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「議会報告会」顛末記…「イ-ハト-ブ議会」、ここに死す!?最後っ屁は「統一教会」がらみ~

  • 「議会報告会」顛末記…「イ-ハト-ブ議会」、ここに死す!?最後っ屁は「統一教会」がらみ~

 

 「駅前立地派の発言ゼロ」―。この数字にこっちの方がびっくりしてしまった。今月2日から3日間の日程で市内12か所の振興センタ-単位で行われた「市民と議会との懇談会」(議会報告会)が4日終わった。私は矢沢(2日、参加者20人)、湯本(3日、同10人)、花南(4日、同26人)の各振興センタ-に出向いたが、新花巻図書館の立地場所について、参加総数56人の発言者のほどんどが旧花巻病院跡地への立地を希望した一方、はっきりと駅前のJR用地への立地を主張した参加者はゼロだった。この種の選択肢で「ゼロ」という数字は統計学的に見てもほとんどあり得ない。さらに、市側は駅前立地の最大の理由に高校生を主体とした「若者世代」の利便性向上を挙げているが、皮肉なことに会場にその姿を見つけることはできなかった。

 

 「無理筋」とはこのことを指すのであろう。3年前の「賃貸住宅付き」図書館の駅前立地がとん挫して、この奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な構想は命脈を絶たれたと思っていたが、逆に今回の報告会の開催で市民の“本音”が一気に噴出したように感じた。その一方で、こうした草の根の動きにきちんと対応できていない議会側の機能不全も浮き彫りになった。議会基本条例(16条)に「自由討議による合意形成」という規定があり、こう定められている。「議会は、本会議及び委員会における議案の審議及び審査に当たり結論を出す場合にあっては、合意形成に向けた自由討議等を通じて、議員相互間の議論を尽くすよう努めるものとする」―

 

 「図書館問題や駅橋上化問題(東西自由通路)など市民を二分する論議が続く今こそ、自由討議の場を設定し、合意形成を目指すべきではないか」―。私は報告会の席上、再三にわたってこう要求したが、議会内部ではすでに、自由討議の必要性なしという会派同士の“合意”が成立していたことを初めて知った。まさに、市民に背を向ける自殺行為と言わざるを得ない。「ほかに質問をしたい地元の人もいるので…」―私の質問を執拗にさえぎろうとするあるベテラン議員の存在が気になった。図書館を所管する「文教福祉常任委員会」(定数9人)の委員長を務める照井省三議員(社民クラブ)である。市側の意を体する形で、橋上化の必要性を一貫してきた主張してきた議員として、つとに知られている。

 

 議会側の「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長、全議員で構成)は令和2年12月定例会で、「立地場所は市有地とする」など3項目の委員長報告を市側に伝えて解散した。以来、2年以上が経過する間に旧花巻病院跡地が急浮上するなど“立地環境”に大きな変化があったにもかかわらず、文教福祉常任委は一度も開催されていない。「請願や陳情など図書館関連の案件もなかった。だから、開催の必要性もなかった」と照井議員は強弁した。ちなみに、議会基本条例はこう定めている。「委員会は、社会経済情勢等により、新たに生じる行政課題に適切かつ迅速に対応するため、委員会の調査研究活動を充実強化するものとする」(18条)―。この人にとっては、議会の“憲法”といわれる議会基本条例も屁のカッパなのかもしれない。

 

 「上田東一後援会事務局長」―。照井議員のもうひとつの肩書である。報告会で私はその真偽についてただした。「個人情報に関わることなので、答弁は控えたい」と言い、同席した議員も同調した。報告会の終了後、本人はその事実を認めたが「法的にも何ら問題ではない」と平然と言ってのけた。果たして、そうであろうか。

 

 議会と当局(市長)とは互いに監視し合う独任制の機関としての「二元代表制」と呼ばれ、議員は“公僕”たる矜持(きょうじ)を持さなければならない。「監視する側」が「監視される側」の後援会幹部―という”天地”をひっくり返えすような「驚天動地」(きょうてんどうち)は法以前にもはや、“不道徳”そのものではないのか。つまり「道理」にもとるとは、このことを言うのではないのか。強権支配をほしいままにする上田市長の”代弁者”たるこの議員が、一方で革新を標榜する「社民党」に在籍しているということに至ってはもうミステリーを超え、何かざわッとする不気味さすら覚える。

