HOME > 記事一覧

危機管理というよりももはや、”内部統制”の崩壊か!?…災害情報をめぐるテンヤワンヤ!!??

  • 危機管理というよりももはや、”内部統制”の崩壊か!?…災害情報をめぐるテンヤワンヤ!!??

 

 「一部を除いて、高齢者等避難警報を解除します」―。16日午後5時15分、携帯のエリアメ-ルが立て続けに3回鳴った。戸外の断続的な雨音を気にしていた時だっただけにホッと胸をなでおろした。ところが、目の前のNHKロ-カルニュ-スでは同日午後6時36分更新の自治体(花巻市)情報として、各避難所への高齢者の避難が続き、さらに前日に引き続き、全市内27か所の地域振興センタ-に開設した避難所も維持されていることを画面のテロップが伝えているではないか。

 

 一体、どっちの情報を信じたらよいのか。私を含めた高齢者の多くは災害時の情報はテレビやラジオが第一とまず、その情報にかじりつくのが普通である。念のため、市のHPをのぞいてみると、「警戒レベル3・高齢者等避難」警報が全面解除されたのは午後7時45分となっていた。この間、2時間以上も錯綜した“情報”に振り回されたことになる。今次災害に始まったことではない。当ブログ(7月30日付及び8月13日付)でも言及してきたように、市議選をめぐる選挙管理委員会の数々の不手際や市議のコロナ感染をめぐる対応指針の無視など枚挙にいとまがない。

 

 この日、お盆休暇を取っていた上田東一市長が急きょ、登庁して指揮をとったことが後で分かった。その振る舞いは良し、むしろトップとしての当然の行為であろう。しかし、相次ぐ“不祥事”を目の当たりにしてきた一人としては「危機管理というよりも組織を維持するためには欠かせないガバナンス(内部統制)の欠如がこうした事態を招いているのではないか」と思ってしまう。ある市民は苦々しい表情で吐き捨てた。「災害対応より、市長の顔色をうかがっている。そんな職員たちが気の毒になる。ワンマン市政は本当に怖い」―。機能不全に陥った組織をあちこちで取材してきた私自身、「トップダウン」(上田一強)の恐ろしさを身に染みて感じている。

 

 

 

(写真は一部避難所の閉鎖が決まった後も市の情報として、事態の急迫を伝え続けるNHK=8月16日午後、NHKテレビの画像から)

 

終戦77年…追憶「父を訪ねて」

  • 終戦77年…追憶「父を訪ねて」

 

 「昭和20年12月16日、栄養失調症により、ソ連ウスリ-州ウオロシロフ地区リポ-ウツイ収容所で戦病死」―。黄色に変色したその紙片にはこう書かれている。この「戦死公報」(岩手県発行)の日付は昭和24年3月2日。太平洋戦争が敗色濃厚になっていた前年の昭和19年夏、旧満州(中国東北部)へ。約1年後の敗戦でソ連軍の捕虜となり、シベリアの収容所に抑留された。だから、父親は敗戦のわずか4カ月後に死亡したことになる。死亡時の年齢は37歳。入営時、4歳になったばかりの私に生前の記憶はほとんどない。遺骨代わりの木片が骨箱の中でカロンコロンと乾いた音を立てていた記憶だけは今も消えない。

 中学校に入学した直後、父親と同じ収容所から無事生還した戦友が留守宅を訪ねてきたことがあった。「一緒に日本に戻ろうと励ましたが、もう体力の限界でした。3人のお子さんのことを最後まで心配していました」。その人は母親にそう伝言するため、わざわざ岐阜県から足を運んでくれたのだった。私の手元に「父を訪ねて」というタイトルのビデオテ-プがある。今から30年以上も前、父親の面影を求めて、元収容所跡を訪ねた時の模様が記録されている。1991年春、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領が戦後初めて、日本人捕虜の墓地を参拝することになった。その一連の取材をこなした後、私はシベリア鉄道を乗り継いで「ソ満国境」へ向かった。

