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「愚民化」の権化か!!??…我が首長の恐るべき素顔とそれを取り巻く佞臣や寵臣たち

  • 「愚民化」の権化か!!??…我が首長の恐るべき素顔とそれを取り巻く佞臣や寵臣たち

 

 「為政者が国民を『愚民』と呼ばれる政治的無知状態に陥れ、その批判力を奪おうとする政策、つまり、民主主義の根幹である国民の政治参加を阻害する権威主義に基づき、人々の知性を意図的に非民主的な方向へ偏向させる政策である」―。ウィキペディアはいわゆる「愚民(ぐみん)政策」について、こう説明している。私が「市長へのメ-ル」(10月26日付当ブログ参照)で指摘した市職員の「処分人事」疑惑をめぐって、当市花巻の上田東一市長こそが「愚民化」の権化ではないかという思いを強くしている。「まさか」とは思いたいが、この問題の推移を見るにつけ、そうとしか思えない気持ちになってくる。恐ろしいことである。

 

 懲戒免職処分を受けた市職員の実名が1年8か月以上にわたって、市のHPに掲載されている件に関し「市長へのメ-ル」の中で、私が「人権擁護」の観点からそのすみやかな削除と掲載基準を明らかにするように求めたのは2週間以上も前の10月26日。回答がないのに業(ごう)を煮やし、この日(11月9日)、改めてその遅延の理由を担当部課に問いただしたが、就業時間内での返答はなかった。「愚民」というおぞましい言葉がふつふつと湧き上がってきたのは、その対応の冷たさに背筋が凍ったからである。

 

 今回の市職員の処分人事については、3回(10月26日、同29日、同31日付)にわたってその疑惑を指摘し、メ-ル(11月15日現在、未回答)とは別に「処分事案のHPへの掲載基準」や「処分理由の詳細な内容」などを求める文書開示請求も行った。掲載基準の回答期限は今月中旬とされているが、処分理由については「HPに掲載した以上の回答はない」(担当窓口)とニベもない。「火のない所に煙は立たぬ」、「頭隠して尻隠さず」…。我が「イ-ハト-ブ」(夢の国)がとんでもない奈落(ならく)に向かって転げ落ちていくような、そんな“悪夢”の日々を過ごしている。被処分者の実名がまるで、”さらし首”のようにHP上に掲載されたのは令和2年1月14日。1年10か月以上が経過した今日(11月15日)現在、いまだに削除されていない。

 

 そういえば、郷土ゆかりの新渡戸稲造はその著『武士道』の中に次のように記している。「ただ、主君の言いなりに無節操に媚びへつらい、主君のご機嫌をとりに終始する口先だけの家臣は『佞臣(ねいしん)』と評されます。また、どんな無理難題でも主君の言いなりで、奴隷のように主君に追従するだけの家臣は『寵臣(ろうしん)』と評されます。これらは、主君に命を託す武士道の忠節とは、全く違う次元のもので、軽蔑すべきもので武士道とは無縁です。…こう考えると、武士道の忠節とは、ただやみ雲に主君に絶対服従だけではないこともご理解頂けるかと思います。武士道の忠節とは、命を投げ出しても惜しくない主君を持ってこそ輝きを放つもの、私はこう考えます」(現代語訳)

 

 

 

 

(写真は胸に手を当てる上田市長。9月定例会の開会中、こんな仕草が目立った。「その胸中はいかに?」=花巻市議会議場で。議会のインターネット中継画面から)

 

 

 

 

《追記ー1》~ひとり言

 

 HP上の実名掲載の削除を要求した「市長へのメ-ル」を送信した10月26日時点でなぜすぐに削除されないまま、いまに至っているのか。「人権感覚」などという前に私にはその”神経“がさっぱり、分からない。初動の判断ミスが後々の破滅を予言することは歴史が証明している。そう、あの太平洋戦争の発端がそうであり、ほとんど思考停止状態の中で無謀にも敢行された「インパ-ル作戦」が自滅の道を突き進んだように…。たった一人の「人権」さえも守ろうとしないこの人物のナゾはいまや、できの悪い推理小説の域にまで達しつつあるようだ。いわんや、「市民の安心・安全」においてをや―である。(瀬戸内)寂聴さんが旅立った。寂しい…

 

 

 

《追記―2》~”組織防衛”という名の機能不全!?