 

 

 今月24日には予算審議を含む3月定例会が始まる。議員諸賢の奮起を期待したい。新花巻図書館とJR花巻駅の橋上化(東西自由通路」という二大プロジェクトのあり方について、どんな”二元”攻防戦が繰り広げられるのか…今から楽しみである。

 

 

 

(写真は熱気がこもった意見交換が行われた議会報告会=2月4日午前、花巻市南城の花南振興センタ-で)

 

 

《追記》~旧統一教会と市議とのつながりについての調査要求

 

 議会報告会最終日の4日、元首相のテロにまで発展した「旧統一教会」と当市議会議員との“接点”の有無についての調査を申し入れ、前向きに取り組むという回答を得た。「自民地方議員/教団側と密接」(2月5日付「朝日新聞」)という見出しで、地方議員と旧教団側や友好団体との結びつきが伝えられるなどその余波は止まるところを知らない。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)花巻家庭教会が所在する当市でも昨年夏の参議院選挙とそれに続く市議選直後から接点”疑惑”がくすぶり、現に地元選出の県議が自らの接点を認めている。この件に関しては、盛岡市議会が昨年11月に自主的な調査を実施し、38人の議員のうち4人が市議選への応援依頼などの接点があったことを回答している。

 

 

 

 

 

 

『荒地の家族』と早池峰信仰~そして、図書館”立地論争”と…

  • 『荒地の家族』と早池峰信仰~そして、図書館”立地論争”と…

 

 「仙台南署管内の(若林区)荒浜1,2丁目で、200~300の遺体が発見されている」―。東日本大震災が発生した2011年3月11日午後10時16分、宮城県警が発出した参考情報(第68報)は直後にその数字の誤りは修正されたものの、想像を絶する被害の甚大さを予感させるに十分な急報だった。私自身の「3・11」の記憶もこのおどろおどろしい数字と切り離すことができないまま、いまに至っている。

 

 死別、離別、自死、邂逅(かいこう)…。第168回芥川賞を受賞した『荒地の家族』(佐藤厚志著)はこの荒浜地区を舞台にした物語である。「人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく」―。あの大災厄からまもなく12年、ある造園家がその地をさまよい歩いた末にたどり着いた境地に粛然たる気持ちになった。こんなくだりがある。「白い要塞のように聳え、海から人を守っているのでなく、人から海を守っているように見える防潮堤に向かって祐治(主人公)は歩いた。…用途のないこの場所に植物の興亡だけがあった。住宅は建たない。畑にしては海に近すぎる。人の手で均一にされた風景であるのに人を寄せつけない。忘れられた空間を海からの冷たい風だけが吹き抜ける」

 

 こんな荒漠たる光景がふいに、忘れかけていた記憶を呼び戻したようだった。私は震災直後から大槌町を中心とした三陸沿岸の被災地の支援活動に奔走した。夢遊病者のように瓦礫(がれき)の荒地を彷徨(ほうこう)するひげ面の男がいた。母親と妻、一人娘を津波にさらわれた白銀照男さんの痛苦が小説の主人公「祐治」の姿に重なった。その照さんは昨年12月21日に病没した。享年73歳。3人の行方はわからないままだった。「もう待ちきれなくなって、自分の方から会いに行ったんだな」と私はそう自分を納得させた。

 

 三陸の漁師たちが当時、避難所の中で「山談義」に花を咲かせる理由が最初はさっぱり、理解できなかった。ある時、照さんが「漁師にとっては山こそがいのちなのさ」とヒントを与えてくれた。そういえば、三陸沿岸一帯には海上安全と大漁を祈願する「早池峰講中」の石碑があちこちにあったことを思い出した。自らの持ち船に「第8早池峰丸」と命名した大槌町のある老漁師はタウン誌「パハヤニチカ10号」(2000年10月号)にこんなエピソ-ドを語り残している。「山立て」という言葉をこの時、初めて知った。

 

