から始まる「対話型市民会議」で立地場所の選定に向け、最終的に動き出すことになった。報告書によると、概算の総事業費は駅前案が約39億9千万円で、跡地案は約36億3千万円。国の補助金15億円と合併特例債の交付税措置によって、市側の実質負担額は前者(駅前)が約8億4千万円、後者(跡地)が7億2千万と見積もられている。必要駐車台数は120台とし、双方とも2階建て(延べ床面積4500㎡)の規模を想定している。 「駅前」立地に誘導するような報告書の内容を問いただすため、私は以下の項目を質問した。これに対し、市川清志・前生涯学習部長らは「入札は公平・公正な手続きに従って行われた。病院跡地への立地についても“災害リスク”からの安全性は担保されている。跡地内に土砂災害警戒区域などが存在することについては以前、議会側にも説明している」などと答え、やり取りはほとんど平行線に終わった。また、対話型市民会議については「15歳以上の市民3600人に対し希望者を募り、応募した75人で構成した」と話した( コメント欄に”ダメ出し”みたいなイメージ図(土地利用計画図)を掲載 ) 市民説明会は11日(大迫交流活性化センター)、12日(東和コミュニティセンター)、14日(石鳥谷生涯学習会館)で。また、対話型市民会議は今月17日、12月21日、令和7年1月26日の3回予定されており、いずれも午後1時から5時まで、まなび学園で。予備日として2月15日も設定されている。 ※ (1)今回の「比較調査」報告書によると、病院跡地の敷地面積は全体で17,887㎡で、うち図書館関連の敷地は上部平坦地の9,220㎡とされている。また、敷地の北側の一部や東側の濁堀周辺は「土砂災害防止法」や「急傾斜地法」などによって、土砂災害警戒区域や崩壊危険区域に指定されていることが明らかになった。 一方、これらの指定区域内における擁壁設置などの大規模改修には多額の費用がかかるため、今回は調査対象から除外したとしている。しかし、当該病院跡地は公共の用に供するという目的ですでに市有地化されており、こうしたリスク回避に要する支出は利活用を促すための「必要経費」と考えるべきである。いわゆる「新興跡地」が荒れ放題―”塩漬け“状態になっているのはあの土地が「私有地」だから許されるのであって、ここが病院跡地とは根本的に違う点である。裏返せば、費用がかかりすぎる“不良資産”を購入したとも言える。なぜ、今回この部分の費用算出を除外したのか。「比較調査」の公平性の点からも疑問が生じる。その辺の認識を伺いたい。 (2)その一方で土地利用計画図を見ると、新図書館の立地予定区域の周囲がすっぽり急傾斜崩壊危険区域と土砂災害警戒区域に囲まれているように5色に色分けされている。一見すると“災害リスク”のど真ん中に公共施設を建てるのかと錯覚を覚えるようなイメージ図になっている。まるで、最初から“ダメ出し”の印象操作ではないかという疑念がぬぐえない。現に8日開催の議員説明会では複数の議員が災害リスクを避けるため、「跡地」建設に異議を唱える発言をしている。 そもそも当該病院跡地に総合花巻病院(前身は「花巻共立病院」)が誕生したのは100年以上も前の1923(大正12)年。往時には看護学校のほか24棟の病棟が林立していた。さらに、隣接地域には現在の「まなび学園」の前身である花巻高等女学校(のちの花巻南高校)が1911(明治44)年に開校。また、1921(大正10)年12月には宮沢賢治が稗貫農学校(のちの花巻農学校)の教壇に立つなど、1世紀以上にわたって文字通り「文教と医療」の一大拠点地域としての役割を担ってきた。一方、まなび学園は災害時の「緊急避難場所」に指定され、現在に至っている。 ところが、今回浮上した災害上のリスクについての指摘はこれまで行政側から一度もなかった。