 

 「現在、いただいた『市長へのメ-ル』について、その回答を検討しています。もう少し、お時間をお貸しください」―。今回の「処分人事」疑惑をめぐって、担当の人事課担当者から2回にわたって、電話があった。弁解がましい言葉の裏が透けて見える気がした。「はは-ん、この連中は日々、一個人の人権が侵害されているという事の本質(重大性)を何も分かっていないな。次期市長選をめぐって、現職対新人の実質的な選挙戦が進行するさ中、”主君”(現職)にキズがつかないようにするためにはどう対応すればよいのか。そんな”自己保身“に汲々としているというわけだ」―。見事なまでの佞臣と寵臣ぶりに妙に得心した。了解!首を長くして(我が”首長”からの)回答を待つことにしよう。どんな中身なのか、いまから楽しみである。

 

 

《追記―3》~この恥知らず奴(め)が!!??

 

 地方自治体の市長など「常勤特別職」には特定の勤務時間はなく、「公務」以外の行動には原則制約がない。というわけで、我が首長は平日でも“政務”と称して、決裁書類の滞りなどどこ吹く風とばかり、次期市長選に向けたあいさつ回りにいそしんでいるらしい。で、休日ともなればその姿はまさに神出鬼没の勢い。某日には例の「処分人事」の実名掲載の元職員が住む地区に出没、「ご要望をお聞かせください」などと1時間近くにわたって話し込む姿が目撃されている。万が一、私がその場に遭遇したなら、こう詰問したにちがいない。「あんたに要望なんてないよ。いや、あるある。HP上に実名をさらすのはもう、いい加減にしたらどうなのか」。この無神経たるや尋常ではないどころか、もはや“狂気”の沙汰としか言いようがない。

 

 

《追記―4》~”凡庸なる悪“という不気味さ

 

 ドイツ出身の哲学者で思想家のハンナ・ア-レント(1906―1975年)はナチズムによるユダヤ人大虐殺について、「悪の凡庸」という表現でこう記している。「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を私は”悪の凡庸さ”と名付けました」(『エルサレムのアイヒマン』)―。未曾有の殺人を行った首謀者のアイヒマンは「上から言われたことをしただけ」と裁判で話した。考えることを放棄することで、誰もが”アイヒマン“になりうる可能性をこの名言は教えてくれる。宮沢賢治が「イ-ハト-ブ」(夢の国)と呼んだ我がふるさとが“凡庸なる悪”に染まっていく悪夢をみた。

 

 

次期市長への政策提言―「イ-ハト-ブ花巻有志の会」

  • 次期市長への政策提言―「イ-ハト-ブ花巻有志の会」

 

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった」(『雪国』)。ノ-ベル賞作家、川端康成の有名な書き出しを借用すれば、こんなイメ-ジになるのだろうか。「花巻駅に降りたら、賢治さんが目の前に立っていた。そこは銀河宇宙への入り口だった」―。私たち有志はこんな願いを込めて、「『イ-ハト-ブ』の実現を目指す花巻有志の会」(略称「イ-ハト-ブ花巻有志の会」)をこのほど、結成した(趣意書は10月15日付当ブログに掲載)。来年1月に誕生する新市長に対しては、こうした見果てぬ夢にもぜひ「聞く耳」を持ってほしいと思う。以下に記す当会の政策提言は将来の市政運営にとって、欠かせない基本施策だと考える。商工業や農業、健康・福祉、教育、少子高齢化、防災など社会のセーフティネット(安全網)に関わる基本分野については割愛する。

 

 

 

●合併15周年の検証

 

~旧3町と旧花巻市との平成の大合併から今年は15年。この節目の機会に総合支所体制やコミュニティ会議の役割や機能を再点検し、たとえば、総合支所の機能強化など見直しが必要な部分については大胆に変革する。「境界領域マネジメント」(役重眞喜子)手法の活用。

 

 

●旧3町のレガシ-(遺産・資源)の掘り起こしと再生

 

~大迫、東和、石鳥谷の旧3町には独自の歴史や文化、風土が育まれてきた。しかし、少子高齢化の影響をもろに受け、過疎化の波にほんろうされている。こうした逆境の中で求められるものこそが「発想」の転換である。

 