 目指した場所はウスリ-河のほとりにあった。荒涼とした草原が捕虜たちの“墓所”だった。シベリア抑留者は総数で約64万人といわれ、うち約6万人が死亡している。「捕虜たちの仕事はほとんどが石炭堀りだった。みんなガリガリにやせこけてね。タバコを差し入れしたこともあった。多くの人が死んだらしいけれど、みんなそのまま土に埋められたと聞いている」―。当時、「朝鮮人離散家族会」の会長をしていた、ハバロフスク在住の朝鮮系ロシア人の李柱鶴(リ・ジュハク)さんが通訳として同行し、村人たちの話しを聞き出してくれた。私は母親から託された、父親が好きだったという朝顔のタネをパラパラと蒔(ま)いて手を合わせた。

 6年前、厚生労働省を通じて一通の死亡証書がソ連側から送られてきた。「本日(昭和20年12月30日)、第14収容所第4865病院にて、軍事捕虜マスコ・コンチが死亡」と書かれていた。亡き父「増子浩一(ますこ こういち)」の71年目の死亡通知だった。戦死公報の死亡日(12月16日)とのずれに気が付いた。同封されていたカルテでその謎が解けた。「空白の14日間」―父の死がやっと、実感できたように思った。両親が眠る郷里・花巻の墓地にはあの時に持ち帰った草原の土くれと、遠い異国の地での苦役の証しである石炭のカケラが一緒に埋められている。

 

 

《12月16日》(入院)~全般的なだるさ、食欲不振、脚の痛み、咳、衰弱を訴える。全体的な容体は悪くない。ビタミンBとC、貧血防止用のヘマトゲン(血液製剤)を投与。診断名「第Ⅰ度栄養失調症、気管支炎」

 

《17日》~体温36・7~36・9。胸の痛み、咳、鼻炎、全体的なだるさを訴える。客観的に正常な体格。低栄養。肺にゼイゼイという乾性ラ音がまれに聞こえる(注;乾性ラ音=正常呼吸音以外の複雑音。気管支が狭くなっている時に起きる)。腹部は柔らかく痛まない。打診音は清音。舌はきれいで湿っている。粘液は正常で全体的な容体は悪くない
 

《18日》~体温36・4。全体的な容体は悪くない。浅い睡眠を訴える。ヘマトゲンを投与
 

《19日》~体温37・0。食欲良好。便通、利尿は正常。ビタミンCを投与
 

《20日》~体温36・5~36・6。患者の容体は変化なし
 

《21日》~体温36・1~36・6。軽い頭痛を訴える。便通は正常。食欲あり
 

《22日》~体温36・2~36・5
 

《23日》~体温36・7~36・8。容体は変化なし
 

《24日》~体温36・3~37・3。具合は悪くない。咳を訴える。肺及び心臓は正常。食欲良好。便通は正常
 

《25日》~体温37・4~39・0。全体的な容体は悪くない。頭痛を訴える。アスピリンを投与
 

《26日》~体温37・1~37・6。心臓、肺は特徴なし。便通は正常
 

《27日》~体温36・9~38・3。容体は悪くない。内臓は異常なし。睡眠、便通とも正常
 

《28日》~体温38・5~39・5。頭痛を訴える。脈拍は律動的である。心臓、肺は特徴なし。血液検査を行うこと
 

《29日》~体温39・7~39・9
 

《30日》(死亡)~午前7時、心臓活動が衰退し、患者は死亡した。診断名「第Ⅲ度栄養失調症」

 

 

 

 

(写真は若かりし時の父親。遺影となって、私のそばにいる)


 

 

「危機感」積み残しのままスタ-ト…花巻市議会の前途多難!?市議のコロナ感染、拡大の様相!?、あれから1年…。災害警報が追い打ち!

  •  「危機感」積み残しのままスタ-ト…花巻市議会の前途多難!?市議のコロナ感染、拡大の様相!?、あれから1年…。災害警報が追い打ち!

