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夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その7)~「旅する本屋」と「丘の上の本屋さん」

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その7)~「旅する本屋」と「丘の上の本屋さん」

 

 “図書館狂騒曲”の渦に飲み込まれて辟易(へきえき)する中、ふと3年前の「あの日」の不気味な静寂を思い出した。2020年4月16日、コロナ禍に伴う「緊急事態宣言」は全国に拡大された。“ステイホ-ム”という聞きなれない言葉にうろたえながら、「当分は家に閉じこもって本と付き合うしかないな」とまんざらでもない気分になった。最初に手に取った“コロナ配本”の第1号は『モンテレッジォ/小さな村の旅する本屋の物語』。筆者はイタリア在住の日本人ジャ-ナリスト、内田洋子さん。いま考えるとこれもまた余りにも偶然にすぎるが、私がこの本の読後感をブログに記したのは緊急事態宣言が発出された3日後だった。こうして、コロナ禍における”本漬け”の日々がスタートした。

 

 「イタリア、トスカ-ナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある」―。こんなキャッチコピ-にひかれて一気に読んだ。パンデミックというかつて経験したことのない風景の激変が逆に「本」という存在の大切さを教えてくれたのかもしれない。その時の気持ちの高ぶりを思い起こそうと再読した。

 

 「この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹(つま)しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ」―。イタリア北部の山岳地帯に位置する寒村・モンテレッジォの広場の石碑にはこう刻まれている。この村の歴史を追った内田さんはこう記す。「彫られているのは、籠(かご)を肩に担いだ男である。籠には、外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。男は強い眼差しで前を向き、一冊の本を開き持っている。ズボンの裾を膝まで手繰(たぐ)り上げて、剥き出しになった脹脛(ふくらはぎ)には隆々と筋肉が盛り上がり、踏み出す一歩は重く力強い」―

 

 「石から本へ」―。200年以上前の1816年、北ヨ-ロッパや米合衆国北東部、カナダ東部では夏にも川や湖が凍結するという異変に見舞われ、「夏のない年」と呼ばれた。宮沢賢治の「サムサノナツ」(「雨ニモマケズ」)を彷彿(ほうふつ)させる光景である。モンテレッジォも壊滅的な被害を受けた。栗以外に主産物に恵まれない村人たちはかつて、岩を砕いた「砥石(といし)」をヨ-ロッパ中に売り歩いた。その時に鍛えた肉体が役に立った。屈強な男たちは今度は石のように重い本をカゴに入れて担いだのである。「『白雪姫』、『シンデレラ』、『赤ずきんちゃん』、『長靴を履いた猫』など、子供向けの本はよく売れましたね。ことさらクリスマス前は盛況でした」と行商人の末裔は文中で語っている。

 

 「丘の上の本屋さん」というタイトルの映画の広告が目に止まった。これもまた、イタリア映画である。宣伝文にこうある。「イタリアの最も美しい村のひとつに数えられるチビテッラ・デル・トロントを舞台に、年齢や国籍の違いを超え、本を通して老人と少年が交流する姿を描いたハ-トウォ-ミングスト-リ-」―。本とはまるで縁がないような不毛な「図書館」論議に翻弄(ほんろう)される日々…。早く観たいと、気持ちが急(せ)かされるばかり。そう言えば、村上春樹さんの最新作『街とその不確かな壁』は旧作に推敲を重ねながら、コロナ禍の3年間をかけた力作。これも読まねばなるまい。さっそく、注文した。

 

 モンテレッジォの村人たちは70年前、本への感謝を込めて、最も売れ行きの良かった本を選ぶ「露天商賞」を創設。第1回目にはヘミングウエイの『老人と海』が選ばれたという。わがイ-ハト-ブの図書館関係者にはこの心意気の爪のアカでも煎じて飲んでほしいものである。

 

 

 

 

 

(写真はモンテレッジォの村の広場に建つ「本の行商人」をたたえる石碑=インタ-ネット上に公開の写真から)

 


 

 

「日報論壇」騒動記“余話”…今度は肩書”詐称”疑惑!!??

  • 「日報論壇」騒動記“余話”…今度は肩書”詐称”疑惑!!??