~国の重要無形民俗文化財の指定第1号で、ユネスコ無形文化遺産登録の「早池峰神楽」とハヤチネウスユキソウなど5種類の固有種が自生する霊峰・早池峰山、(最近では食害被害が多いが)山野をかっ歩する野生のニホンジカ、ワインの香り…。こうした自然環境をまるごと「ユネスコエコパ-ク」(生物圏保存地域)に登録申請し、自然と人間との共生を目指す。また、大迫高校に「神楽専攻科」を設置し、山村留学のモデル校として全国発信する。「SDGs」(持続可能な社会)の未来へ向けて。

 

~旧東和町は阪神淡路大震災(1995年)の際、全国に先駆けて「被災者受け入れ」条例を制定するなど移住者に広く門戸を開いてきた自治体として知られる。この時の体験は「川崎市との交流」や「全国東和町サミット」「滞在型農園」「山野草クッキングツア-」など様々な成果となって、現在に引き継がれている。こうした「移住定住」政策の先験に学ぶ。

 

~旧石鳥谷町は酒文化と南部杜氏のまちとして、大迫、東和とは別の歴史を歩んできた。音楽家の佐藤司美子さんが「酒つくり唄」(作業唄)を復刻・CD化するなど伝統文化の継承も盛ん。「記憶」の再生の大切さを学ぶ。

 

 

●上田(東一)市政のキ-ワ-ドのひとつ―「立地適正化計画」の総点検

 

~計画立案に至る経緯=「市長就任」(2014年=平成26年2月5日)→「改正都市再生特別措置法(立地適正化計画の創設)」(同2月12日閣議決定、同5月21日公布、同8月1日施行)→「花巻市立地適正化計画」が全国で3番目に策定(2016=平成28年6月1日)=補助金行政への過度の依存とそれに伴う独創性の欠如。

 

~総合花巻病院の移転・新築、花巻中央広場、新花巻図書館構想、JR花巻駅の東西自由通路(橋上化)構想の政策立案過程とその是非の検証。新花巻図書館については「図書館とは何か」という”そもそも”論に立ち、ゼロベ-スから議論をやり直す。橋上化についてはその受益者負担の不公平性や立案過程の不透明性、「レインボ-計画」というレガシ‐(遺産)の破壊につながるなどの観点から、全面白紙撤回へ。

 

 

●将来都市像「イ-ハト-ブはなまき」を実践するための具体的な処方箋の策定

 

~1市3町には宮沢賢治の愛好家らでつくる読書団体や読み聞かせグル-プが数多く存在する。いわば、花巻(イ-ハト-ブ)を全体として貫く「思索」の基軸ともいえる。全域の精神的な土壌(風土)としての新たな”賢治学”の創設へ。

 

~一方、賢治の影響を受け、宮沢賢治賞やイ-ハト-ブ賞を受賞した人たちは128の個人・団体にのぼっている。この中には高木仁三郎(物理学者、故人)や井上ひさし(作家、故人)、池澤夏樹(作家)、アフガンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲、高橋源一郎(作家)、吉本隆明(評論家、故人)、むのたけじ(ジャーナリスト、故人)、高畑勲(映画監督、故人)、色川大吉(民衆思想家、故人)の各氏など各界各層のキラ星のような人材が並んでいる。こうした“賢治人脈”の源流を探る。

 

~たとえば、「イ-ハト-ブ花巻有志の会」の趣意書にはこんな処方箋が示されている。「現在のJR花巻駅はそのまま残し、隣接する地下道には賢治童話をイメ-ジしたメルヘンチックな空間を創出し、『銀河鉄道始発駅』みたいな雰囲気のまちづくりを目指したい」。どこでも賢治と“遭遇”できるまちづくりへ。

 

 

●遊休跡地の有効活用~未来世代を見つめて

 

~旧花巻市内の中心部には「末広町」(旧花巻警察署)、御田屋町(旧新興製作所=花巻城址三の丸)、吹張町(旧料亭「まん福」)、花城町(旧総合花巻病院)などの一等地が遊休跡地として放置されたままになっている。その立地条件の良さの有効利用こそが将来のまちづくりの生命線と言える。

 