 

 今次の市議選で新たに構成された花巻市議会(定数26)の初の臨時会が8日開催され、新議長に藤原伸議員(明和会)を選ぶなどの人事が行われた。「25」―議員の出欠を表示するパネルを見て、オヤっと思った。数日前から、議員のひとりがコロナ陽性者になったとのうわさがあった。議会側の「新型コロナウイルス感染症対応指針」(令和4年4月28日付、各派代表者会議での申し合わせ)には以下のように明記されている(要旨)

 

 《感染者と認定された場合》~議員は、議員又はその同居する家族が感染者と認定された場合は、保健所等の指示に従い行動するとともに、速やかに事務局へ連絡するものとする。事務局は、速やかにその旨を議長に報告するものとする。併せて事務局は、新型コロナウイルス感染症対策室(以下「対策室」という)にその旨報告するとともに、必要な範囲で次のことを行うものとする。(1)当該者の行動履歴及び経過等の聞き取り及び結果報告(2)議場、委員会室、会派室及びその他議会フロア各室の消毒

 

 《感染等の確認後における議会の対応》~議員又はその同居する家族の感染等が確認された場合、各派代表者と情報の共有を図るとともに、必要に応じて各派代表者会を開き必要事項の協議を行うものとする。また、定例会及び臨時会の開会中などに感染等が確認されたことにより、会議の運営方法、会議の日程、変更、縮小及び中止等、会議への影響が想定される場合には、速やかに議会運営委員会を開いて検討を行うものとする。なお、議員が感染者として確認された場合は、個人情報に十分配慮した上で、ホ-ムペ-ジ等で発症日や状況について公開するものとする。

 

 初議会のこの日、当該事案の公表がなされていなかったため、対応指針をもとにさっそく、藤原睦・議会事務局長に経緯を聞いた。それによると、当該議員の陽性確認は今月4日。会議などで同席した議員関係者に濃厚接触が出ていないことが確認されたのは6日になってから。公表が遅れていることについて、藤原事務局長は「陽性が確認された時点(4日)でHP上に公表すべきだったが、保健所などとの連絡に手間取った。さらに、8日未明にコンピュ-タ-にシステム障害が生じ、まだ復旧の見通しは立っていない」と弁明している。ちなみに、市職員などの場合、速やかに陽性者の所属部署とともに濃厚接触者や自宅待機の状況などを公表している。なお、当該議員は今月4日から13日までの10日間、自宅待機となっている。

 

 この日新議長に就任した藤原議員はあいさつの中で、「二元代表制の下、公平・公正な議会運営を目指したい」と抱負を述べた。新議員たちには「議員職」が選挙で選ばれた“公務員”であることを肝に銘じて欲しいものである。憲法解釈にはこうある。

 

 「憲法15条1・2項は、国民主権の原理の下における、全ての公務員の地位と制度の基本理念である。公務員はその選定および罷免が国民の固有の権利に属する。そのため国民は議会の代表者である公務員を選挙により選任する。また、その他の公務員についても『全体の奉仕者』であり、その選定罷免が国民固有の権利である以上、公務員の究極の使用者は国民であるから、国民主権原理の下、国民の代表者たる国会・地方議会が公務員の組織・事務・勤務条件等の決定権限を有すべきことは、議会制民主主義から導かれる憲法上当然の要請だと解される」

 

 

 

 

(写真は8日に召集された新体制下の第1回臨時会=8月8日午前、インタ-ネット中継の画面から)

 

 

 

《追記ー1》~市議会議員の新型コロナウイルス感染について

 

 上記の件につき、8日午後4時半すぎに市と議会のHP上に「8月4日(木曜)、花巻市議会議員(1名)が新型コロナウイルスに感染していることを確認しました。当該議員が出入りした会派室、共用部分の消毒を実施しました」という文章が掲載された。公表が遅れた理由や感染経路、濃厚接触者の有無などの詳しい状況はこの時点では明らかにされていない。県議会議員の場合、プレスリリースでは感染者の実名を公表している。ここにも、”公僕意識”(危機感)がほとんど欠落しているのが見て取れる。

 

《追記―2》~白骨の御文(おふみ)

 

