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忙中閑―アニメ映画「鬼滅の刃」と桃太郎

  • 忙中閑―アニメ映画「鬼滅の刃」と桃太郎

 

 「心を鬼にして、その鬼に立ち向かって行く。つまり、鬼は人の生まれ変わりであり、その逆もまた…」―。こんな洞察的なパラドクス(逆説)がどれほどの人たちに届いているのであろうか。史上最速という記録的な観客動員を更新し続けているアニメ映画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)―無限列車編」を見ながら、ふとそんな不安にかられた。朝8時半の開幕から夜10時5分の閉幕までの上映回数は何と20回。隣りまちの映画館では終日、親子連れなど老若男女が食い入るようにスクリ-ンに見入っていた。映画そのものよりも異様ともいえる会場のたたずまい…「桃太郎」伝説の揺りかごで育った老残の身には余りにも痛撃的なパンチだった。

 

 「桃太郎さん、桃太郎さん/お腰につけた黍(きび)団子/一つわたしに下さいな」、「やりましょう、やりましょう/これから鬼の征伐に/ついて行くならやりましょう」(作詞:不祥、作曲:岡野貞一)」―。記憶の底からふいに、童謡の一節が口元によみがえった。1911(明治44)年、文部省唱歌に選定された「桃太郎」である。その前年、日本は韓国を併合(「日韓併合」)し、時代は日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大しつつあった。目の前のスクリ-ンでは「鬼殺隊」のメンバ-たちが鬼たちとの壮絶な死闘を繰り広げている。そんな中、家族を鬼に殺され、妹も鬼に変身させられた主人公(竃門炭治郎=かまどたんじろう)は逡巡する。「鬼の人生にも人であった過去があったはずだ…」

 

 「コ殺隊」―。鬼殺隊にあやかって、こんな言葉がSNS上で飛び交っているらしい。人類を脅威のどん底に突き落とした新型コロナウイルスを「鬼」に見立て、これを征伐しようという発想である。「行きましょう、行きましょう/あなたについて何処までも/家来になって行きましょう」(3番)、「そりゃ進め、そりゃ進め/一度に攻めて攻めやぶり/つぶしてしまえ鬼が島」(4番)、「おもしろい、おもしろい/のこらず鬼を攻めふせて/分捕物をえんやらや」(5番)……。イヌとサルとキジを従えて、鬼が島へ鬼退治に向かう「桃太郎」の光景が否応なく重なってしまう。私が危惧する不安もこのあたりにある。

 

 「『全集中の呼吸』で答弁させていただく」(10月3日付「岩手日報」)―。菅義偉首相は鬼退治に向かう際、気合を入れるために行う鬼滅式呼吸法を引き合いに出しながら、国政運営にこう意気込みを見せた。主人公の炭治郎が身に付けているイヤリングが旧日本軍の軍旗「旭日旗」に酷似していることが話題になっているが、最も警戒すべきはこうした“政治利用”である。一国の宰相に桃太郎を気取ってもらっては迷惑千万である。作家の芥川龍之介は短編『桃太郎』(大正13年)の中で鬼の世界をこう描写している。

 

 「鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥(ごくらくちょう)の囀(さえず)ったりする、美しい天然(てんねん)の楽土(らくど)だった。こういう楽土に生(せい)を享(う)けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽(きょうらく)的に出来上った種族らしい」

 

 「鬼は熱帯的風景の中(うち)に琴(こと)を弾(ひ)いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗る(すこぶ)る安穏(あんのん)に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機(はた)を織ったり、酒を醸(かも)したり、蘭(らん)の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙(きば)の脱(ぬ)けた鬼の母はいつも孫の守(も)りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである」――

 

 「鬼たちとの究極の“和解”」―。私は映画「鬼滅の刃」を「弱きを助け、強きをくじく」という単純な勧善懲悪物語とは解したくはないと思う。災いは繰り返しやって来る。疫病を“鬼視”する考えは古来からあり、「鬼は外」(節分)の風習は厄払いの伝統的な作法である。歴史学者の磯田道史さんはこう語っている。「昔の日本人にとって鬼は祓(はら)うものだったが、今の鬼ブ-ムでは鬼は滅びるものとして人気になっている。鬼に対する捉え方が変わっている」―

 

 巷にはもうすでに「キメハラ」(「鬼滅の刃」ハラスメント)という言葉が飛び交っているという。予想したとおりである。ネット上にはこんな書き込みも。「『鬼滅』を『見ていない』と言うと、まず『なんで?』と信じられないという表情で見られます。さらに『見たほうがいいよ』『人生損してるよ』とまで。面白い、というだけならいいんですが、右を向いても左を向いても鬼滅、鬼滅。読んだり見たりする前から、お腹いっぱいになってきました」―。安易な気持ちで、コ殺隊を志願してはなるまい。二度と“自粛警察”の愚を繰り返さないためにも……。『論語』に「鬼神を敬してこれを遠ざく」という故事がある。