 

 「(4月)10日付『大分知事選 草根の安達氏勝利』は誤りでした。掲載すべき記事を取り違えました。おわびして取り消します。正しい記事と見出しを掲載します」―。4月11日付の岩手日報の片隅にこんな訂正記事が載った。知事選の当落を取り違えるというメディアにとっては前代未聞の致命的なミスである。選挙報道に携わった経験から言えることは「当落ミス」は犯してはならない最低限の生命線だということである。この地元紙に一体、何が起きているのか。危機管理の低下や機能不全をうかがわせる予兆は実は私の周辺にもあった。

 

 新花巻図書館の立地場所をめぐる「日報論壇」が3月から4月初めのわずか1週間の間に3本掲載された。同一テ-マでの集中掲載は異例のことである。私の投稿が「新図書館 分断なき議論を」(4月5日付)と題して掲載された翌6日、それに対する反論めいた投稿が「図書館整備へ 冷静な対応を」として同じ欄に載った。このタイミングの良さにも眉に唾をつけたくなったが、投稿者の肩書…「新花巻図書館―まるごと市民会議代表」にまた、びっくりした。投稿者自身が3月29日付の自らのFBでこう書いているにも関わらず、である。「代表の立場を後任に譲り、この肩書で任命されていた『新花巻図書館整備基本計画試案検討会議』の委員も自動的に3月いっぱいで退任することになった」

 

 私は後任の代表にも経緯を確認した上で、4月8日付で担当者に対し「事情を知らない読者の中にはこの投稿が会の総意を表すものと受け取られかねない。肩書を詐称していたとすれば、その確認を怠った側の責任も問われる」として、事実関係を確認した上で紙面上での訂正を申し入れたが、1週間たった今もナシのつぶて。投稿規程には連絡先の記入も義務付けられており、確認は電話一本で済むはずである。この辺にもこの新聞のリスク管理の脆弱さが見て取れる。時を同じくして「週刊文春」(4月13号)に「岩手県の県紙、岩手日報でク-デタ-らしい」という内容の囲み記事が載っていた。17年間続いたワンマン社長の交代劇を伝えるスキャンダルだった。

 

 実は私は「まるごと市民会議」の立ち上げに関わったひとりである。その機関紙「ビブリオはなまき」(2021年5月)の創刊号にこう書いた。「“図書館戦争”はもちろん、終結を見たわけではない。それどころか、戦火は今後ますます、激しく燃え盛ることが予想される。市議会側や一部の市民運動が『立地』論争にシフトしていく中で、『ハ-ドより、ソフトを』という当会の基本理念は微動だにするものではない。ひたすら『王道』を歩み続けるのみである」―。その後、事情があって退会したが、私自身の立ち位置はいまも「微動」だにしていない。

 

 あの時からもう2年近くが過ぎた。過熱さを加える「イ-ハト-ブ“図書館戦争”」は行政や議会、市民運動、これにメディアも参戦して、まるで泥沼の様相を呈しつつある。諸悪の根源が奈辺(なへん)にあるかは明々白々だが、それにしても酷(ひど)すぎやしないか…。確信をもって、断言できることは当地の行政もメディアもすでに瀕死の状態にあるということである。

 

 

 

 

 

 

(写真は肩書詐称が疑われる「日報論壇」=4月6日付)

 

“震災”桜…安渡の一本桜に会ってきた~そして、不思議な邂逅へ

  • “震災”桜…安渡の一本桜に会ってきた~そして、不思議な邂逅へ

 

 東日本大震災から13年目の桜シ-ズンを迎え、急に安渡の一本桜に会いたくなって、会ってきた。三陸沿岸の大槌町のこの場所には当時、安渡小学校が建っていた。高台の眼下には鏡のような大槌湾が広がっていた。あの日、ひしめき合っていた漁師町は津波に一飲みされ、真っ黒い塊りは学校のすぐそばまで迫った。避難所に姿を変えた校舎と体育館には着のみ着のままの被災者があふれ、校庭には暖を取るための焚火が燃やされた。「3・11」のその日は雪まじりの寒い日だった。しかし、その後の季節の移ろいの記憶がすっぽりと抜け落ちている。桜の開花のその記憶が…

 

