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「おためごかし」という偽善

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 本を閉じ、ふ~っとため息をつきながら、私はひとりごちた。「この世に対する、これは絶望の書ではないのか」と…。ダダイストの辻潤(1844―1944年)はその名もずばり『絶望の書』(1930年)の中にこう記している。「自分はなんだ?…という疑問に対して、一切無であるという定義は同時になんの定義でもあり得ないが、それ以上に明確な答えはあり得ないのだ…矛盾ということはまた一切であり、同時に無だという意味を含んでいる。一切の現象はそれが、現象である限り、悉(ことごと)く矛盾しているのである。矛盾は現象を成立する根本原理に他ならない」―。「存在論」(オントロジ-)の根本を問う、この呪文みたいな言葉が違和感なく、その本に重なった。

 

 「善良無害をよそおう社会の表層をめくりかえし、だれもが見て見ぬふりする、暗がりを白日にさらす」―。作家、辺見庸さんの最新作『月』のキャッチコピ-にはこんなおどろおどろしい文章がおどっている。「存在」と「非在」、「狂気」と「正気」…。人間存在のあわいを書き続けてきた作家の関心は当然のように「相模原障がい者施設殺傷事件」へと向かう。2016年7月、神奈川県相模原市内の知的障がい者施設で、元職員の男性(当時26歳)が刃物で19人を刺殺し、職員を含めた26人に重軽傷を負わせた戦後最悪の事件である。「さとくん」(園の職員)と「き-ちゃん」(園の入所者)を小説の主人公にすえ、その内面をえぐり出すようにして、物語は進行する。たとえば、二人の間にこんなやり取りめいたことがある。

 

 さとくん;「まったくね…あんたは、なんなんだい?いったい、なにから生まれてきたんだい?なんのために?ひとからかい?まさか…」「しんじらんない。あんた、なにしに生まれてきたんだよ…なくてもよかったろうに…」(作者注・さとくんは表面は明朗快活な性格で、園の人気者だったが、後に退職。園の仕事をつうじ「にんげんとはなにか」といった大テ-マをかんがえるようになり、「世の中をよくしなければならない」と決心する)

 

 き-ちゃん;「そのとき、あたしは澄んでいた。なにか、背筋に快感をおぼえた。やったあ、とおもった。さとくんいがいのだれが、わたしにじかに、こんなことを問うだろう。こんなにも、きほんてきなことを。むきだしの、ぶしつけな、きほん。…わたしは無から生まれてきた。だから、あたしは無だ。」(作者注・き-ちゃんはベッドの上にひとつの“かたまり”として存在しつづける。性別、年齢不明。目がみえない。歩行ができない。上肢、下肢ともにまったくうごかない。発語ができない。顔面をうごかせない。からだにひどい痛みをもち、ときに錯乱し悩乱する。しかし、かなり自由闊達に「おもう」ことができる。すべての「無化」を希求している)

 

 当時、この“極悪非道”な殺人事件に世間は驚愕(きょうがく)させられた。国民のほどんどは障がいのある人たちに心からの哀悼を捧げ、犯人に対しては激しい憎悪の目を向けた。マスメディアも、そしてこの私も…。辺見さんはそうして善意とか正義とか平等とかの背後にうごめく「ウソさ加減」を書こうとしたのではないのか。「人間には誰しも生きる権利がある」などという正論をヘラヘラと口にする私たち自身の内部に巣くう「浄化(クレジング)と排除の欲動」(本書帯文)…。ナチスドイツを引き合いに出すまでもなく、この国はわずか23年前まで知的障がいや精神に疾患のある人に強制不妊をほどこす「旧優性保護法」(1948年―96年)を許してきたではないのか。辺見さんはこの正体を「おためごかし」と呼んでいる。つまりは「偽善」ということである。

 

 フィナ-レの部分にこんな一節がある。「わたしとあまりにもことなっているために、かえって、どこかよく似たあなた。さとくん、遥(はる)けしちかさのあなた。どこにも『場』のないきみ。どこにも『場』のないわたし。なにもかも、すべて、ことごとく廢(し)いた世界の、無‐場(別の個所では「nowhere」という英字表記も)…」―。さとくんとき-ちゃんの立場が同化する一瞬…つまりは誰でもどちらにもなり得るという「オントロジ-」の深淵をのぞかされたように思った。ひるんでしまった。

 

 LGBT(性的少数者)に対し「生産性がない」と言った国会議員がいた。この発言を批判しつつ、私たちは心のどこかで「浄化と排除」を了承してはいないか。周囲に気づかれないように「快哉」(かいさい)を叫んではいないか。その一方で、国民の約8割が「死刑制度」を容認しているというデ-タがある。「人間には誰しも生きる権利があるという」という口の端をへし折るようにして、「死刑賛成」という大合唱が聞こえてくる。辻潤の「矛盾論」が少し、わかるような気がする。そういえば、昨年夏、オウム真理教の死刑囚13人に死刑が執行された時、この列島が祝祭気分だっことを思い出す。「さとくん」には一体、どんな裁きが待っているのか。その時、私たち国民は…