 

 

 スクリ-ンの画面に米大統領選の光景がオ-バ-ラップした。

 

 

 

 

(写真は人気沸騰の「鬼滅の刃」のポスタ―=インターネット上に公開の写真から)

 

号外―「新図書館」問題で,“政治利用“!?…市議が独断で高校生にアンケ-ト調査

  • 号外―「新図書館」問題で,“政治利用“!?…市議が独断で高校生にアンケ-ト調査

 

 「活気呼ぶ新図書館に」、「『花巻』発信の場に」―。7日付の地元紙(「岩手日報」と「岩手日日新聞」)にこんな見出しの記事が載った。県立花巻北高校(川村俊彦校長、677人)の生徒有志が喫緊(きっきん)の課題である「新花巻図書館」の立地場所として、80%以上が「JR花巻駅前」を希望しているというアンケ-ト調査の結果を上田東一市長に報告。「楽しい提案を受けた。こんな図書館ができればよい」などと応じたという内容だった。高校生たちの関心が高いことに意を強くしたが、「裏で一部の市議が糸を引いているらしい」という嫌なうわさが聞こえてきた。

 

 議会側が設置した「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長)によると、特別委小委員会の委員である大原健議員(無所属)から先月、「市内の全高校生を対象にした図書館アンケ-トを実施すべきではないか」という提案があった。特別委としては「市当局が主催するワ-クショップにも高校生や若者世代が参加している。個人の(政治)活動に口をはさむことはできないが、特別委の総意としての実施はしない」―ということで決着がついていたという。ところが、この日の新聞報道は当の特別委のメンバ-たちにも寝耳に水の出来事。「特別委の討議資料として提出するのならまだしも、独断でやったアンケ-トが一方的に公表されるとは…。世論誘導と誤解されかねない」と伊藤委員長は憤慨する。市民の間には「高校生の純粋な気持ちを悪用した卑怯なやり方。許せない」という声も上がっている。

 

 今回の経緯について、市川清志・生涯学習部長はこう話す。「議員活動に関することなのでコメントは避けたいが、10月中旬に大原議員と公明党所属の議員2人が立地場所についての当局側資料を基に10人ほどの生徒と意見交換したと聞いている。これがきっかけとなって、全生徒を対象としたアンケ-トにつながったのではないか。参考にはするが、これによって今後の方向性が変わるということはない。ただ、こうした報道を市民の側がどう受け止めるのか…」―。新聞報道によれば、533人(78・7%)が回答し、うち86%が「駅前立地」に賛成したという。ちなみに、議会側が実施したアンケート調査(回答数91人)では逆に「駅前立地」に賛成したのは約15%に止まった一方で、「まなび学園周辺」が約60%にのぼった。

 

 高校生との意見交換に臨んだ大原議員は「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地(いわゆる、“上田私案”)を一貫して支持してきたひとりだが、その立ち位置には疑問符がついて回ってきた。「法令に規定されているものを除き、各種委員会、審議会等の委員には議員は選出しないこと」―。花巻市議会先例集にはこうした申し合わせ事項がある。大原議員はこの先例集を無視する形で、新花巻図書館問題などを審議する「花巻市社会教育委員会議」の委員にも名前を連ねている。会議のたびに、小委員会委員(議会)の立場に身を置いたと思ったら、今度は社会教育委員会議(審議会)の席にちゃっかりと座っていたり…。今年2月に開催された同会議(議長=石橋恕篤・富士大学教授、委員20人)では「商業施設的なイメ-ジをあわせ持つ“こじゃれ”な図書館をつくっていただいきたい」と当局側の提灯(ちょうちん)をかついでいた。この節操のなさよ!?

 

 さらには、“上田私案”の肩を持ったつもりなのか、「(新図書館の)周辺広場を芝生化するということだが、祭りの山車の運行によって、芝が傷つく心配はないか」(3月定例会での一般質問)などとトンチンカンな質問をする始末。ことあるごとに「火に油を注ぐ」”問題議員”として、周囲から鼻つまみにされていることに、当のご本人は気が付いている気配がないのだから、始末に負えない。“二股膏薬”的なこの振る舞いには「“利益相反”とさえ受け取られかねない。議員の品位が疑われる」と眉をひそめる同僚議員も多い。伊藤委員長は「現在、特別委では真剣勝負の議論が続けられている。今回の独断専行を看過するわけにはいかない。本人から事情を聞きたい」と話している。

