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小原前市議会議長が次期市長選への出馬を正式表明、地方自治の原点へ

  • 小原前市議会議長が次期市長選への出馬を正式表明、地方自治の原点へ

 

 「行政に市民各層の意見を取り入れ、現場の最前線の市職員の皆さんの創意工夫を汲み上げ、さらに互いに監視しあう二元代表制の議会の場で議論を尽くしたい」―。花巻市議会の前市議会議長、小原雅道氏(61)が8日、来年1月の次期市長選への出馬を正式に表明。いまこそ、憲法に定められた「地方自治の本旨」に原点回帰すべきだと、冒頭のような決意を語った。さらに、現下のコロナ禍に触れ、「この感染症によって、あらゆることを他人事ではなく、『自分事』として見つめ直すことの大切さを教えられたという気がする。こうした内なる声と市民の皆さまの声に突き動かされた」とその動機を口にし、不退転の覚悟で選挙戦に臨む姿勢を明らかにした。

 

 報道機関への記者会見の形で開かれ、後援会長の医療法人「ほがらか会」(もとだて病院)理事長で医師の高橋典克さん(60)が「私は単なる町医者。しかし、小原さんの人柄に魅かれてこの重責を引き受けることにした。人と人、心と心のきずなを結び付けることに微力を捧げたい」とあいさつ。支援母体の「はなまきを良くする1000人会議」(阿部一郎代表)ら支持者10数人が同席。手話通訳の女性が会話の橋渡しをした。

 

 小原氏は「まちづくり/5つの戦略」として、①地域力創造会議の設置、②地域経済の「見える化」の推進、③地域におけるデジタル化の推進、④持続可能な美しい地域づくり、⑤価値観の多様化教育―を挙げ、現市政が手がける新図書館建設やJR花巻駅の橋上化などの大型プロジェクトについては「継承できる部分は受け継ぎ、市民や議会の理解が得られなかった部分については、その原因を改めて検証し、市民の皆さんに喜ばれる施策としたい」と述べた。また、市政運営の理想や現市政との違いを問われた小原氏は「郷土の先達である宮沢賢治や新渡戸稲造らに共通しているのは『寛容の精神』。自分の声を届ける前にまず、市民の皆さんの声に耳を傾けたい」と“聞く耳”の大切さを強調した。

 

 小原氏は旧東和町の出身。県立花巻北高を卒業した後、民放テレビ局「岩手めんこいテレビ」の報道記者を経て、旧東和町議を含めた花巻市議(平成18年8月~令和3年9月)を歴任。平成27年5月から今回の議員辞職に至るまで市議会議長を務めた。次期市長選は令和4年1月16日告示、23日投開票。すでに現職の上田東一市長が出馬を表明しており、この二人による一騎打ちになりそうな公算が強い。

 

 

 

(写真は出馬の決意を表明する小原氏(右)とその左側が高橋後援会長=10月8日、花巻市内で)

 

忙中閑…映画「MINAMATA」がいまに伝えること

  • 忙中閑…映画「MINAMATA」がいまに伝えること

 

 

 「私たちは皆、ただの一片のホコリであり、同時に小さな力なのです。私たちが窮地に立たされたとき、誰かが率先して、巨大な壁を壊そうとすれば、きっと大勢の人々が後に続いてくれるはずです」―。米国のスタ-俳優ジョニ-・デップ制作・主演の映画「MINAMATA-ミナマタ」(2020年)について、デップはこう語っている。水俣病の「公式確認」から65年の今年、伝説的なフォトジャ-ナリストであるユ-ジン・スミス(1918―1978年)を主人公にすえたこの話題作が日本で封切られた。コロナ禍のさ中で「パラダイムシフト」(価値の大転換)が求められるいまこそ、この映画は見られるべきではないのか―そう思った。

 