 「この桜の下で再会しよう」―。出征兵士がこう誓い合ったというから、植樹は先の大戦以前だったらしい。校庭のぐるりには十数本の桜が植えられていた。震災後、周辺の道路改修工事に伴う伐採計画が持ち上がった。「震災でバラバラになった人たちのためにも記念に残せないか」―こんな住民の声が届き、1本だけ生き残った。復興工事やコロナ禍の中で延期になっていた花見会が9日、満開の桜の下で開かれた。このニュ-スを新聞で知り、いてもたってもいられなくなった。

 

 私が有志と一緒に支援組織「いわてゆいっこ花巻」を立ち上げて現地入りしたのは3月下旬。念のため、震災時の当地の開花日を気象台の記録で調べてみると「3月31日」とあった。まさに、春爛漫のただ中にあるのに…。満開の桜に囲まれた校庭には塩をまぶしただけのおにぎりを求める長蛇の列ができ、まだ寒気が残る校庭の真ん中では倒壊した家屋の柱がくべられていた(コメント欄に写真掲載)。「もう、一体見つかりました」。周囲のがれきの中では自衛隊による行方不明者の捜索が続けられる日々…被災者もそして私自身も桜をめでる心の余裕などなかったのである。

 

 あれから丸12年―。旧小学校は中央公民館安渡分館に生まれ変わり、慟哭(どうこく)が絶えることがなかった校庭ではお年寄りたちがグランドゴルフに興じていた。おおいかぶさるような桜花に圧倒された。“焚火の番人”を自認していた白銀照男(享年73)はまだ、行方不明のままの3人の肉親との再会を待ちかねたように昨年12月21日に旅立った。同行取材したイタリア人の女性ジャ-ナリスト、アレッシア・チャラントラさん(当時30歳)は避難所になった教室の1室で被災者と寝食をともにした。「襲ったりしないから、安心して」と白銀さんが声をかけると、アレッシアさんはニッコリ笑った。こんな光景と会話が走馬灯のように去来した。

 

 「あんた、どっかで見かけた顔だと思った…」―。グランドゴルフの手を休めたおばあさんが声をかけてきた。「やっぱり、ゆいっこのあんたじゃないの。あの時は炊き出しをしてくれたり、お茶っこ会をしてくれたり、本当に助けられた。そうそう、でっかいテントも提供してくれたよね」…。雨風を避けるため大型テントを調達して、校庭の片隅に設置したことを思い出した。みんなのたまり場となったこの“テント村”の村長は生粋の漁師の佐藤正さん(愛称「タ-坊」)。いつも白銀さんに付きっきりで世話をしていた。「タ-坊は元気?」と私。「照さん(白銀)が逝(い)った時は力を落としていたけど、いまは元気を取り戻したよ。おれは大沢温泉(花巻)の自炊部に2か月近くも世話になった。あの時もゆいっこさんが支援物資を届けてくれた」…。こんな話に花が咲いた。

 

 別れ際、もう一度「安渡の一本桜」を見上げた。この花たちこそが、時空を超えた「記憶」の貯蔵庫ではないのか。そう思うと、年甲斐もなく胸に迫るものを感じた。そうしたら…。当ブログを書き上げた直後、携帯が鳴った。画面に「大分・幸野」の文字…一瞬、だれなのかと首をかしげた。「一緒に大槌の支援に連れて行ってもらった九州・大分の花屋の幸野(敏治)です。7月に再訪するのでぜひ、お会いしたい…」。あまりのタイミングの良さにブログ記事を読んだ上での連絡かと思ったが、そうではなかった。おそらく、一本桜が引き合わせてくれたのだと思うことにした。それにしても…。これまで感じたことがない感覚に襲われた。「まるで、呼ばれているみたいではないか。やり残したことを早く、片付けなくては…」

 

 

 

 

 

(写真は満開の「安渡の一本桜」=4月10日、大槌町安渡の旧小学校跡地で)

 

「生きる」3部作…そして、理想郷「イ-ハト-ブ」のいま

  • 「生きる」3部作…そして、理想郷「イ-ハト-ブ」のいま

 