 

 

 

(写真は上田市長(左)と藤原忠雅・副市長の前で、アンケ-ト調査の結果について報告する高校生=11月5日、花巻市市長室で。大原議員のフェイスブックから)

 

 

号外―「新花巻図書館」問題…まるごと市民会議の結成へ

  • 号外―「新花巻図書館」問題…まるごと市民会議の結成へ

 

 「おらが図書館を目指して」―。新花巻図書館のあり方をめぐって開かれた「としょかんワ-クショップ」(市主催の計7回)に参加した市民やその動きに関心を寄せる有志が中心になって、「新花巻図書館―まるごと市民会議」が近く結成される運びになった。呼びかけ人代表は市内在住の翻訳家、菊池賞(ほまれ)さん(55)で、ラテン語やドイツ語、イタリア語で書かれた18世紀以前の学術論文の翻訳が専門。

 

  その一冊がドイツ出身のイエズス会司祭、アタナシウス・キルヒャ-(1601―1680)の『普遍音樂』(1650年)。バッハやヘンデルら後代の作曲家たちに多大な影響を与えたが、その好奇心の対象は多岐にわたり、古代エジプトとその言語と象形文字、光学や磁気学をめぐる自然学、音楽、天上界と地上界、地質学、光と影、医学、暗号論、中国学など幅広い分野に及ぶという。『ハ-メルンの笛吹き男』の典拠とも言われる。菊池さんの訳書には他に、E・G・バロン著『リュ-ト 神々の楽器』、V・ガリレイ著『フロニモ』などがある。「図書館こそが知恵の源。みんなでアイディアを出し合いながら、未来に誇れる図書館をつくろう」と菊池さんは多くの市民の参加を呼びかけている。問い合わせは下記まで。

 

 

 

 

 

「新花巻図書館―まるごと市民会議」(結成趣意書)

 

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメ-ジさえ描くことができませんでした。

 

 やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワ-クショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。     

 

                   

呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

                                   

    《問い合わせ先》

 

携帯 090-6229-7738 E-mail mmikisanpe0309@yahoo.co.jp 

                              (牧野 幹)

 

携帯 090-5356-7968 E-mail ymasuko@rapid.ocn.ne.jp   

                              (増子 義久)

 

 

 

 

 

(写真はWSに参加した若者たち。世代を超えた自由な“図書館論議”の中から、「まるごと市民会議」が産声を上げた=10月11日、花巻市葛の市交流会館で)

 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その2…「鶴陰(かくいん)」精神

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その2…「鶴陰(かくいん)」精神

 

 「わが花巻において、安永から明治に至る間に文学・武技および書・画・和歌・俳諧の部門に於て名をなしたる者を合わせて祭る石碑である。…生年月日、卒年月日、年令の長短、血筋の詳細、職位等はすべて辞去した。そういうものが碑文にあっても何の役に立つものではない」(現代語訳)―。『易経』の一節「鶴鳴きて陰に在り。その子、之に和す」を引用して、「鶴陰(かくいん)碑」と名付けられたこの石碑には諸学、諸芸の人士194人の名前が刻まれ、市指定有形文化財に指定されている。

 

 盛岡藩の花巻郡代が置かれていた「花巻城」は明治維新によって払い下げられ、三の丸一帯は戦前まで「東公園」として開放されていた。園内には音楽堂も開設され、見事な桜並木が長いトンネルを作っていた。この地に鶴陰碑が建立されたのは明治17年。碑前で慰霊祭が営まれた時の模様について、地元紙はこう伝えている。

 

 「神前では剣道や槍、柔道の表と裏の技の形などを作法正しく披露し終わり、続いて風流家の歌、俳諧の催しがあり、午後三時頃から夜十時過ぎまで昼夜の催し物を尽くし、打上花火を上げました」

 

 「公園地内は7、8百の紅提灯を吊るし連ね、城跡の中腹下辺りには数百の灯籠を立て並べ、宿場内市中は各戸の軒に提灯を吊るし、大変に賑わいました。同日は特に好天だったため、近郷近在より老若男女の参詣が非常に多く、公園地内は人がぎっしりと詰まっており、かき氷屋は最も繁盛しました」(明治17年8月25日付「岩手新聞」)

 

 花巻出身で北海道帝国大学初代総長を務めた佐藤昌介(1856―1939年)が「花巻魂」と称賛し、その精神が宮沢賢治にも影響を与えたと言われる鶴陰碑はやがて、戦火の中での流浪を余儀なくされる。

 

 

 

(写真は2代目の鶴陰碑。初代は市博物館に移設・展示されている、=10月末、花巻市城内の武徳殿前で)

 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その1…城跡にパチンコ店!?