 「朝見ると、大したきれいにみえる。涙がこぼれるぐれえ立派な山だ。沖に出ると、先ず船の高いところへ上がって山(早池峰山)を見るわけだ。このあたりでは(「山立て」のことを)“山かんぞう”といった。それから縄(はえ縄)をぶつわけだ。船の居場所で山の形が違う。船の中では毎朝、ご飯釜のフタにご飯をのせ『早池峰さん』と口で三回唱えるのが欠かせない儀式だった。魚を獲るなら、山を取れということさ」―

 

 新花巻図書館の“立地論争”の渦中のさ中、その霊峰・早池峰山がいま、私たちの目の前に神々しいばかりの雄姿を見せている。白雪をいただいて、キラキラと輝く山容は息をのむほどの美しさである。漁師だけではなく、内陸の私たちにとってもこの山は行く手を指し示す道しるべ―航路をまちがえないための“羅針盤”のような存在である。いま、旧花巻病院跡地から遠望するこの景観の地こそが、図書館立地の最適地だという声が市民の間に高まっている。

 

 古来、日本人には死んだ人の霊は山に宿るという信仰(山霊)がある。照さんが旅立って1か月が過ぎた。霊峰に導かれたその霊はもう3人の肉親との再会を果たし、水入らずの一家だんらんを楽しんでいるにちがいない。止むことのない渇(かわ)きと痛み(本文から)を抱え続ける「荒地の家族」たちは、これから先もあの大災厄の記憶とともに生き続けなければならない。私たちはその記憶の風化にいかに抗(あらが)うことができるのだろうか…。「イーハトーブ」(宮沢賢治が名づけた「夢の国」=理想郷)に住まう私たちはいま、受難者に寄り添うというあの”賢治精神”ときちんと向き合うべき時を生きているのかもしれない。

 

 

 

 

(写真は仙台市内の書店に勤める佐藤さんの受賞作)

 

 

 

《注》~議会報告会がスタート

 

 「市民と議会との懇談会」(議会報告会)が2日から3日間の日程で、市内12か所の振興センタ-単位で始まった。議長を除く25人の議員が4班に分かれ、議会活動などの報告をする、新花巻図書館やJR花巻駅橋上化(東西自由通路)の二大プロジェクトに市民の関心が高まっており、意見交換の内容が注目される。当ブログでは全日程が終わり次第、その詳細をお伝えします。

 

 

 

 

「1・29」事変から丸3年…“悪夢”はこの日から始まった?!

  • 「1・29」事変から丸3年…“悪夢”はこの日から始まった?!

 

 「広範の非常事態や騒乱のこと。『事件』よりも規模が大きい。宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる」―。ウキペディアは「事変」について、こう説明している。このような意味で、3年前の2020年1月29日はまさに「1・29」事変と呼ぶにふさわしい節目の日だった。この日、「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という事業計画が何の前触れもなく、天から降ってきた。50年間の定期借地権を設定した上で、テナントも合築するという”サプライズ”だった。上田東一市長の名前を拝借して「上田私案」と名づけた“悪夢”の始まりである。

 

 市民にとってはまさに「宣戦布告なき戦争」―このイ-ハト-ブ“図書館戦争”が勃発したちょうど2週間前には日本で初めて、コロナウイルスへの感染者が確認された。以来まる3年、まるでこのパンデミックに足並みをそろえるように足元の戦争は泥沼化の様相を呈しつつある。一体、何がそうさせたのか。宣戦布告どころか、さらに驚天動地(きょうてんどうち)の出来事が日本の首都のど真ん中、首相官邸で起きていた。

 

 「JR花巻駅前のJR用地を活用した新図書館整備事業。図書館と民間賃貸住宅を合築し、図書館に住むという新しいライフスタイルを花巻市民に提供する…」―。“上田私案”が公表される1カ月余り前の2019年12月、首相肝いりの「第21回 まち・ひと・しごと創生会議」が開かれ、紫波町で「民間主導の地域経営・公民連携事業」(「オガ-ル」)を展開する同社社長の岡崎正信さんがひとつの事例発表をした。寝耳に水の議会や市民の間から「地元軽視もはなはだしい」と批判が相次いだが、上田市長は議会答弁でこう言ってのけた。「個人の立場での発表であり、市として関与したわけではない。ただ今後、国の有利な融資を受けるためにも花巻の考えを伝えてくれたのは良かったと思っている。こうした大きな事業を進めるためにはこの種の同時並行的な手続きが必須である」