 “猫おどり病”などと奇病扱いされていた「水俣病」の現地、熊本県水俣市にユ-ジンと妻のアイリ-ン・美緒子・スミスが滞在したのは1971年から約3年間。当時、現地は有機水銀を垂れ流した原因企業の「チッソ」(当時)と患者家族の間で、損害賠償を求める裁判が起こされるなど騒然とした空気に包まれていた。ユ-ジンとアイリ-ンは1975年、写真集「MINAMATA」を出版、世界的に大きな反響を呼んだ。「水俣の核心はこれが神の仕業などではなく、人間がやったという事実です。水俣のことを知った時、私はいま、何かをすべきだと直感しました」(9月26日付「朝日新聞」)―。デップのこの言葉にはユ-ジンになり切って「水俣」を再現しようという強い意志が感じられる。

 

 二人が水俣に滞在していた時期は私が新聞社の記者として、九州を管轄する西部本社に在籍していた時期とちょうど重なる。取材で現地を訪れた際、カメラを手にするユ-ジンと遭遇したこともある。映画のラストで「母子の入浴シ-ン」がクロ-ズアップされる。1971年のクリスマス前後の撮影とされる。「私が食べた水銀をこの子が全部吸い取ってくれました。水銀の毒を自分ひとりで背負って生まれてきたのです。だから私やあとから生まれた残り6人の弟妹は無事だったんです。この子は家族の“宝子”ですたい」―。母親がこう語る”宝子”はわずか21歳でその短い生を終えた。このあまりにも美しい「悲話」に打ちのめされた私だったが、今度はデップがそれを現代に見事によみがえらせてくれた。

 

 「声をあげて、世界に訴えよう」―。抗議行動の先頭に立つ「ヤマザキ・ミツオ」役(真田広之)にいまは亡き「川本輝夫」さん(享年67歳)の姿が重なった。チッソ本社(東京)の会議室で、テ-ブルに座り込む「ヤマザキ」の姿が映画に映し出される。1971年夏、環境庁(当時)は川本さんら未認定患者9人の行政不服審査に対する棄却処分を取り消した。1年6ヶ月にわたる本社前での座り込みや本社役員との自主交渉の最前線にいたのが川本さんだった。その結果、川本さんは逆に傷害罪で起訴されたが、訴追権の乱用に当たるとされ、無罪を勝ち取った。取材で親しくなった川本さんは気性が激しい反面、ホッとするほどの優しさをあわせ持つ人だった。「川本さんはね、天使です」―。水俣病に寄り添い続けた作家の石牟礼道子さん(故人)が生前、ふともらした言葉を思い出した。

 

 盛岡での映画鑑賞の帰途、カ-ラジオが新総裁の誕生を伝えていた。「国民の声に謙虚に耳を傾けたい」と殊勝に語っている。その言葉にウソがないことを願いたい。城下町「ミナマタ」を支配下に置いたチッソのように、片や「聞く耳」を持たない我が「イ-ハト-ブ国」のトップの去就を占う首長選挙も来年1月に迫っている。私が九州勤務を終え、東北の地方支局に転勤したあと、川本さんを講師に呼んで市民たちと「水俣病」の勉強会を開いたことがあった。打ち上げの酒の席で、照れながらこう言った。「おらは見た目は直情型ばってん、根は気弱な男じゃけん…」―。その虚勢の無ささに逆にこの人の芯の太さを見た思いがした。

 

 映画のシ-ンのひとこまひとこまが走馬灯のように目の前に去来した。「巨悪に立ち向かったユ-ジンや川本さん、“宝子”の澄んだ眼差し…。それを目の前に再現してくれたデップに心からの感謝を捧げたい」―心底、そう思った。東日本大震災と福島原発事故、そして沖縄の米軍基地問題…。すべては地続きの延長線上にある。「MINAMATA」を見ながら、コロナ禍のいまこそ、人類は変わらなければならないという思いを強くした。と同時に、ハリウッドの売れっ子俳優がこうした重いテ-マに取り組むという米国映画界の懐の深さにも脱帽した。

 

 ユージンはチッソ五井工場(千葉県)での取材中、労働組合員らから暴行を受け、その時の傷に持病が重なって、59歳の若さで旅立った。現在、71歳のアイリーンはいまも、環境問題の最前線で活躍している。「ミナマタ」そのものを描くことをあえて避け、逆に「ミナマタ」を描き切った稀有な作品と言える。

 

