「行くべきか、行かざるべきか」―。地元・岩手出身で満鉄の初代総裁や第7代東京市長(当時)などを務めた政治家で官僚、医師の後藤新平(1857―1929年)の功績をたたえる第14回「後藤新平賞」に当ブロブ(4月24日付「黙示録」)で紹介した古布絵作家で詩人の宇梶静江さん(87)が選ばれた。今回のコロナ禍を「コロナの側」から見る視点の大切さを教えてくれたのが宇梶さんだった。普段ならそれこそ、万難を排してすっ飛んでいくところなのに「未知なる」災厄が目の前に立ちはだかっている。まるでハムレットみたいな心境である。
台湾総督府の民生長官などを歴任した後藤は植民地経営のかたわら、“感染症の第一人者”とも言われた。日清戦争の終結後、伝染病が猛威を振るっていた中国からの帰還兵20万人以上に対する水際検疫の指揮をとり、コレラの蔓延に歯止めをかけた。後藤の足跡を書籍化してきた「後藤新平の会」(東京・藤原書店内)は今回の授賞理由として、こう述べている。「北海道開拓団が入植して150年余。先住民アイヌにとっては、いわれなき差別と大地に根を下ろした独特のアイヌ文化の崩壊を意味した。宇梶氏は50年前、『ウタリ(同胞)たちよ、手をつなごう』とアイヌの結束を呼びかけ、自然への畏敬に満ちた『アイヌの精神性』の意義を多くに人に知ってもらうべく立ち上がった。文明のあり方を思索した後藤と相通じるものがある」
大地よ/重たかったか/痛かったか
あなたについて/もっと深く気づいて、敬って
その重さや痛みを/知る術(すべ)を/持つべきであった
多くの民が/あなたの重さや痛みとともに/波に消えて/そして大地にかえっていった
その痛みに今 私たち残された多くの民が/しっかりと気づき/畏敬の念をもって
手をあわす
宇梶さんは東日本大震災の直後、こんな詩篇(ブログ既掲)を発表した。「カムイモシリですね。神様の培われている大地、カムイモシリよ、重たかったか、痛かったかという言葉が出たんです」と宇梶さんは詩作の動機をこう語っている。この精神性は現下のコロナ禍を捉え直す視線へとそのまま、つながっている。受賞スピ-チは7月12日、東京都内の開館で予定されている。「宇梶さんの口からいま、どんな言葉が飛び出すのか」―気持ちが急(せ)く一方で、「この時期にコロナを土産に戻ってきたら、どうなるのか。ちゃんと、考えて見ろ」という“感染ゼロ県”からのある種、強迫じみた声が追いかけてくる。
「東京で10日、過去最多(224人)を更新する243人の感染が判明」―。かたわらのテレビが第2波を予測させるような速報を伝えている。「人口比から見れば、感染の確率は宝くじに当たるようなもの。当たり運のない自分には関係ないさ」、「いや、そういう奴に限って、大当たりがあるんだよな」、「上京中に東京アラ-トが発令されたら、無事に戻って来れるだろうか」…。己自身が「ゼロリスク症候群」に取りつかれていることにハッと我に返る。「感染第1号」の闇の深さにおののく日々…まるで“無間地獄”の様相である。12日の直前ぎりぎりまで、ハムレットの悩みは続くのだろうか。
「To be or not to be/that is the question」(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)ー。「行きはよいよい 帰りはこわい」…縁起でもない調べが頭の奥でこだましている。記憶の底に眠っていたはずのわらべ歌がむっくりと目を覚ましたようだ。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
(「通りゃんせ」)
(写真は不気味な光を放つ「東京アラ-ト」。第2波の足音がひたひたと押し寄せてくるような、そんな気配も=インタ-ネット上に公開の写真から)
《追記》~上京を断念
”ハムレットの悩み”を自ら悩み、「行きはよいよい、帰りはこわい」という天神様の戒めを素直に受け入れ、12日に予定していた上京を断念することにした。東京での感染拡大が進む中、ハムレットをもじったこんな川柳が載っていた。「Go To(国が提唱する観光振興) or not Go To それが問題だ」(7月10日付「朝日新聞」)