~たとえば過日、開催された「まん福」跡地の利活用を話し合うワ-クショップ(WS)ではその地の利を生かしたアイデアが多く出された。中でも現在、建設場所をめぐって迷走を続けている「新花巻図書館」については「この高台こそが最適地ではないか」という意見が3人から出されて注目された。一方、花巻駅前への立地計画もJRとの土地取得交渉が不透明な状況にあり、さらに候補地のひとつとされている「花病跡地」の建物撤去作業は大幅に遅れる見通しが明らかにされるなど難問が山積している。

 

~こうした状況下、「新興跡地」の市有地化なども視野に入れ、一部受益者だけではなく、旧3町を含めた全市民の意見集約を市政課題と位置付ける。新幹線「新花巻駅」誘致を成功に導いた全市民的な“住民運動”の記憶を呼び戻す。

 

 

 

●中心市街地の活性化~「賢治」の息遣いが聞こえるまちに

 

~賢治の生家や賢治童話『黒ぶだう』の舞台とされる菊池捍(きくちまもる)邸、交流施設「賢治の広場」などが集中するこの一帯を「賢治」と一緒に散策できるゾ-ンに。賢治は生前、「下の畑」で収穫した野菜や花きなどをリヤカ-積み、この界隈で売り歩いた。この「リアカ-」行商を復活させる現代版「楽市楽座」(どでびっくり市=フリ-マ-ケット)の常設化。「まん福」跡地への新花巻図書館立地が実現すれば、一体的な導線効果も期待できる。

 

 

●理念型観光ル-トの確立~「メルヘンル-ト」の形成

 

~「平泉」(藤原清衡ら”奥州藤原3代”の歴史と記憶)―「花巻」(宮沢賢治、新渡戸稲造、佐藤昌介、島善鄰、高村光太郎、萬鉄五郎らの風土的な足跡)―「遠野」(柳田国男、佐々木喜善、 伊能嘉矩らの民俗史の軌跡)―「釜石・大槌など三陸」(井上ひさしの全身小説家としての奇想天外譚)を結ぶ観光ル-トをめぐりながら、単なる物見遊山型観光から「理念型」観光への脱却。

 

 

●広域行政の模索~隣市・北上との対話の促進

 

~工業化が進む北上市では現在、住宅ラッシュは続いている。ほとんどが「キオクシア」など大規模な工場団地で働く労働者向けの住宅建設で、空き地に余裕がなくなった同市では居住地を「花南」地区など温泉地・花巻に求める動きが加速している。こうした一体的な地域開発にとって不可欠なのは行政トップ同士の意思疎通。市境の壁を取り払って、広域行政のモデルを構築する。

 

 

 

 

(写真はJR花巻駅前の「風の鳴る林」を取り入れた、賢治をイメ-ジさせるチラシ)

 

 

 

「不条理を問い続けた生涯」…李鶴来(イ・ハンネ)さん

  • 「不条理を問い続けた生涯」…李鶴来(イ・ハンネ)さん

 

 『李鶴来さん追悼文集~不条理を問い続けた生涯を偲ぶ~』と題する大型の冊子が届いた。今年3月28日、96歳の生涯を閉じた元BC級戦犯、李鶴来(イ・ハンネ)さんを偲ぶ追悼集である。李さんは1925年、現在の韓国・全羅南道に生まれ戦時中、日本軍軍属としてタイの捕虜収容所の監視員を務めた。戦後のBC級戦犯裁判において捕虜虐待容疑で死刑判決を受け、その後減刑・仮釈放された。戦後の日本政府の援護制度の下では日本国籍を喪失したという理由で排除された。生涯、その「不条理」を訴え続けた。

 

 追悼文集には在日同胞や海外在住者、取材関係者、若者世代など110人が「名誉回復」に生涯を捧げた李さんに対する思いを寄せた。私もそのひとりで、以下にその全文を掲載する。次期花巻市長選への動きが風雲急を告げる中、現職の数限りない「不条理」を追及する源(みなもと)を与えてくれたのも李さんの「不屈」の精神だと思う。心からの感謝とご冥福を改めてお祈りしたい。

 

 

