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沖縄だより③―ブ-ゲンビリアの記憶

  • 沖縄だより③―ブ-ゲンビリアの記憶

 中央アメリカ原産のブ-ゲンビリアが今を盛りと咲き乱れていた。「アポロ」(Apollo)というロ-マ字書きの店名が辛うじて読み取れる―。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「辺野古」(名護市)移設(新基地建設)に伴う護岸工事の強行で揺れる米軍基地「キャンプ・シュワブ」前から車で数分ほど…その一角にかつて、米ドル紙幣が乱れ飛んだ歓楽街が広がっている。辺野古社交業組合の看板を掲げた事務所のシャッタ-には「ようこそ/辺野古へ」という文字と万国旗が描かれている。しかし、ほとんどが消えかかっている。米兵相手のバ-などが数軒営業しているだけで、今はもう人影もまばらである。

 「従業員の女性に続いて、母親も米兵の手によって命を落としました」―。閉店して久しい「アポロ」の隣に住む金城武政さん(60)は母親の遺影が飾られた仏間の前で絞り出すように語り始めた。2歳の時、基地建設の景気を当て込んだ両親とともに「普天間」から移住した。母親は針仕事が得意だった。その腕を生かした布団の製造販売が大当たりした。琉球刺繍を施した布団カバ-が米兵の人気だった。「米兵による布団ドロボ-にも手を焼いたが、故国の両親へのプレゼントの注文もあった。何しろサイズが特大なんで面白いように儲かった」。金城さんの表情が少し緩(ゆる)んだようだった。

 米国は48年前の1969年7月、アポロ11号による人類初の月面着陸に成功した。「Aサイン(米軍専用)のバ-を開業したのはその直後だった。店名はこの成功にあやかって親父が付けた。当時はベトナム戦争の真っ只中。札束を握りしめた米兵たちがひっきりなしにやってきた。朝までドンチャン騒ぎの毎日だった」と金城さん。手仕事を身に付けたいと若い女性が母親に弟子入りした。バ-の人手が足りないので、店も手伝うようになった。金城さんが高校に入学した直後、この女性は別の町で米兵によって殺害された。当時、20歳だった。その顛末も知らされないまま、事件はうやむやになった。

 「ベトナムからの帰還兵はいつも浴びるように酒を飲んでいた。でも、まさか…」―。金城さんは仏壇をふり向きながら、呻(うめ)くように続けた。女性殺害事件の2年後、オ-プンを前にした店に米兵が押し入った。準備中の母親から10ドルを奪ったうえ、コンクリ-トブロックで頭を殴りつけて逃走した。即死状態だった。米兵は近くのホテルに「人を殺してきた」と自首した。長期勾留されたという噂を聞いただけで、その後、どうなったかは知る由(よし)もなかった。まだ、52歳の余りにも若い死だった。「日米地位協定による壁がそそり立ち、無法状態だった。その同じ地に新しい基地を造ろうとしているんです」―。金城さんの声は震えていた。

 ブ-ゲンビリアは別名「魂の花」とも呼ばれる。むご過ぎる二つの死を思いながら、私は周囲を赤一色に染めてしまうような光景に心底、怖気(おじけ)づいてしまった。「この花も元をただせば、米兵のクリスマス鑑賞用に強制的に植えさせられたものなんですよ」と金城さんはボソッとつぶやいて、言葉を継いだ。「複雑な気持ちもあるが、意地でも絶やすまいと…。この真紅の花の中に忘れてはならない記憶が詰まっているような気がするんです」。母親の死後、店は閉店。沖縄芸能の師範格だった父親は再婚したが、生活はすさんでいった。

 1995年の米兵による少女暴行事件の翌年、日米両国が「普天間」返還に合意してからすでに20年以上。「辺野古」新基地の建設予定地を望む海岸に「建設阻止」のテント村が設置されて(5月)2日で、4762日目を迎えた。この間、金城さんは座り込みを欠かしたことはない。その一方で”業務妨害”などの疑いで逮捕されたことも3回にのぼる。ゴ-ルデンウイ-クの期間中、基地建設の埋め立て作業は止まり、支援者の数もめっきり減った。「この静けさこそが辺野古の本当の姿のはずだ」。燃えるようなブ-ゲンビリヤを目に焼き付けながら、私は「それにしても、魂の花とは随分と残酷な名前だな」と独り言のように口ずさんでいた。「その海域は入域禁止区域です。近寄らないでください」―。海上保安庁の警告が風に乗って、海の方から聞こえてきた。


(写真は両親の遺影が飾られた仏壇の前で、基地に翻弄された人生を語る金城さん=2日午後、名護市辺野古で)