 

 行政開示文書によれば、岡崎さんが当市の図書館問題に関わったのは、事例発表に先立つ2019年4月24日。JR盛岡支社で行われた「新花巻図書館整備事業スキ-ムに係る協議」に初めて、アドバイザ-として参加。市側がJR側に対し「駅前に複合図書館を建設する場合の案を検討。岡崎氏にアドバイスをいただくのでよろしくお願いしたい」と伝えている。この時の協議には市側から関係3部長を含む9人の大所帯で臨んでおり、岡崎さんへの“丸投げ”は事実上、この日の協議で固まったと言える。

 

 「そもそも図書館というのは、非採算で、しかも維持費の高い公共事業です。だから町の財政が危うくなったときには真っ先に閉鎖が検討される。だからこそ、『稼ぐ』という発想を持って取り組まなくてはいけないんです」(日経メルマガ「新・公民連携最前戦―PPPまちづくり」2015年2月18付)―。人口3万4千人弱の町の駅前施設に年間80万人超の人が集まる「オガ-ルプロジェクト」を成功させた岡崎さんの持論がここにある。しかし、とくに図書館などの文化施設はその地の歴史や風土と密接不可分であることを教えてくたのは、他ならない当市の立地環境の変化だった。昨年秋、旧花巻病院跡地に約100年ぶりに霊峰・早池峰がその雄姿を見せた。「賢治ゆかりのこの地に新図書館を」という声が市民の間に澎湃(ほうはい)と巻き起こった。

 

 「駅前に賃貸住宅も併設する図書館複合施設を建設することは、市街地の人口密度を保ちつつ、市内の複数の拠点を公共交通でつなぐ『コンパクト・プラス・ネットワ-ク』構想の具体的な取り組みの一つです。複合施設の上層部に若者から高齢者まで対応できる様々なタイプの賃貸住宅を整備します。持続可能な街の都市形成に向けて、健康で快適な都市型生活環境を提供し、子育て世代など若年層にも魅力的なまちをつくります…」―。3年前、上田市長は胸を張ってこう述べた。その後、”稼ぐ”対象であったはずの「賃貸住宅&定期借地権」案は撤回され、このスローガンもすっかり色あせてしまったが、市側にはいまだに「駅前立地」の旗を降ろす気配はない。

 

 「駅前か病院跡地か」―。この問いかけは「図書館とは何ぞや」という、いわば“理念”論争の始まりでもある。「空白」のこの3年間を無駄にしないためにも、いや、だからこそと言うべきかもしれない。私たちは「1・29」事変への往還をこれからも繰り返さなくてはならないのだと思う。

 

 

 

 

(写真はイ-ハト-ブ“図書館戦争”のきっかけとなった岡崎さんの事例発表のパワ-ポイント=インタ-ネット上に公開の総務省のHPから。再掲)

 

 

 

 

 

「世界NO2」の背景に市民の力…盛岡のまちづくり~さて、イーハトーブでは「もう、黙っていられない」!!

  • 「世界NO2」の背景に市民の力…盛岡のまちづくり~さて、イーハトーブでは「もう、黙っていられない」!!

 

 米ニュ-ヨ-クタイムズ紙が「2023年 訪れるべき世界の都市52選」のひとつとして、盛岡城址(現盛岡城跡公園=岩手公園)を中心にしたまちづくりを手がけている盛岡市をロンドンに次ぐ2番目にリストアップ―。最近のビッグニュ-スと言えば、これに勝るものはないが、「NO2」に押し上げた陰に粘り強い“市民力”があったことはあまり、知られていない。

 