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その1…城跡にパチンコ店!?

 

 「旧花巻市の中心部の花巻城址(旧三の丸、のちの東公園)に位置し、眼下には北上川が流れ、はるかに胡四王山、早池峰山、姫神山、岩手山など山々がそびえ、閑静で眺望にすぐれ、かつ交通の便が良く市民のいこいの場として利用しやすい」―。東日本大震災が発生するわずか1カ月ほど前の2011(平成23)年2月、一通の陳情書が大石満雄市長(当時)宛てに提出された。元花巻城だった旧新興製作所跡地(旧社屋を含む)に子ども施設(仮称「こどもの城」)と中央図書館を併設する複合施設の建設を要望する内容だった。地元商店街や行政区長会、障がい者福祉施設の関係者など16団体が名前を連ねていた。

 

 大石市長は当初、この構想を前向きにとらえたが、立地の最適地と考えられていた東公園跡地(上部平坦地)を支える擁壁補強に莫大な費用が見込まれることが判明。立地場所を同じ市中心部に位置する旧県立厚生病院跡地に変更した。その後の市長選(平成26年1月)で、現職の上田東一市長が当選した結果、「立地適正化計画」(コンパクトシティ構想)に基づいた中心市街地活性化に方針を転換。その第1号として総合花巻病院が厚生病院跡地へ新築移転し、今年3月にオ-プンした。宙に浮いた格好になっていた「新興跡地」はその後、どういう経緯をたどったのか―

 

 「不特定多数の人々の市街地への誘導が可能となり、新興製作所や東高校などがあった、かつての人の流れを呼びもどし、活性化の一助になる」(陳情書)―。中心市街地の住民たちがこぞって期待したその一帯(「花巻城址」)はいま、“夢の跡”さながらの廃墟と化している。「なんで、街なかにガレキが放置されたままになっているのか」、「あそこがお城の跡だなんて信じられない」…。市当局が主催した「としょかんワ-クショップ」(計7回)で、私は過去の動きを説明しながら、「新花巻図書館」の建設候補地のひとつとして、この場所を提案した。しかし、とくに若い世代のほとんどが“廃墟のナゾ”を知らなかった。私は拙著『イ-ハト-ブ騒動記』(2016年)の中で「『城盗(と)り』攻防記」と題して、その経緯に触れた。この際、過去の記憶を呼びもどすための資料として、その部分を7回にわたって再録したい。

 

 

 

 

 「城跡にパチンコ店とホ-ムセンタ-の立地か。不動産業者が土地取得へ」―。激しかった市議選の余韻も冷めやらないクリスマスのその日、花巻市民はとんでもないプレゼントに腰を抜かした。

 

 2014(平成26)年12月25日、当局側は市中心部の工場敷地がそれまでの所有者から仙台市内の不動産業者へ売却される計画が進行していることを明らかにした。かつて、この一帯は花巻城址だった。その跡地にパチンコ店が進出するという情報に市民はパニック状態に陥った。

 

 「城跡にパチンコ店なんてとんでもない。第三者の手に渡る前に何とかして市側に所有権を移す手立てはないのか」「将来のまちづくりに禍根を残すようなことは絶対に避けるべきだ」「いったん市側で所有権を取得し、利用方法については市民とじっくり話し合ってからでも遅くはない」「イ-ハト-ブはなまきという将来都市像に傷がつく」「賢治のまちづくりはどこに行ってしまったのか」…
 

 「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)は当該土地を「公共用地」として、地方自治体などが取得を希望する場合、買取り希望通知があった日から3週間以内は他に譲渡できないと規定している。公共施設の整備などを優先さるための「土地の先買い制度」で当局側は当初、この跡地の旧社屋などを利用して、図書館や子ども関係の複合施設の立地を計画した経緯があった。

 

 土地所有者の株式会社「新興製作所」は平成19年、市内の工業団地へ移転。以来、工場建屋を残したまま放置されていた。「公拡法」に基づいて提出された「土地有償譲渡届出書」によると、売却面積は約3万5千平方㍍で、譲渡予定額は約7億7千万円。工場建屋の解体費用と相殺し、実際の売却額はわずか百万円に過ぎないことも明らかになった。

 

 地元住民は「市街地の健全な活性化の推進」を求める要望書を突きつけ、当局側は跡地の一部取得を申し入れた。その先買いの期限は年明けの1月26日に迫っていた。

 

 

 

 

(写真は秋晴れの下に無残な姿をさらけ出す花巻城址。高台部分が旧東公園。まさに青天の“霹靂(へきれき)城”=イカズチの神(雷)と呼ぶにふさわしい光景である=2020年10月末、花巻市御田屋町で)