 「輝ける独立を前に希望に躍る朝鮮人諸君、諸君が永い間日本人から圧迫と差別を加へられて来たが、然し今は自由に解放されたのである。…今までの日本人の悪かつた点は許し、互に手を握りあつて平和世界の促進に努めよう。吾々アイヌも亦諸君の本当の友として進みたい」―。李鶴来(イ・ハンネ)さんが旅立った2日後に発行された書籍の一節に虚を突かれた。『「アイヌ新聞」記者 高橋真―反骨孤高の新聞人』(合田一道著)の中の文章である。敗戦翌年の1946年6月10日,在日本朝鮮人聯盟北海道本部が開催した集会で、アイヌ出身の新聞記者、高橋真は高らかにこう宣言した。植民地支配の「不条理」をいち早く見抜いていたのがアイヌ民族だったことに胸を突かれたのだった。

 

 「日本が国として、謝罪しないのなら、私自身が出向いて捕虜たちに直接、頭を下げたい。捕虜を虐待したという点では、私たちBC級戦犯にも加害の責任ある」―。ちょうど30年前の1991年、私はオ-ストラリアへの“謝罪の旅”に赴(おもむ)く李さんに同行取材した。映画「戦場にかける橋」で知られる泰緬(たいめん)鉄道(タイ~ミャンマ-間)の工事現場で、李さんは“日本軍”軍属として、連合国軍の捕虜監視に当たった。その多くがオ-ストラリア人捕虜だった。「ノ-モア・ヒントク、ノ-モア・ウォ-」―。李さんは最大の難所だった現場の地名「ヒントク」を刻んだ時計を当時の捕虜の代表に贈った。「心の区切りを付けるのに半世紀近くもかかってしまった」とその時、李さんの口からふ~っとひとり言のようにもれた言葉がまだ、脳裏にこびりついている。

 

 「戦争責任を肩代わりさせられたうえ、戦犯の烙印を押すという不条理が許されるのか。さらには祖国から注がれる対日協力者という厳しい目…」―。本来なら、植民地支配の“被害者”であるはずの李さん自らが“加害者”として、かつての敵国に赴くという視座の逆転。まぎれもなく「加害」の立場に身を置く日本人の私は揺れ動く気持ちに抗(あらが)いながら、その場の光景を写真に収めたことを覚えている。この不条理の瞬間を無意識のうちに「記憶」の底に刻み込もうとしていたのかもしれない。辛うじて「デス・バイ・ハンギング」(絞首刑)から逃れた李さんは終生、この「不条理」という言葉を口にした。

 

 「日本政府は私たち元戦犯を都合の良い時は“日本人”、悪い時は“朝鮮人”として扱った」―。戦後の援護政策から排除されるという究極の「人権侵害」を語る時、ふだんは温厚な李さんに怒りの表情がにじんだことを私は忘れない。元アイヌ新聞記者(高橋真)と元韓国人BC級戦犯(李鶴来)―。この二人の人物との邂逅(かいこう)がなかったなら、齢(よわい)81歳という軟弱な男はとっくの昔にこけていたにちがいない。この世の不条理にブツブツと悪態をつきながら、もう少し生きてみたいと思う。被差別の内奥を生き抜いた先達たちに心からの感謝を捧げつつ…。           

 

 

 

 

(写真はありし日の李さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

「処分人事」疑惑―その3 まるで、”お手盛り”処分の見本市!?~「おごれる者、久しからず」

  • 「処分人事」疑惑―その3 まるで、”お手盛り”処分の見本市!?~「おごれる者、久しからず」

 

 今回、被処分者のHP上への実名掲載を指摘したのは実は、今年8月に起きた花巻市副市長のいわゆる“会食”事件が直接のきっかけだった。この際、上田東一市長の監督責任を問うた“処分”は給料の減額10の1(2か月)。前市政下の平成25年には入札妨害や著作権侵害などの重要案件について、当時の市長は10分の3(4か月)という重い“処分”を自らに科している。猛威を振るうコロナ禍の中、県が発出した緊急事態宣言下での不祥事にしては随分と軽すぎるのではないか…とHPを点検してみたら、出てくるわ、出てくるわ。で、三度目の正直はというと―

 

 「不適切な契約事務処理」という理由によって、令和元年7月2日付で40代の女性職員(係長級)が減給10分の1(1か月)の処分を受けたことが掲載されている。他の被処分者は部長級から係長級の5人に対する「訓告」。「決裁を経ずに契約を作成した」などとだけ書かれた事案の概要に目をむいた。世間を騒がせた“公文書”偽造問題が頭をよぎったからである。懲戒免職事案については当然のことながら、その処分理由が事細かに記載され、市長コメントも付されているケ-スもある。しかし、今回の事案については「契約事務」という市政運営の根幹にかかわる政策案件にもかかわらず、その処分理由の詳細はなぜか、伏されたままである。