 

悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ」―。被災地・石巻出身の辺見さんは東日本大震災の際にこう語った。人間存在の根本に迫るその筆致に圧倒される。この人の著作に向き合う時は表皮がべろりと引きはがされるような、そんな“覚悟”が必要である。一時は遠ざけていた「辺見」本を妻を亡くして以降、手に取る機会が増えたような気がする。

 

 

(写真は最新刊の『月』と近影の辺見さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

縁(えにし)の不思議

  • 縁(えにし)の不思議
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 「東北のなかでもとりわけ交通の便がよくない町に立地しながらも、1960年代からジャズ喫茶として地道に営業し続けてきたのに、店全体が津波に流されてしまった。幸い、店主の佐々木賢一氏は後ろから襲ってくる津波をギリギリで逃げ切ったが、長年集めた店内のレコ-ドや写真やミュ-ジシャンからの手紙などが一切合財なくなってしまった。半世紀以上の過去の記録が、一気に消えてしまったわけだ」―。日本在住の日本文化研究者、マイク・モラスキ-さん(63)は2006年、日本語で初めて書いた『戦後日本のジャズ文化』でサントリ-学芸賞を受賞したが、2年前に刊行された岩波現代文庫版のあとがきに冒頭のような文章を寄せている。

 

 文中の佐々木賢一さんこと「賢ちゃんは」は東日本大震災(3・11)でがれきの荒野と化した三陸沿岸の大槌町駅前で、ジャズ喫茶「クイ-ン」を経営していた。創業は60年近くも前、岩手最古と言われた。大津波はこの老舗を一気に飲み込み、奥さんの命を奪ったうえ、2万枚以上のレコ-ドを海へと流し去った。震災直後、私は無残な姿をさらけ出す跡地に呆然と立ち尽くしていた。足元には数枚のレコ-ドの破片が泥まみれなって散らばっていた。名古屋市内の妹さんの家に避難していた賢ちゃんは3ケ月後、花巻市に居を移した。

 

 「死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子ども/他には何も残さなかった/墓石ひとつ残さなかった」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲『死んだ男の残したものは』)―。賢ちゃんの生還を祝ったライブが開かれ、畏友の坂田明トリオがこの名曲を奏でた。ボロボロとあふれる大粒の涙が真っ白いひげを濡らした。こぶしで目をぬぐいながら、賢ちゃんが言った。「生死を分けたのは運命のいたずらだとしか考えられない。でも、生かされた以上、この歌のように精一杯生きるしかない」―。賢ちゃんが別の追悼ライブで「おかしなアメリア人がいるんだよ」とモラスキ-さんを紹介してくれた。その言いぐさが振るっていた。「この男はおれ達よりもジャズに詳しいんだよな。それだけじゃない。居酒屋論も展開する。ただもんじゃないぞ」―。あった、あった。『呑めば、都』なんていう著作も。

 

 私の妻が亡くなったちょうど1週間後の昨年8月5日、賢ちゃんはまるで後を追うように突然、旅立った。妻より1歳年上の76歳だった。長女の多恵子さんが住む、花巻市東和町の自宅に焼香に伺った。懐かしい遺影の前に1通の封書が置かれていた。「モラスキ-さんからです。どうぞ」と多恵子さんが言った。丁重なお悔やみの言葉が何枚にもわたって、日本語でつづられていた。「彼がね、また新しい本を出したんだって」と分厚い文庫本を見せてくれた。『新版 占領の記憶/記憶の占領』(岩波現代文庫)―。「戦後沖縄・日本とアメリカ」という副題がついていた。ペラペラとめくって見て、びっくりした。私が「沖縄」ウオッチをする際にいつも参考にさせてもらう芥川賞受賞作家、目取真俊さん(58)の文学論に多くのペ-ジを割いていたからである。

 

 目取真さんは1997年、『水滴』で第117回芥川賞を受賞した。「戦後生まれの小説家の中で、彼ほど『戦争の記憶』という問題を真摯かつ独創的に追究し続けた作家はいないだろう」とモラスキ-さんは同書に書いている。この小説はウチナ-口(沖縄方言)を効果的に使いつつ、とくに沖縄戦の内奥を鋭くえぐった作品である。私がさらに驚いたのはヤマトンチュにも読解が困難なこのテキストを英語で翻訳していたことだった。ジャズピアニストでもある、その異能多彩ぶりは当然のこととして、この米国人が沖縄に寄せるまなざしにこころを打たれた。「私としてはなるべく広い読者層に紹介したく、アメリカの地味ながら由緒ある文学雑誌に拙訳を掲載してもらった」とその気持ちを明かしていた。

 