 長崎・原爆忌の今日9日、「焼き場に立つ少年」(8月6日付当ブログ参照)の写真を凝視しているうちに蓮如上人の「白骨の御文」(要旨)の一節が口元からこぼれ落ちた。「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに無常の風来(きた)りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐(かい)あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり」

 

 

《追記―3》~『納棺夫日記』の青木さん、逝く

 

 小説『納棺夫日記』などで知られる作家の青木新門さんが6日、肺がんのため85歳で亡くなった。富山市で飲食店を経営し、73年からは冠婚葬祭会社で「納棺師」として働いた。その葛藤や思いをつづった日記をもとに刊行した同作は映画監督の滝田洋二郎さんが手がけた、米アカデミ賞-外国語映画賞受賞作「おくりびと」につながった。宮澤賢治にも造詣が深かった青木さんとは新聞記者時代に知己を得て以来、新宿のスナックで「賢治論」を交わす仲になり、大きな影響を受けた。「焼き場に立つ少年」は青木さんのブログにずっと、掲載され続けた。合掌

 

 

《追記―4》~市議会議員の新型コロナウイルス感染について(9日付追加分)

 

 市議会議員1名の陽性が8月4日に確認されました。発症日~令和4年8月3日。状況~他議員及び市職員に濃厚接触者に当たる者は確認されておりません。当該議員の外出制限は8月13日までとなっております。市議会としても、引き続き感染防止対策を徹底してまいります(市と市議会のHPより)

 

 

《追記―5》~市議のコロナ陽性、また一人

 

 市議会議員1名の陽性が8月10日に確認されました。発症日~令和4年8月10日。なお、状況につきましては分かり次第掲載することといたします。議会としても、引き続き感染防止対策を徹底してまいります(市と市議会のHPより)

 

 

《追記―6》~市議に3人目のコロナ陽性者

 

 市議会議員1名の陽性が8月11日に確認されました。なお、症状はなく、詳しい状況等につきましては分かり次第掲載することといたします(市と市議会のHPより)。コロナ禍の中での先の市議選の間、私は感染予防のためにあえて選挙事務所は開設せず、さらに個人演説会の開催も見合わせた、一方、こうした状況を無視して演説会を強行する候補者も相次ぎ、中には有権者を”歌謡ショー”に無料招待するなどの無神経ぶりも目立った。今回の相次ぐ感染の背後には選良たる市議に絶対あってはならない、”危機意識”の欠如が透けて見える。

 

 

《追記―7》~あれから1年…“悪夢”再現!?

 

 ちょうど1年前の8月13日、当時の藤原忠雅・副市長がコロナ拡大に伴う岩手県緊急事態宣言が発令された翌日、家族を含めた10人以上で飲食していたことが発覚。のちにその責任を取る形で辞職に追い込まれた。深々と頭を下げる藤原副市長の姿が今回の市議のコロナ感染に重なった。「行政と議会という地方自治を支える二元代表制の両軸が早くも崩壊しつつあるのではないか」―。今日13日から盆入り。

 

 

《追記―8》~コロナ禍の中、土砂災害警戒情報を発令

 

 花巻市は13日午後、土砂災害警戒警報を発令。市内の広範囲に高齢者などを対象にした避難所を設置した。市議のコロナ感染が相次ぐ中、改めて「危機管理」の大切さを浮き彫りにした形だ。開設した避難場所はその後、石鳥谷地域の八重畑振興センタ-、まなび学園、文化会館、花南振興センター、矢沢振興センター、土沢振興センター、小山田振興センターにまで拡大された。

 

 「8月13日15時10分花巻市全域に土砂災害警戒情報が発令され、土砂災害の危険が非常に高まっております。これを受けて、花巻市は特に危険が高いと判断される大迫地域下中居自治公民館、内川目振興センター、大迫振興センター、亀ヶ森振興センター、東和地域谷内振興センター、田瀬振興センターの開設準備をしました。気象台の情報によると、花巻には今後大雨が降る可能性が高いとのことであり、花巻市はそれに伴い16時に警戒レベル3高齢者等避難を発令しました。土砂災害警戒区域にお住いの方を含めて、直ちに避難されたい方は先ほど述べた最寄りの指定緊急避難場所に避難ください。避難をしない方は、家の中の安全な場所に避難するなど、身の安全を確保してください」(市HPより)