 「最期を知り、人生が輝く」―。こんなキャッチフレ-ズの英国映画「生きる―LIVING」(オリヴァ-・ハ-マナス監督、2022年)を観た。黒澤明監督の不朽の名作「生きる」(1952年)のリメイク版で、ノ-ベル賞作家カズオ・イシグロが脚本を担当した。名優ビル・ナイの静寂にして鬼気迫る演技に圧倒されながら、オリジナル版の主人公志村喬の迫真の演技(コメント欄に写真掲載)を改めて思い出した。「『生きる』とは『生き直す』ことだ」…こんなメッセ-ジを体全体で受け止めながら、私は「70年という時空を経て、いまなぜ」という思いにとらわれた。符節を合わせるようにして、もうひとつの「生きる」が上映された。

 

 東日本大震災(3・11)で児童74人(うち、行方不明4人)と教師10人の命が奪われた大川小学校の遺家族が石巻市と宮城県を相手取った「国家賠償」訴訟を記録したドキュメンタリ-映画「生きる―大川小学校津波裁判を闘った人たち―」(寺田和弘監督、2022年、3月28日付当ブログ参照)である。学校側や市教委が避難訓練を怠るなどした「平時からの組織的過失」を認めた画期的な判決と言われた。しかし、未来を約束されていたはずの子どもたちの命は戻ってこない。上告を退けた最高裁はこう断じた。「学校が子どもの命の最後の場所になってはならない」―

 

 こんな行政の怠慢に安住してきた市役所職員が「自分の生を生き直す」という物語が70年前の黒澤作品である。縦割り行政に付きものの“たらいまわし”…。志村が扮する市民課長の「渡辺寛治」はただハンコをつくだけの役所人生に何のやましさを感じることなく、いやむしろそれが役人の心得とばかりに勤続30年を迎えようとしていた。そんなある日、胃に異常を感じ、余命半年というガンの宣告を受ける。自棄めいた日々を送る渡辺はかつての部下である女性職員のはつらつとした生き方からパワ-をもらったような気持になる。かつて、公園を作ってほしいという市民の陳情を邪険に扱ったことがあった。渡辺は病魔と闘いながら、まるで人が変わったように建設に奔走する。

 

 「これは、この物語の主人公の胃袋である。幽門部に胃ガンの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない。彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとはいえないからである。いったいこれでいいのか。この男が本気でそう考えだすためには、この男の胃がもっと悪くなり、それからもっと無駄な時間が積み上げられる必要がある」―。オリジナル版は冒頭に1枚のレントゲン写真を映し出し、こんな皮肉なナレ-ションで幕を開ける。「生き直そう」という渡辺の狂気のような振る舞いに度肝を抜かれながら、ふと余命幾ばくもないような足元の行政の腐敗ぶりにハッと心づいた。「生き直そう」という気迫のひとかけらも感じられないではないか(4月5日付当ブログ「ストップ・ザ~”東大話法”」参照)

 

 「いのち短し/恋せよ少女(おとめ)/朱(あか)き唇/褪(あ)せぬ間に/熱き血潮(ちしお)の/冷えぬ間に/明日の月日の/ないものを…」(吉井勇作詞、中山晋平作曲)―。渡辺こと志村喬は最後のいのちをかけた公園のブランコに揺られながら、「ゴンドラの唄」を口ずさむ。降り積む雪の中で志村の体は動かなくなる。同じラストシ-ンでビル・ナイが歌うのはスコットランド民謡の「ナナカマドの木」…こんな歌詞である。「ああ!ナナカマド、ナナカマド/私の親愛なる樹よ/幼い頃からお前の姿は/私の心に焼きついている/お前の葉は春、最初に開き/夏は誇り高く花を咲かせる/ふるさとにあるそんな愛しい樹/ああ!ナナカマド!」

 

 「生きる」3部作を観ながら、つくづくと実感した。「生と死とはいつの時代でもどこでも絶えることのない自らへの問いかけなのだ」と…。「イ-ハト-ブはなまき」はこれから先、一体どこに向かおうとしているのだろうか。

 

 

 

 

 

(写真は「ナナカマドの木」を口ずさみながら、死を迎えるビル・ナイ=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

今度こそ、“図書館王道論”の論議を…ストップ・ザ~”東大話法”!!??

  • 今度こそ、“図書館王道論”の論議を…ストップ・ザ~”東大話法”!!??