なぜ今回突然、明らかにされたのか。その唐突さに違和感を覚える。この一帯の歴史的な背景を踏まえた上で、この間の経緯を市民が理解できるように説明してほしい。 (3)今回、業務を受託した「(株)大日本ダイヤコンサルタント」はJR各社と請負関係にある独立法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JRTT鉄道・運輸機構、前身は鉄建公団)の「有資格業者」に指名されている。さらに、入札に参加したほかの10社もすべて同じ資格を有していた。「有資格」とはたとえば、入札時に優先権があるということなども含むのか。いずれにせよ、今回の業務委託そのものが“JR寄り”と受け取られても致し方ないのではないか。この点からも今回の「比較調査」自体の公平性に疑念を抱かざるを得ない。見解を伺いたい。 (4)「対話型市民会議」の構成人員は何人か。その選考はどのような手続きで行われたのか。無作為抽出で選んだ市民は全部で何人で、市民会議は参加を希望した市民によって構成されたということか。会議は同じメンバーで進められるのか。病院跡地への立地を求める署名が9,745筆に達し、市側に提出されていると聞いている。この数字を統計学上の「有意性」の観点から、どう認識するか。 (写真は建設場所の行方に注目する参加者たち。ほぼ満席状態の関心の高まりに=11月10日午後、花巻市花城のまなび学園で)2024.11.10 -
「言葉が果つるところ」…その現場が「図書館」だったという無惨~言葉の果てに“言葉”をつかみ取った知の巨人を思いつつ、そして「雨ニモマケズ」というナゾ!!??
「言葉より深く、言葉を超え、しかし言葉にすがりつかざるをえない鬩(せめ)ぎあいの地平で交わされる、鬼気迫る対話」―。こんなキャッチコピーに急かされるようにして、『言葉果つるところ』(藤原書店)というタイトルの本を取り寄せた。水俣病をその身に背負う人たちの、言葉にならない魂の叫びを言葉にうつしとり、『苦海浄土』を書いた石牟礼道子さんと片や、内発的発展論を唱えながら「ミナマタ」と遭遇し、“言葉ではどうにもならない”現実に直面し苦悩する国際的な社会学者、鶴見和子さんとの息詰まるようなやり取りに身震いを覚えた。 「言葉は、討ち死にして、のたれ死にしていいんですよ」と石牟礼さんが語ると、鶴見さんは「言葉果つるところに言葉がうまれる」と応じる。“言霊”(ことだま)の世界を浮遊する二人の対話はたとえば、こんな風に進む。「いま情報化社会になっていて、言葉ですべてが解決することになっている。で、言葉が全部機械化されてる。機械で伝達できる言葉だけがいま残っているわけ」(鶴見)…「機械で言葉を生産していると思ってるけど錯覚で、言葉を全部、分断機にかけて切って捨ててると思うんです。言葉にならない情感とか悲しみとかも轢(ひ)きくだいてぐちゃぐちゃにして、切り刻まれて捨てられる運命にあると思うんです」(石牟礼) 「駅前か病院跡地か」―。10年以上に及んだ新花巻図書館の立地場所を決める「対話型市民会議」なるものが11月17日から始まるという告知が広報はなまき(11月1日号)に載っていた。「果たして、どんな対話が生まれるのか」。思わず、ため息が出た。図書館は「言葉の集積体」とも呼ばれる。だからこそ、そのための「図書館」論議には横溢(おういつ)するような言葉の乱舞や応酬があってよかったはずである。それがまったくなかった。「言葉」の放擲(ほうてき)とさえ思えた。図書館とはそもそも言葉(本)に囲まれながら、夢を紡(つむ)ぐ空間だと思っていたからである。底知れない徒労感の目の前には「言葉果つる」荒れ野が渺々(びょうびょう)と広がっている。 “言葉の魔術師”とも言われた宮沢賢治が案内役を務めるはずだった「IHATOV・LIBRARY(「まるごと賢治」図書館)は見果てぬ夢と消えた。