 

 

《追記―9》~地に堕ちた“危機管理”!?(15日付追加情報)

 

 3人目となった市議のコロナ感染情報が15日付で以下のように追加公表された。外出制限の期限が公表日のその日だったことに腰を抜かした。あぁ、この役所の危機管理はいずこに…

 

 「市議会議員1名の陽性が8月11日に確認されました。発症日~令和4年8月5日(発症と思われる自覚症状がなかったが、若干の違和感を感じた日:保健所のヒアリングにより確認したもの)。状況~他議員及び市職員に濃厚接触者に当たる者は確認されておりません。当該議員の外出制限は8月15日までとなっております」(市と市議会のHPより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大手廃棄物処理業者「サンクリーン」が身売り…“兼業”疑惑の中で!?そして、今日は原爆忌

  • 大手廃棄物処理業者「サンクリーン」が身売り…“兼業”疑惑の中で!?そして、今日は原爆忌

 

 花巻市内の大手廃棄物処理業者「サンクリ-ン」の経営陣が今年6月15日付で一新されていたことが会社謄本(履歴事項全部証明書)の記載でわかった。同社は代表取締役や監査役の“兼業”疑惑で市民の間に不信の声が高まっていた。今後の経営は同日付で、同市内の同業他社である「理水興業」(今野秀實社長)に受け継がれた。

 

 一般廃棄物や産業廃棄物の収集処理を手がけるサンクリ-ンは昭和50年に設立。2014年(平成26年)、上田東一市長が就任するまでは同氏が代表取締役(社長)の地位にあったが、地方自治法第142条(兼業禁止)の規定に基づき、配偶者の妻美智子さんにその座を譲った。

 

 この件について、私は市議時代にこうただした。「(配偶者の代表取締役)自体は法に抵触するものではないという前提に立ったうえで、コンプライアンス上の、いわゆる“社会的な規範”について、どう認識しているか」(平成28年6月定例会)―。当時、全国の自治体では首長の行動規範などを定める条例の制定が相次ぎ、たとえば、富山県氷見市では「氷見市長等の行動規範及び政治倫理に関する条例」(平成28年6月制定)の中で、「地方自治法第142条の規定の趣旨を尊重し、市長等の配偶者若しくは1親等の親族又は法人に対し、市等との請負契約等を自粛するよう働きかけ、市民に疑惑の念を生じさせないよう努めること」(第7条)と規定していた。

 

 私の質問に対し、上田市長は「後任の人材探しが難航した。妻には早く代わりを見つけたい。私と妻の間には“チャイニ-ズウオ-ル”(万里の長城)を張りめぐらし、情報交換は一切していない」と「利益相反」原則の重要性を強調する一方で、「法的に問題ないが、議会がダメだというなら、その旨を条例で制定してほしい」と“開き直り”のような答弁を繰り返した。

 

 一方でその後、同社をめぐって監査役兼任“疑惑”が浮上した。東北有数の温泉地を抱える花巻市の観光業は市財政を底支えする基幹産業。花巻温泉郷と花巻南温泉郷には合わせて34のホテルや旅館が林立し、誘客の原動力になってきた。一方、各施設から排出される廃棄物の量も膨大で、その事務処理を担うのが「花巻温泉郷廃棄物処理組合」(安藤昭組合長)だったが、実際の処理業務はサンクリ-ンに一括委託されて行われていた。令和2年度はコロナ禍の影響で一時減少したものの、年間の排出量は1,000トン以上にも及ぶこともあった。

 

 サンクリ-ンへの委託料の2分の1が市側からの補助金で、ここ数年間は年間1,100万円から1,600万円の幅で交付され、残りの相当分が組合負担となっている。私が昨年秋、行政文書の開示請求で入手した組合側の「定時総会」資料によると、コロナ禍前年の令和元年度の市補助金は1,600万円で、これに組合負担分(約2、300万円)を加えた総額39,068,316円が委託料として、サンクリ-ンに支払われていたことが分かった。さらに、令和3年度分の市補助金として1,600万円が予算計上され、組合負担分もほぼ同額となっていた。