 そのきっかけになった動きは東日本大震災の2日前の2011年3月9日にさかのぼる。その日、盛岡城址に隣接する桜山神社参道地区の町内会長や商店主らは約3万3千人の署名簿を手に盛岡市役所へ向かった。前年9月、市側は「史跡復元構想」を公表し、参道地区の商店街を撤去する方針を打ち出していた。その計画の白紙撤回を求める議会への請願行動だった。「3・11」に見舞われたのはその2日後。行政も市民も被災者受け入れや支援活動に忙殺された。こんな中、市議会常任委員会は請願の不採択を決定したが、逆に180度の方針転換に踏み切ったのは行政側の方だった。津波がもたらした余りにもむごい破壊の光景がそうさせたのかもしれない。

 

 「古くからの懐かしさと暖かさをもつ昭和の風情を残す魅力ある商業地区として、中心市街地活性化にも大きな役割をもっており、この機能を維持する必要があります」―。震災さ中の2011年7月、市側は計画の実質な白紙撤回を表明し、地元側と現状維持の合意に達した。「史跡復元構想」が実は“勘定所”を模した飲食や土産物を販売する観光施設だったことも反対運動に火をつける結果になった。当時、町並み保存の支援活動をした市民団体「応援し隊」のメンバ-はこんな言葉を残している。

 

 「何よりもこの桜山界隈に寄せられる大勢の人たちの愛こそが、この地を守っていくのだと。今、3月11日の震災を経て、桜山界隈はまた新たな価値を顕しています。震災直後には炊出しの舞台として、その後は復興イベントや沿岸部支援のバザ-、復興祈願祭など、数々の催しの舞台として。かつて戦後盛岡の復興を支えた町は、今、東日本大震災からの復興を支える舞台の一つとして、あの日以来の幾度もの揺れにも負ける事無く、この桜山の地に立ち続けています」(「応援し隊」のブログから)

 

 以来、盛岡市は盛岡城址を中心にした周辺整備事業を継続。昨年は「盛岡城復元調査推進委員会」を設置し、資料提供者に対する報奨金制度も発足させた。一方、同じ中心市街地に位置する花巻城址(旧新興製作所跡地)に目を転じると―。解体された建物の残骸が放置されたまま、すでに5年以上の時が流れた。この無惨な光景が「当り前」になりつつあったその時、隣接する旧花巻病院跡地の背後に霊峰・早池峰の遠望が姿を現した。消えつつあった「歴史の記憶」がふいに呼び戻された瞬間だった。「この地にこそ図書館を」と呼びかける「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」(瀧成子代表)の設立趣意書にはこうある。

 

 「花巻の課題の一つは、言うまでもなく、中心市街地の活性化です。宮沢賢治をまちづくりの核に捉えている市が、賢治ゆかりのエピソ-ドが豊かな病院跡地をなぜ選ばないのか、不思議です。コロナ禍を経験した私たちが求めるのは、深呼吸のできる自然豊かな場所です。花巻の象徴とも言 える早池峰山を望む、広く静かな場所に図書館があれば、これまであまり利用しなかった人も足を運ぶようになるのではないでしょうか」

 

 懐かしい喫茶店やジャズが流れるスナック、酒房、書店、麻雀店、名物食堂…。「いにしえが香る、人情実感通り」を売り物にする”桜山横丁”(愛称「サクヨコ」)には、こんな風情の店がひしめき合い、その数はざっと100店。そして、大陸からの引揚者が戦後を生き延びるために開いた“昭和レトロ”が78年という歳月を経て、「歩いて回れる珠玉の街NO2」に堂々とノミネ-トされた。かつての敵国の有力紙から賞賛を受けるというのも考えて見れば、”歴史の妙”ではある。霊峰・早池峰が100年ぶりにひょいと、顔を見せたみたいに…

 

 「愛する桜山界隈の魅力を開拓し、広く伝えるために行動していこう」―。「応援し隊」は結成当時の決意をこう述べている。一方の「つくる会」の設立趣意書にも「世界一賢治の資料が集まる『賢治ライブラリ-』を…」という文面が見える。さらに、この会のメンバーの一人である「3・11」の被災者、日出忠英さん(81)の目が移住先の当市の”埋もれた宝”(21日付当ブログ参照)を再発見してくれたというのも縁(えにし)の不思議と言うしかない。こうした瑞々(みずみず)しい感性こそが未来を予言するということなのかもしれない。「駅前か病院跡地か」―。イ-ハト-ブ“図書館戦争”はいよいよ、渦中を迎える。