 

 一連の「処分人事」疑惑をめぐって、その真相解明を求める「市長へのメ-ル」を提出してすでに1週間近くがたつ。この「黙殺」戦術に対抗するため、今回の事案についてもその詳細な処分理由を明らかにするよう、同日(10月31日)付で文書開示請求をした。“人事権”(アメとムチ)ちらつかせながら、霞が関(官僚)を支配下に置いた永田町界隈の光景が二重写しになる。まさに「上田流」の真骨頂ではある。

 

 

 

 

(写真は処分理由が不透明なHP上の掲載=花巻市のHPから)

 

 

 

《追記》~おごれる者、久しからず(コメント欄に写真掲載)

 

 

 総選挙投開票日の31日、花巻市内で“青い目”の筑前琵琶奏者、スイス生まれのシルヴァン・ギニヤ-ルさん(70)の演奏会が開かれた。市内の琴愛好グル-プ「筝曄会」のコンサ-トにゲストとして招かれ、『平家物語』の名場面「熊谷と敦盛」(敦盛の最期)の弾き語りを披露した。ギニヤ-ルさんの切々たる琵琶の旋律に聞きほれながら、私は無意識のうちに、あの有名な書き出しを脳裏に思い浮かべていた。

 

 「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり/娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす/おごれる者、久しからず、ただ春の夜の夢のごとし/猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」…。足元の“選挙狂騒曲”の光景がふいに「源平合戦」を呼び戻したのかもしれない。「(宮沢)賢治さんのふるさとで演奏できたことがとてもうれしい」とギニヤークさん。会場ではまるで、その賢治の物語世界を連想させるような「ひかるの世界」展がコラボ開催された。花巻小学校5年、大平ひかるさん(10歳)がカラ-マ-カ-を使って描いた個展で、会話が苦手なひかるさんは「自然の仲間たちの楽しい姿を見て…」とニッコリほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「処分人事」疑惑ーその2 人生を左右する「処分人事」…まるで気まぐれな“上田流”!?

  • 「処分人事」疑惑ーその2 人生を左右する「処分人事」…まるで気まぐれな“上田流”!?

 

 懲戒免職処分を受けた元市職員の実名が1年8ケ月以上の長期にわたって、花巻市のHP(ホ-ムペ-ジ)に掲載されている事案に関連し、10月26日付の「市長へのメール」で一刻も早い「削除」を求めたが、4日たった29日現在も削除された形跡はない。ということは、上田東一市長にその意志がないものと判断。改めて、同様の事案との整合性について、見解を問いたい。

 

 当該事案が発生する約3年前の平成29年3月21日付で、30代の男性職員が同様の懲戒免職処分を受け、退職を余儀なくされた。有印公文書偽造・同行使で有罪になったケ‐スだったが、この際のHP上の掲載は匿名扱いになっている。「実名」と「匿名」の掲載基準はどう定められているのか。今回の発端となった実名掲載の事案は刑事罰よりは軽い“行政罰”だったのに対し、この異同は何を根拠になされたのか―まるで気まぐれで恣意的とさえいえる「人権感覚」にゾッとする。実名をさらされ続ける市職員が仮に自分だったらとふと、考えた。「処分に服した一個人の過去をまるで“見せしめ”のように公開し続けるのは立派な名誉棄損に当たるのではないか。もっと言えば、”公開処刑“にも匹敵する悪意ではないか」…

 

 実名の削除どころか、未だにHP上への処分事案の掲載基準の回答さえない。「待ったなし」という切羽詰まった気持ちでこの日、別途、「掲載基準」の文書開示請求をした。事あるごとに「コンプライアンス」(社会規範を含む法令遵守)を口にする上田市長の真意を知りたいと思う。「イーハトーブ」の首長であるこの人には前途ある若者の将来を気遣う”慈しみ”の心はないのだろうか―。最高学府で法律を修めたという触れ込みだったはずだが………。「罪を憎んで、人を憎まず」

 

 

 

(写真は同じ懲戒免職処分なのに「匿名」扱いの処分事例=花巻市のHPより)