 

 ところがその一方で、花巻温泉株式会社の社長でもある安藤組合長が上田市長が就任した直後の平成26年6月29日付で、サンクリ-ンの監査役(会計担当)の重職についていることが明らかになった。「受託」と「委託」の混同―。この件については昨年9月定例市議会の決算特別委員会でも取り上げられたが、担当課長は「地方自治法第142条については、公共団体の長がそういうものに従事する規定はあるけれども、それ以外については先ほど委員おっしゃったとおり、法的な違反をするものではないというところがございますので、市といたしましても、そのような形で認識しているというふうに捉えております」という支離滅裂な答弁に終始していた。

 

 今回の辞任について、前社長の上田美智子さんは自らのフェイスブックに「安定した経営を望んでのことです」と書き込んでいる。また、ホテル業者のひとりはこう話している。「遅きに失した感がある。慣例として行われてきたのだろうが、廃棄物処理組合の組合長に就任した時点で委託先の監査役の職は辞すべきではなかったのか。このままでは世間の納得は得られないと思っていた」

 

 

 

 

(写真は人事を一新したサンクリ-ンの会社謄本のコピ-)

 

 

 

 
 
《追記》~「焼き場に立つ少年」と被曝77年

 

 毎年8月を迎えると、忘れずに向き合う一枚の写真がある。米国人の報道写真家、ジョ-・オダネルが長崎の爆心地で撮影した写真である。オダネルはその少年について、こう書き記している(=要旨、コメント欄に写真)

 

 「10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです」

 

 「男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶ける、ジュ-という音がしました。それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました」

 

 

 

 

選管事務に不手際が続出…選挙の公平性に疑問符~一方で、エールとヘイト(憎悪発言)が混戦模様!?

  • 選管事務に不手際が続出…選挙の公平性に疑問符~一方で、エールとヘイト(憎悪発言)が混戦模様!?

 

 「単なる手違いという言い逃れは通用しない。立候補者にとっては選挙妨害にも匹敵する重大事だ」―。今月24日に投開票が行われた花巻市議選の選管事務に到底考えられない不手際が続出。市民の間には「選挙の無効を訴える訴訟が起きても不思議ではないレベルだ」という厳しい意見が出ている。

 

 「候補者1人欠落し掲載」―。投開票2日後の26日付地元紙「岩手日報」にこんな大見出しがおどった。市議選告示2日後の19日、インタ-ネットの選挙専門サイト(政治山=Yahooニュ-ス)に実際は31人いた立候補者のうち、1人を欠いた情報が掲載された。当事者の板垣武美さん(59)がこれに気が付き、サイト側に経緯を問い合わせた。その結果、市選管(宮川弘海委員長)が誤った情報を提供した事実を認め、サイト側も訂正した。宮川委員長は「二度とこのようなことがないよう確認を徹底したい」と話しているが、ネットは選挙情報を得るための重要なツ-ルだけに、今回落選した板垣さんは「選管側からはいまだに公式の謝罪はない。不信感が募る一方だ」と憤りを隠さない。

 

 有権者が最終的に投票行動を決める際の重要資料(全戸配布)である「選挙公報」の未配布問題がこれに追い打ちをかけた。結果として、選挙公報を見る機会を奪われたある住民は「今回の未配布問題がとくに、ネット環境に恵まれない老人層などに与えた影響は計り知れない」と怒りをあらわにし、①選挙公報はどのような仕組みで配布されたのか、②未配の件数とその原因の明確化、③責任の所在と未配が投票行動に与えた影響度合いの検証、④今事案のHP上への公開―などを選管側に求めたが、「いまだに形式的な謝罪しかない」という。

 