 

 「なんぼしたって、おかしいよね。なんぼしたって、もう黙っていられないよね」―。「つくる会」の瀧代表は21日のシンポジウムのあいさつの中で、自身のこれまでの”無関心”を叱るような口調でこう述べた。

 

 

 

 

(写真は昭和のたたずまいが残る桜山参道商店街。奥が盛岡城址の中に位置する桜山神社=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

“夢の図書館”の実現へ…「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」がシンポ

  • “夢の図書館”の実現へ…「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」がシンポ

 

 「病院跡地の近くに住むお孫さんがね、『あの、きれいなヤマはなんっていうの』と聞いたんですって。おばあちゃんが『市役所に聞いてみたら』と言ったら、今度は孫の方から『早池峰っていうんだって。ここに遊び場や図書館ができればいいね』と返ってきたそうです」―。「花巻の未来の図書館を考える」シンポジウムが21日開かれ、主催団体の「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」の瀧成子代表はこんなエピソ-ドを交えながら、図書館への熱い思いを語った。この日の参加者は約40人で、市側が進めるJR花巻駅前への立地に賛成を表明したのはわずか2人だった。

 

 パネリストは瀧さんのほか、「新花巻図書館整備特別委員会」の委員長を務めた伊藤盛幸市議と東日本大震災後に気仙沼市から当市に移住した日出忠英さん。伊藤議員はこれまでの経緯を説明し、「候補地のひとつである花巻病院跡地はすでに、市側で取得することが決まっている。JR所有の駅前用地を新たに取得することになれば、税金のムダ使いになる。文教施設としての図書館の立地場所はおのずと決まるはずだ」と話した。「地元の人は案外、足元の良さに気が付かないですよね」―。市中心部の災害公営住宅に住む日出さんはこう切り出し、「実はまちのど真ん中の大堰川にはホタルがいるんです。(宮沢)賢治さんを含め、花巻は宝の山」と続けると、会場からほ~っと驚きの声がもれた。質疑に移ると参加者が競うように手を挙げた。

 

 「病院跡地は賢治や(高村)光太郎にも縁が深い。ざっと100年ぶりにその雄姿を見せた早池峰を仰いだ瞬間、図書館はもうここで決まりと思った」(大迫町、男性)、「景観はもちろんのこと、花巻城跡、まなび学園、市役所、中心市街地…。これだけの求心力を持ち、時間と空間がこれほどマッチした場所は他にない」(旧市内、女性)、「この場所の歴史を知った時、これまでの自分の無知に腹がたった。まなび学園は賢治の妹トシが教鞭を取った旧高等女学校。そこから美しい歌声が聞こえてきたと賢治も語っている。花巻で最も大切な場所だ」(旧市内、女性)…

 

 2分間の持ち時間を超えた思いのたけが会場に充満した。「私の娘も電車通学していたが、部活が終わってから乗り遅れないのが精一杯。高校生が利用しやすいというがまるで、取ってつけた理由としか思えない」(東和町、女性)、「文化をないがしろにしてきたと思うと、自分自身も恥ずかしい。NYタイムズ紙でロンドンに次いで行ってみたい街に選ばれた盛岡がうらやましい。イ-ハト-ブもこれに続こう」(東和町、女性)ー。台湾に留学経験のあるスタッフのひとりは「賢治さんの可能性は無限です」として、こんなエピソードを紹介した。

 

 「語学学校の授業の課題で、全大陸から来た若者の前で、宮沢賢治について話した。賢治と聞いても、みんな知らない。でも、宮崎駿、新海誠も、賢治に大きな影響を受けている、と言うと、みんな『おーっ』と食いつく。最後に、賢治の作品はみんなの国の言葉にも訳されていますよと話すと、『読んでみる』と言ってくれます」

 