 

 

 

(写真は抗議行動に立ち会うユ-ジン(デップ)とアイリ-ン(美波)=インタ-ネット上に公開の映画の一場面から)

 

 

 

《追記ー1》~小原議長が議員辞職

 

 

 花巻市議会の小原雅道議長(61)が9月30日付で、議員辞職願いを副議長あてに提出した。小原氏は来年1月に施行される次期市長選に出馬の意向を示しており、これに向けた辞職とみられる。また、議長職の辞職は議会の議決事項となっているため、10月中に予定されている臨時市議会に上程される見通し。近く、正式な出馬表明をするという。これにより、すでに出馬表明をしている現職の上田東一市長との一騎打ちになる公算が強まった。

 

 

《追記ー2》~「他人事」から「自分事」へ

 

 「実子の瞳に、心かき乱され/水俣の声なき声、ユージンは世界に警告した」―10月3日付「朝日新聞」1面にいまだ終わりのない水俣病の惨禍と映画「MINAMATA」を紹介する特集記事が掲載された。ユージンが同名の写真集(序)に「私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった」と記してから50年近くが過ぎた。過去に例のないこの「受難」を他人事として、忘却の彼方に打ち捨ててきた私たちはやっとコロナ禍の下で、その当事者性(自分事)に気が付いたのかもしれない。 

 

 

 

 

 

上田市長が正式に出馬表明…“失われた8年”はいずこに!?

  • 上田市長が正式に出馬表明…“失われた8年”はいずこに!?

 

 「国民の命と暮らしを守る」というまるで百万遍念仏みたいな“呪文”を唱え続けた上、結局は退陣に追い込まれることになった菅義偉首相と入れ替わるように、今度はその“亡霊”がよみがえったのではないかと一瞬、頭の中に言いしれない虚無が去来した。花巻市の上田東一市長(67)は24日正式に3選出馬を表明したが、政治家の初心には欠かせない心のこもったメッセ-ジは聞かれずじまい(24日付当ブログ「指導者のスピ-チ」参照)。さらに、その大切な資質のひとつとして、“言魂”(ことだま)を言挙げする割りには魂を揺さぶるようなひとかけらも伝わってはこなかった。まずは、岩手日日新聞(9月25日付)からその出馬“語録”のいくつかを拾ってみると―

 

▽「市民の力であと4年間の任期を頂き、働かせてほしい。市の維持発展、市民の命と暮らしを守るため全力を尽くしてきたが、多くの事業は姿が見えてきたものの、未だ道半ばだ」

▽「財政基盤がしっかりしている今こそ、今後4年間に取り組むことが花巻の将来の基礎を決める4年といってもいい」

▽「市民が望む新しい図書館の姿を話し合い、実現に向けた諸課題を解決していく。JRとさらなる調査を行い、市の財政上無理のない計画を策定し、市民にその是非を問いたい」(新図書館建設やJR花巻駅の橋上化などについて)

 

 オヤっと思った。任期を重ねた政治家たるものは大抵在任中の政治運営について、その瑕疵(かし)も含めて、反省のひとくさりを口にするものである。現に目の前の自民党総裁選をめぐっては、胸の内はさておいて「過去の反省」のオンパレ-ドである。メルケル演説のような“政治哲学”は最初から望むべくもないが、たとえば、市民参画という手続きを一切無視して公表した「住宅付付き図書館」の駅前立地構想とその白紙撤回、橋上化に伴う調査費予算が議会側に否決されたにもかかわらず、“やらせ要請”という疑惑の中で予算を再上程するという強権突破。そして、終始つきまとった「PO」(パワハラ&ワンマン)疑惑の数々…。「緘黙」(かんもく)を貫いたところがこの人らしいと思えば、その通りである。

 

 次期市長選(2022年1月16日告示、同23日投開票)にはすでに花巻市議会議長の小原雅道さん(61)も出馬の意向を示しており、両者の一騎打ちになる公算が強い。「失われた8年」を取り戻すためにも議会制民主主義にのっとった“マナジリ”を決した真剣勝負を双方に望みたい。私たち市民はもう「お任せ民主主義」のツケはブーメランのように自身に舞い戻ってくることを知ってしまっている。