 今回落選の憂き身をみた私自身も選管側の“機能不全”ぶりに振り回された一人。選挙用葉書(2千枚が限度)の住所、宛名は選管が保管する選挙人名簿から直接、手書きで書き移すのが原則。膨大な人数なので、写真撮影などで手間を省く“不正”を防止するという名目で、私自身も選管事務職員の“監視下”で約10日間の難行を強いられた。ところが、ある陣営は監視の目が届かない別室で作業をしていることが発覚。さっそく、抗議すると「今後、気を付けます。時々、事務職員が別室をのぞいてチェックはしています」とのらりくらりの返答。さらには、選挙関連資料は誤字脱字などのミスだらけで、各種の問い合わせにも「ちょっとお待ちください。折り返し、お電話します」の連発。そして、結局はナシのつぶてということもしょっちゅうだった。

 

 今年1月の市長選、今回の市議選に先立つ参院選…。今年はまさに、“選挙の年”であることは衆目の関心事だった。さらに、激烈を極めた市長選の余波で市議選も新人の出馬で当初から激戦が予想されていた。ほとんどパニック状態に陥った今回の不手際の数々については、ベテラン職員を配置するなどの対応を見誤った人事権者の上田東一市長の責任にも及びかねない。今年4月の異動で配置された女子職員の放心したような表情がいまも目に焼き付いて離れない。投開票から早や、1週間が経とうとしているが、選管側はまだ未配戸数などの実態を把握していないらしい。

 

 

 

 

(写真はまるで廃墟と化した花巻城址(新興製作所跡地)を背に「この財産を市民の手に」と演説する私。背後のコンクリート製の残骸の中に猛毒のPCB(ポリ塩化ビフェニル)が不法に放置されている。こんな市政課題に一直線に切り込んだつもりだったが、票には結びつかなかった=7月23日、花巻市御田屋町で

 

 

 

《追記ー1》~「具体と抽象のはざまにて」(474人の支持者からのメッセ-ジとして)

 

 (8月)1日、東和町田瀬在住の造形作家、菅沼緑さんから封書が届いた。今回の市議選で私を熱烈に支持してくれたのも緑(ろく)さんだった。読み進むうちに胸が熱くなってきた。「挫けてはならない」とまた、ムラムラと闘志がわいてきた。私に投票してくれた「474人」の気持ちが凝縮されているように思った。以下に全文を掲載させていただく。

 

 驚きました。まさかの結果に。世の中には具体と抽象があって、そのどっちも大切なのに、時には具体が注目を受け、あるいはやたらに抽象的なイメ-ジだけがひとり歩きをしたりで訳が分かりません。増子さんの演説の具体と抽象が程良く存在する話を聴いて全く疑いを感じることもなく、絶対に支持者は沢山あるはずだと思いました。

 

 結果は真実でもなく、単なる事実でしかない一時的な経過に他ならないとも思いました。増子さんには、これからも全世界の幸福を発信し続けてください。花巻が硬直してやわらかな発想が育たない街だとしても、素直な感性はかくされているだけで、草の根の下で機会を待っている筈だと強く思います。増子さんの素直な感性には私も大いに共感を覚えるひとりです。又楽しんで話ができるような機会を作りたいと思います。

 

 

 

《追記―2》~これで今回の“敗因”の構図がはっきり、見えてきた!?

 

 「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」(2017年7月1日、都議選応援の街頭演説)―。白昼テロで暗殺された安倍晋三元総理のこの言葉を反芻(はんすう)しながら、私は「イ-ハト-ヴ市民」を名乗る以下の匿名のコメント(2日付)を脳裏に刻んだ。「そう、私はあなたみたいな人に負けるわけにはいかんのです」

 

 「まずさ。あんたの場合、票数的にも箸にも棒にも掛からない感じだったんだから終わってから負け犬の遠吠えみたいに騒ぐのやめな。そんな老害に今さら何ができんの。時代はもう変わってんのさ」……私はこの発言の背後に、宮沢賢治の理想郷(イーハトーブ)の底なし沼のような人心の荒廃を見たような気がした。「イーハトーヴ市民」ならぬ「イーハトーブ”愚民”」の心の荒廃を…