「仏作って、魂入れず」ーを地で行く”立地”論争とそれに費やした不毛な数年間…。「イーハトーブ図書館戦争」へ従軍した私の戦場体験もまもなく、終わりを告げる。それは同時に、私にとっての「イーハトーブ」(賢治命名の「夢の国」)の終焉(しゅうえん)も意味しているのかもしれない。石牟礼VS鶴見という大家の間に割って入った熟達の作家、赤坂真理さんはこう書いている。もう遠くに過ぎ去った陽炎(かげろう)みたいな記憶である。 「まったく違う道すじを通ってきた二人の女が、ともに言葉果つるところまで行き、そこから蘇(よみがえ)り、全く新しい人間となり、違う資質で同じことを見、語って、くに(国)や宗教について、かつて誰も到達しなかったような深みと高みに到達する。どんな宗教者にもなしえなかった凄(すご)いことを、丸い言葉で話して、女学生のように笑いさざめいている」(本書より) ◇◇ お二人ともすでに鬼籍に入られた。ちなみに、鶴見さんの祖父は台湾総督府の民政局長や満鉄(南満州鉄道)の初代総裁を務めるなど植民地経営に携わる一方で、関東大震災時は首都復興を担った元内相の後藤新平(奥州市出身)である。父親の鶴見祐輔は作家を兼ねた政治家として知られた。さらに戦後は弟の評論家、俊輔らとともに月刊論壇誌『思想の科学』を創刊した。ところで、一方の石牟礼さんは賢治との接点をさりげなく、以下のように記している。戦後日本の思想界を代表する二人の女性(「知の巨人」)との距離が急に近づいたような気がした。 「そのこと(「近代化論の再検討」)にふと気がついたのはさきの戦争の末期、昭和18年くらいで、まだなりたての小学校代用教員の卵の時代であった。人は何のために生まれ、生きて戦争などするのかと思ったのが始まりで、人間の可憐さも醜さも十代の少女にだってわかったのである。『近代化』などという言葉はまだ知らず、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』だけを心の頼りにして生きていたと思う」(あとがきから)ー。ところで、男性を代表する「知の巨人」と言えば、まず吉本隆明さん(故人)である。この思想家もまた「雨ニモマケズ」を天井に貼り付け、暗唱していたというエピソードをふと思い出した。 それにしても、石牟礼さんにしろ吉本さんにしろ、その「知」(思索)の根底になぜ、「雨ニモマケズ」を置いたのであろうか。このことの意味をこれからも考え続けたいと思う。賢治の心奥(しんおう)はなお、深まるばかりである。 あらためて、このナゾめいた詩の全文を以下に再録する(「青空文庫」より) 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ (写真は言葉の本当のありようを語りつくす対話集) 《追記》~米大統領選と賢治と!!?? 「秋という季節は、風について語りたくなる。 。このあまりにも印象的な言葉で、宮沢賢治の『風の又三郎』は、秋に吹く風を表した」―。11月6日付の朝日新聞の名物コラム「天声人語」はこんな書き出しで始まっていた。同じ1面トップには「両者 最終盤まで互角」と米大統領選の熱気を伝える見出しが躍っていた。そして、午後にはトランプ前大統領の地滑り的な勝利のニュースが世界を席巻した。一夜にして季節は移ろい、明日(7日)は立冬。世界は”冬の時代”に足を踏み入れるのだろうか。「どっどど どどうど どどうど どどう これから一体、どうなるど~(ドナルド)」と口が勝手に歌い出していた。2024.11.02 -
あれっ、「非公表」だったはずの人がガンバローコールだって…1年前の悪夢の再現~上田市長ら懲りない面々は今もなお!?そして、選挙の結果はアァ無情!!??