 

 

 

 

(写真は菅首相のパクリみたいな“公約”を掲げて、記者会見に臨んだ上田市長=9月24日、花巻市内のホテルで。IBCテレビの放映画面から)

 

 

 

 

指導者の「スピ-チ」…メルケルと菅と上田と~その「Mr.PO」が3選出馬の意向表明

  • 指導者の「スピ-チ」…メルケルと菅と上田と~その「Mr.PO」が3選出馬の意向表明

 

 「こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです」―。ドイツのメルケル首相は昨年3月18日のテレビ演説で、コロナ禍に伴うロックダウンに際し、国民にこう訴えた。私はいま、この感動的な演説の残響音を耳に聞きながら、地元紙「岩手日報」の記事に目を落としている。

 

 「上田氏3選出馬へ/花巻市長選」―。こんな見出しが1面に躍っていた。「上田氏」とは私がその市政運営のひどさ…「PO」(パワハラ&ワンマン)を批判するためにあえて命名した現職の上田東一市長を指している。同市長選にはすでに小原雅道・市議会議長が出馬の意向を示しており、同紙は「事実上の一騎打ちになりそう」と伝えている。この人は現下のコロナ禍にどう向き合ってきたのであろうか―。そう思い、HP上に掲載されている「花巻市長からのメッセ-ジ」を読み直してみた。9月24日現在の掲載本数は計16本。罹患状況やワクチン接種に関する情報がほとんどで、メルケル演説のような、いわゆる“琴線”に触れる言葉にお目にかかることは皆無と言っていい。

 

 「親戚で集まっての法事やお墓参り、バ-ベキュ-などの中止や延期。やむを得ず、集まる場合であっても会食等を厳に控えること」―。県が独自の「緊急事態宣言」を発令した8月12日、上田市長は改めて、こう呼びかけた。「市民の皆様におかれましては、8月のこの時期はお盆休みや夏休みに入られている方も多いことと存じますが、ひとりひとりが、あらためて感染拡大防止に取り組むようお願いします」。側近中の側近である藤原忠雅・副市長による“会食”事件が起きたのはこの翌日のこと。まさに“懐刀”の耳にもトップの言葉は届いていなかったという驚愕すべき事態。「聞く耳」を持たない”裸の王様”は実は「Mr.PO」だけではなかったというわけである。”馬の耳に念仏”、いや”馬耳『東風』”を地で行く下手な大絵巻を見せつけられた思いだった。

 

 「国民の命と暮らしを守る」―。一方で、百万遍念仏みたいにこの言葉を繰り返してきた菅義偉首相はわずか1年余りで退陣に追い込まれることになった。その大きな要因に「言葉の不在」を指摘する論者が多い。たとえば、臨床心理士の東畑開人さんは「問われるべきは自分の言葉だ。いや、違う。より根源的な問題は自分の耳にある。話を聞いてもらうためには、先に聞かなくてはならぬ。聞かずに語った言葉は聞かれない」(9月16日付「朝日新聞」)。さらに、哲学者で東京大学准教授の国分功一郎さんは菅退陣をめぐって「言葉の破壊をやめ、信じる価値語れ」と題して、こう語っている。

 

 「背景にあるのは『言葉の破壊』ではないのか。我々と世界をつなぎとめているのは言葉である。(昨年3月のメルケル演説は)権利制限の必要性を国民に訴えた。東独出身である自身の重い経験を踏まえながら、政治家として事態に応答する責任を示した演説だった。政治の言葉はまだ生きているのだと感じさせる迫力があった。だからこそ政治家は、自らの信じる価値を自らの言葉で語り、国民が政治について判断を下すための助力をする者でなければならない」(9月17日付「朝日新聞」)―

 