 

 「図書館建設 若者の声聞いて」(3月31日付「日報論壇」)への反論として投稿した原稿が4月5日付の同欄に「新図書館 分断なき議論を」というタイトルで掲載された。素早い対応に感謝したい。これを機会に混迷の度を深める図書館論議が原点に戻ることを期待したい。“東大話法”を操って、市民や議会を混乱させてきた上田東一市長にはこの際、猛省を促したい。『もう「東大話法」にはだまされない』(安富歩著、東京大学東洋文化研究所教授)の帯にはこうある。「わざとややこしく話して問題をウヤムヤにし、ケムにまいて責任逃れをする、徹底的な不誠実にごまかされないために」―。以下に投稿文の全文を転載する。

 

 

 

 「図書館建設 若者の声聞いて」(3月31日付)に反論したい。懸案の市政課題である新花巻図書館の立地場所に関して、市民の意見は市側が第1候補に挙げる「JR花巻駅前」と「総合花巻病院跡地」に二分された感があるが、投稿者は前者に賛成する立場で論を展開。その際、病院跡地への立地を求める市議会における一般質問の一部を切り取り、「大人の価値観を押し付けてしまって良いわけがない」と断じた。選挙で選ばれた議員の質問権に露骨に干渉するというやり方は当局側の意を体した「言論封じ」としか言いようがない。

 

 そもそも、立地論争がこれほどこじれた背景には根強い行政不信がある。市側は3年前、JR花巻駅前に住宅付き図書館を建設するという構想を突然、市民や議会の頭越しに公表した。その後「住宅付き」部分は白紙撤回したが、駅前立地の旗は現在も降ろしていない。そんな折、旧総合花巻病院が解体され、霊峰早池峰山を望む広大な空間がこつ然と姿を現した。「花巻城址に隣接し、生涯学習の場であるまなび学園と背中合わせのこの地こそが最適地」―こんな声が日増しに大きくなった。

 

 市側は昨年10月に17回にわたって、市民説明会を実施した。その結果、病院跡地への立地を希望した市民が32人だったのに対し、JR花巻駅前への希望は18人だった。高校生など若者世代の“駅前待望論”が目立ち始めたのはその直後からである。11月から12月にかけて市内6校を対象にグル-プワ-クが実施され、総勢130人が参加。駅前立地が93人だったのに対し、病院跡地が25人と市民説明会と数値が逆転した。何となく、うさんくささを感じた。

 

 「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」(2022年12月議会)―。同じ議会の場で上田東一市長は世代を分断するような発言をしている。今回の日報論壇はこの市長発言と軌を一にする内容である。花巻市まちづくり基本条例はこう定めている。「私たちは、まちづくりに関する基本的事項を共有し、市民が自ら考え、決定し、行動する市民参画と協働のまちづくりを進めることによって真に豊かな地域社会を実現するため、ここにこの条例を定めます」

 

 

 

 

 

(写真は“目くらまし"のような答弁を繰り返し、議員を翻弄する上田市長=花巻市議会議場の答弁席で)

 

 

 

 

《追記》~「図書館」論壇が花盛り。掲載基準は一体、どうなっているのか

 

 「図書館建設 若者の声聞いて」(3月31日)、「新図書館 分断なき議論を」(4月5日)、「図書館整備へ 冷静な対話を」(同6日)。わずか1週間の間に新花巻図書館に関する「日報論壇」が3本掲載された。同一テ-マでの集中掲載は寡聞にして知らない。その一方で私が昨年10月10付で投稿した同趣旨の論壇原稿(3月31日付当ブログ参照)はボツ状態で今に至っている。これでは読まされる読者の方が混乱するばかりである。

 

 社内に論壇の掲載基準はあるのかどうか。あるのなら、その掲載の可否はどのような基準に基づいて行われるのか。単なる“気まぐれ”なのか、それとも“御用新聞”が陥りがちな当局側に対する“忖度”なのか。記者経験がある私から見れば、現場の取材力の低下が実は大きな要因のような気がする(4月4日付当ブログ参照)。現にこの大プロジェクトについて、きちんと論点整理をした本紙記事にはお目にかかったことがない。根っこが腐れば、どんな大木だっていずれ倒れる。