「公表しない」―。今次の衆院選にかかる県内首長のアンケート調査で自身の立ち位置について、こう答えていた花巻市の上田東一市長が選挙区3区の藤原崇候補(自民前)の集会に出席。「ガンバローコール」を唱和している写真が現職県議のFBで公表された。公表しないどころか、必死の形相のこの“もろ顔出し”写真が激しさを増す選挙戦の中で、顰蹙(ひんしゅく)いや、失笑を買っている。 藤原候補は前回の選挙で、小沢一郎候補(立憲前)を選挙区で初めて破った。しかし、今回は政治資金収支報告書の不記載問題で比例区での重複立候補が認められず、「背水の陣」の戦いを強いられている。だったら、なおさらのことコソコソと逃げ隠れたりしないで、堂々と「藤原」支持を打ち出せばいいのに…。この人って、どうも「陰の主役」が性(しょう)に合っているようである。 この写真をつくづく眺めながら、1年前の光景がまな裏によみがえった。そう、花巻まつりの最終日、祭り半纏(ばんてん)に身を固めたその写真には上田市長のほか、藤原衆院議員(当時)や広瀬めぐみ参院議員(同)、応援団の市議会「明和会」のメンバーがそろい踏みしていた。あれから、1年余りの写真にあのエッフェル女子の姿はない。ご存じ、秘書給与をだまし取ったり、不倫騒動で議員辞職に追い込まれたためである。欠員を埋める参院補欠選挙は衆院選と同日の今月27日に行われる。この衆参の「因縁対決」劇場に全国の注目が集まっている。 1年たっても何も変わっていない「イーハトーブはなまき」の姿を記憶に刻み込んでおくため、双方の写真を掲載する。ユネスコの「記憶遺産」に登録したいほどの貴重な永久保存版である。なお、撮影者はともに地元選挙区を束ねる川村伸浩県議(自民)である。1年前の写真はコメント欄からどうぞ。 (写真はこぶしを振り上げる壇上の上田市長(右から3人目)。赤いタスキがけが藤原候補=川村県議のFBから) 《追記ー1》~上田市長はきちんと、自己総括を!!?? 27日投開票された衆院と参院(補欠)の選挙の結果、前回、選挙区で藤原崇候補(自民前)に敗れた小沢一郎候補(立憲前)が勝利を奪還。比例区との重複立候補が認められなかった藤原候補の落選が決まった。また、広瀬めぐみ元議員(自民)の議員辞職に伴う参院補欠選挙では前回、同元議員に敗れた木戸口英司候補(立憲前)が雪辱を果たした。 当ブログで言及したように花巻市の上田東一市長は藤原、広瀬両氏の選挙に際し、全面的な支援活動を展開してきた。思想・信条の自由は憲法に認められた権利であることを重々承知しつつも「二元代表制」の下、直接選挙で市民の負託を受けた首長の立ち位置は重い。政治家としてのきちんとした自己総括を求めたい。上田市長と足並みを揃えてきた市議会会派「明和会」の面々にも… 《追記ー2》~士道不覚悟(「武士道ファン」を名乗る人からのコメント) 古来より旗幟(きし)を鮮明にするのが武士の習いの中で、武士を先祖に持つ御仁で、新渡戸稲造の「武士道」を愛読書としていることを公言している人がこんな写真に収まっているとはねえ。何だか、水戸黄門に出てくる悪代官みたいです。2024.10.24 -
ふるさと納税のダブルスタンダードと国保税のトリプルスタンダード~物価高と税金地獄の中で!!??
花巻市は国民健康保険税(国保税)の税率を引き上げる方針を固め、市議会12月定例会に提案することになった。21日開催の議員説明会よると、平成30年度に税率を引き下げて以来据え置きが続いていたが、このまま税率を据え置いた場合、令和11年度までに約16億2千万円の財源不足に陥る見込みだという。この不足分を補てんするため、一般会計から約4億4千万円を繰り入れする補正予算案も審議に付す。これにより、一人当たりの改正税額は令和7年度には77、300円となり、令和6年度比で4、900円の増加になるとしている。 一方、花巻市市民参画条例(令和5年12月7日制定)はこの種の「市税の賦課徴収その他金銭の徴収に関する事」に関しては「市民参画を行わないことができるものとします」(第5条第2項)と定めている。しかし他方で「市民生活に重大な影響を及ぼす制度の導入、変更又は廃止」(同条第1項)に関わる案件については「市民参画」を義務付けている。国保税は市民生活に直結する税負担であることは明らか。議会側の対応が注目される こんな中、上田(東一)市政はふるさと納税の返礼品について、ダブルスタンダード(二枚舌)の手法を駆使して寄付金獲得に余念がない(8月17日付当ブログ「これって、“官製”詐欺ではないのか」など参照)。今回の一方的な国保引き上げについては「これって、二枚どころかトリプルスタンダード(三枚舌)ではないのか」という悲鳴にも似た声が納税者の間から出ている。国民皆保険の対象である国保税の引き上げは生活基盤そのものを直撃する税負担である。年間90億円(令和5年度)を超える巨額なふるさと納税の一部でもその救済に当てるつもりはないのだろうか(市HP上に公開中の「令和5年度決算」を参照) 折しも、税金をかすめ取った「裏金」問題が大きな争点になっている国政選挙の真っ只中…27日の投開票日にはオメオメ、選択を誤らないように。 (写真は国保税の引き上げに抗議するイラスト=インターネット上に公開の写真から)2024.10.21 -
大山鳴動して、たったの「50人」、片や「病院跡地」への立地希望は9,7 45筆…注目の新図書館「市民劇場」、間もなく開幕~でも、傍聴は「チョットだけヨ」!!??