 「言葉が大事だ。日本文化には“言魂”(ことだま)という表現がある。言葉は命、魂だという意味だ。今回の件は日本の文化としても許すことはできない」―。9月8日付「岩手日報」に「本人、保護者死亡と誤送付」という大見出しの記事が掲載された。花巻市が市内在住の重度心身障害者10人に対し、7月2日付で本人や保護者が死亡したものと誤認し、医療費助成に必要な資格確認の届け出文書を送付していたという内容だった。今議会でこの「人権侵害」事案についてただされた際に発せられたのが、この発言である。謝罪の作法について、能書きを垂れたかったのかもしれないが、私はわが耳目を疑い、キョトンとして議会中継の画面を見つめていた。「まさか、この人の口から!?」という思いにとらわれたのである。

 

 3選出馬に際し、「Mr.PO」の口からどんな魂(たましい)のこもった言葉が発せられるのか、いまから楽しみである。花巻市議会の9月定例会は24日に閉会。「イーハトーブ国」はこれから激烈な選挙戦に突入する。次期市長選は来年1月13日告示、同23日投開票。いざ、「秋の陣」から「冬の陣」へ……

 

 

 

 

 

(写真はテレビ演説で国民に訴えるメルケル首相=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

パンデミックの夜の十五夜(中秋の名月)、そして賢治からの”伝言”……

  • パンデミックの夜の十五夜(中秋の名月)、そして賢治からの”伝言”……

 

 「そういえば、今日は賢治の88回忌に当たる日だな」―。まんまるなお月さんを仰ぎ見ようと思い立った矢先、その命日を失念していた自分に粛然(しゅくぜん)たる気持ちになった。銀河宇宙を遊泳し続けた宮沢賢治にとって、「月」はいつもその心象風景のど真ん中にあり続けた。『月夜のけだもの』や『月夜のでんしんばしら』などの作品だけではなく、私はたとえば、『なめとこ山の熊』の次のような一節を無意識のうちに中天の「十五夜」に重ねていた。猟師の小十郎がクマたちによって、葬送される感動的な最終場面である。

 

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回回(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった」―

 

 「名月や/池をめぐりて/夜もすがら」(松尾芭蕉)、「名月を/取ってくれろと/泣く子かな」(小林一茶)…。「満月さん」というニックネ-ムで呼ばれた亡き妻を思う時、私は決まってのこの名句を思い出していた。しかし、今夜はどうもいつもと心持ちが違うようなのだ。「賢治なら、コロナ禍の地球をどんな思いで描写したのだろうか」―。そんな想念に突き動かされたからなのかもしれない。たまたまの偶然なのだが、明日(9月22日)が発行日となっている『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然(ピュシス)の歌を聴け』(福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史・共著)の中で、生物学者の福岡さんは賢治の代表作『春と修羅』(序)の冒頭に置かれた―「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」という一節を引用して、以下のように述べている。

 

 「『春と修羅』は、コロナ禍におかれた私たちが文明社会の中の人間というものを捉えなおす上で、非常に重要な言葉が書かれていると、私は思います。ここでまず注目したいのは、冒頭で『わたくし』は『現象』だ、と言っている点です。これは、『わたくし』という生命体が物質や物体ではなく『現象』である、それはつまり自然のものである、ということです。ギリシャ語の『ピュシス』は『自然』を表す言葉ですが、右に挙げた『春と修羅』の文章は、本来、生命体はピュシスとしてあるのだ、ということを語りかけているように思います」―。コロナパンデミックの謎を解く水先案内人が奇しくも賢治だという福岡さんの視点にぐいぐいと引き込まれた。

 

 闇が濃くなるにつれ、雑草にすだく虫たちの声も一段と大きくなり、冷え冷えとした秋の風が体を突き抜けていく…。この日、イ-ハト-ブの夜空は分厚い雲におおわれ、8年ぶりに満月と重なった「中秋の名月」は時たま、気まぐれのように顔を見せるだけ。まるで“隠れん坊”みたいなその仕草が逆に、悪戯(いたずら)好きの賢治を彷彿(ほうふつ)させるのだった。それにしても…。命日の翌日に賢治からのメッセージが届くなんて、その”暗合(あんごう)”の妙に軽いめまいを感じたというのが正直な思いである。

 

 

 

 

(写真は雲間からひょっこり、顔を見せた「満月さん」=9月21日午後7時50分ごろ、花巻市桜町の自宅庭から)