 シンポジウムのあと、希望者がまなび学園の敷地から霊峰・早池峰山を望む場所に移動した。あいにく、雲に隠れて見ることはできなかったが、瀧さんがホッと安堵したみたいにつぶやいた。「実は今年の元旦にひとりでこの一帯を散策したんです。生粋の花巻人である私自身が足元の歴史をさっぱり、知らなかった。長い間、病棟群に遮られて視野になかった霊峰に接した時、その神々しさにムチを打たれた感じになりました。みんなと力を合わせて、ここに世界一の賢治ライブラリ-をつくりたい」―

 

 以下にこの日、参加者に配布された設立趣意書の全文を掲載する。

 

 

《「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」設立趣意書》

 

 花巻市は図書館に何を期待しているのでしょうか。「賑わい」と「若者のニ-ズ」でしょうか。私たちは、花巻病院跡地こそ、花巻らしい未来の図書館に相応しい場所だと考え、「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」を設立しました。図書館は単なる「本を借りられる場所」ではなく、近年では、人と人をつなぎ、まちの課題解決のための、まちづくりの拠点としての役割を求められていることを、私たちも理解しています。

 

 「イ-ハト-ブ図書館」は、花巻がもつ資源を活かし、まちの課題解決にもつながると考えています。花巻の課題の一つは言うまでもなく、中心市街地の活性化です。宮沢賢治をまちづくりの核に捉えている市が、賢治ゆかりのエピソ-ドが豊かな病院跡地をなぜ選ばないのか、不思議です。

 

 賢治は、日本人作家の中で、もっとも関連書籍が多く、もっとも多く外国語に翻訳されている作家だと言 われています。世界一賢治の資料が集まる「賢治ライブラリ-」を実現できるのは、花巻だけです。日本はもとより、世界中から、研究者やファンが訪れるでしょう。

 

 賢治ゆかりの散策コースを整備し、賢治記念館と連携すれば、観光客を市街地へ誘導することも期待できます。病院跡地の整備にともない、「濁り堀(にごりぼり)」という花巻城のお堀の跡が、100年ぶりに姿を現しました。歴史公園を設ければ、歴史好きの子供からお年寄りまで、散策を楽しむことができます。まちの歴史を学ぶことは、子供たちのまちへの愛着を育てることにもなるでしょう。

 

 また、コロナ禍を経験した私たちが求めるのは、深呼吸のできる自然豊かな場所です。花巻の象徴とも言 える早池峰山を望む、広く静かな場所に図書館があれば、これまであまり利用しなかった人も足を運ぶようになるのではないでしょうか。情報センタ-を設置すれば、市民がつながる場としての役割も果たすことができるしょう。 病院跡地には、広い駐車場が可能です。バス路線を変更して「図書館前」バス停を設ける必要はありますが、駅から徒歩11分。ワクワクできる場所があるなら、苦にはならない距離であるはずです。

 

 分断と混迷を深める現代に、図書館の重要性はますます増しています。誰でも無償で、あらゆる知に広く深くアクセスでき、多様な市民がつながることができる図書館は、人とまちをつくります。賢治は、イ-ハト-ブでは「あらゆる事が可能である」と書いています。これは、想像力が人を自由に豊かにするという、賢治からのメッセ-ジだと考えます。想像力を育む図書館こそ、未来への投資です。花巻の豊かな資源を活かせる、病院跡地での建設を望みます。

 

2023年1月21日

 

「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」(代表 瀧成子)

問い合わせ・連絡先 0198(22)7291(新田)

 

 

 

 

 

(写真は瀧さんのあいさつに拍手を送る参加者たち=1月21日午前10時すぎ、花巻市花城町の生涯学習会館「まなび学園」で)

 

 

 

 

《追記》~図書館”談義”に花!(コメント欄に写真を掲載)

 

 「賢治さんも早池峰登山に熱中したんだよね。”石っこ”賢さんだから、鉱石を集めたり、高山植物を観察したり…」、「賢治さんが教鞭を取った”桑っこ大学”(農学校の前身)もこの辺だったはずよ」、「まなび学園はシニアの拠点。不登校の子どもたちが通う教室もある。生涯学習の場にピッタリ」、「やっぱり、図書館は病院跡地しかないよね」…。この日は残念ながら、早池峰山は顔を見せなかったが、尽きない図書館”談義”に花が咲いた。