「当たった、当たった」―。宝くじにでも当たったのかと思ったら、新花巻図書館の立地場所の意見集約をするための「市民会議」への案内状が届いたというお話しである。市側の計画によると、無作為抽出した市民2500人へ案内状を郵送し、この中から50人の委員を選出。今月から年末にかけて4回前後の会議を開催し、「駅前か病院跡地か」―どちらかの立地場所に最終的に絞り込むことにしている。この際の討議資料となる事業費や駐車収容数、土地形状など立地環境を「比較検討」する委託調査もすでに終了しており、その内容も注目される。 一方、病院跡地への立地を求める「花巻病院跡地に新図書館つくる署名実行委員会」(三つの市民団体で構成)は第1次と第2次とを合わせた累計9745筆(花巻市内6771筆、県内1638筆、県外1336筆)の署名をすでに市側に提出している(10月15日現在)。「図書館の空間は無限大」として昨年10月には全国署名に踏み切り、その年のクリスマスイブを皮切りに市内のスーパーなどでの街頭署名も始めた。この活動を担った多くは「雨ニモマケズ」精神を背負った後期高齢者の“老人パワー”だった。 「50vs9745」―。市人口90,156人(令和6年9月末現在)と単純比較してみても、50人は全体比1・8%、9745人は同9・3%で、このどちらに数字上の有意性(統計学上の意義)があるかは一目瞭然である。しかも、無作為抽出(標本調査、いわゆる“くじ引き”)で選ばれた2500人の中から50人を選出する際の手法は明らかにされていない。そこに恣意(しい)が入りこむ余地はないのかー闇は深まるばかりである。 「対象者以外の方は、会議の一部を傍聴することができます。詳細については後日お知らせします」―。10月10日付の市HPにこんな告示が載った。また、ぶったまげた。「公を共に」という「公共図書館」のしかも、その立地場所を協議するという「市民」会議の傍聴は「一部」に限られるというご託宣である。聞いたことがない。多額の予算を計上し、意見集約を外部のファシリテーター(進行役)に委ねるはずだった「公募プロポーザル方式」が不調に終わったのは記憶に新しい。そういえば、その選定を審査する委員会が突然非公開になり、市職員が築く“人垣”(関所)によって、入場を阻まれるという一幕もあった。何か見られたくないことや聞かれたくないことでもあるのだろうか。 “利権”がらみが噂される中、新図書館の迷走劇は止まるところを知らない。最終幕の「新図書館『市民劇場』」は必見である。「(傍聴は)チョットだけヨ」(ザ・ドリフターズ「全員集合」のテーマ曲)と言われると、なおさら見たくなったり、聞きたくなったりするのが人間の性(さが)というものである。一刻も早く、公演日程をHP上に公開してほしい。 (写真は「今年のクリスマスプレゼントは図書館です」と署名を呼びかけるお年寄りたち=2023年12月24日、イトーヨーカド―花巻店で)2024.10.16 - ...続きを見る