 1月7日付当ブロブの《追記―3》で触れたように、目取真さんのブログ「海鳴りの島から」は「辺野古」新基地建設現場の動きをリアルタイムで知ることができる、私にとっては“羅針盤”の役割を担っている。本業の作家活動をわきに置き、目取真さんは連日のように現場にカヌ-を漕ぎ出し、抗議行動を続けている。その両立性について、モラスキ-さんはこう指摘する。「作家・批評家・運動家としての総合的な活動こそ、現在の沖縄における戦争と占領の継続性をくっきりと浮き彫りにしている」―。3年前の秋、目取真さんは沖縄県東村高江のヘリパッド(ヘリコプタ-離着陸帯)建設現場で、機動隊員から「土人」発言を浴びせられた。ニライカナイ(琉球国)の地に根を下ろした目取真さんにとっては「現場」に身を置くことそれ自体が小説の作法なのである。

 

 賢ちゃんにモラスキ-さんを紹介され、その人が今度は「目取真」論を展開する。つくづくと「縁(えにし)の不思議」を思う。「他生の縁」とも「多生の縁」ともいう。私は時々、賢ちゃんの仏前に手を合わせ、そして、毎日のように「海鳴りの島から」をのぞきながら、沖縄の無法を体に刻み込む。「おかしな」外国人に仲を取り持ってもらった「縁」で…

 

 

(写真は「賢ちゃんを励ます会」に集まったジャズ仲間。右から在りし日の賢ちゃん、老舗ジャズ喫茶「ベ-シ-」店主の菅原正二さん、サックスの坂田明さん=2011年6月27日、一関市のベ-シ-で。右の写真はモラスキーさん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》

 

 2018年11月9日付当ブログで紹介した作家、葉真中顕さんの『凍てつく太陽』(幻冬舎)が第21回大藪春彦賞を受賞した。

『宝島』、沖縄で異例の売れ行き…ある予感

  • 『宝島』、沖縄で異例の売れ行き…ある予感

 

 米軍占領下の沖縄でもがきながら生きる若者たちの姿を描き、直木賞を受賞した真藤順丈さん(41)の小説「宝島」(講談社)が沖縄県内で反響を呼んでいる。受賞発表翌日の17日、各書店では売り切れが続出。那覇市内の書店スタッフは「直木賞受賞作と言っても、これだけ反響があるのはめったにない。異例だ」と驚き、「沖縄の歴史や今も続く基地問題について考える一冊」と称賛する。

 

 物語は、米軍基地から物資を盗む「戦果アギヤ-」と呼ばれた若者たちを描く。沖縄の言葉をふんだんに盛り込み、沖縄の戦後史に切り込んだ意欲作だ。那覇市久茂地のリブロリウボウブックセンタ-店では、直木賞が発表された16日夜、閉店間際に本を求めて数人が駆け込んだ。17日も朝から売れ続け、用意した40冊は午後3時ごろに完売した。

 

 ライタ-の友寄貞丸さん(58)=那覇市=は、知人から東京で売り切れているので手に入れてほしいと連絡があり急いで購入。「沖縄の戦後史を本土の作家がどう捉えて小説にしたのか興味がある」と笑みを浮かべた。店頭に並ぶ最後の2冊を購入したのは那覇市の60代の夫婦。「小説の舞台が沖縄なので読みたくなった。復帰前の私たちは高校生。主人公の思いが重なるかもしれない」と話した。

 

 同店スタッフの宮里ゆり子さん(37)は「表現力がすごくて、読んでいると頭に映像が浮かんでくる」と絶賛した。「主人公が今の沖縄で生きているなら、基地にどう向き合っていただろうかと考える。基地がある沖縄の歴史や今も続く問題を考える一冊だと思う」。16日夜にブ-スを設けた同市牧志のジュンク堂那覇店では、17日正午すぎに50冊が完売。200冊を追加発注した。森本浩平店長(44)は「圧倒的なクオリティ-。きょうは年配の方が多く購入していたが、若い人たちにも手にとってほしい本」と太鼓判を押した。

 

 午前中で22冊が売り切れた同市おもろまちの球陽堂書房メインプレイス店では、すでに20冊以上の予約を受け付けた。新里哲彦店長(61)は「小学校への戦闘機墜落、交通死亡事故の無罪判決、コザ騒動など、主人公を通して沖縄の痛みが理解できる。多くの人に読んでほしい」と願った。

 

 

【ことば】戦果アギヤ- 戦後の沖縄で、米軍の倉庫から豊富な物資を盗み出すことを得意とした人のこと。食うや食わずの住民生活に比べて米軍物資はあり余るほど豊かで、生きていくためのぎりぎりの手段でもあった(1月18日付「沖縄タイムス」)

 

 

(写真は売り切れの張り紙を出した書店=1月17日午後、那覇市内のジュンク堂書店那覇店で、「沖縄タイムス」より)

 

《追記》~ある予感

 

 「沖縄の米軍基地から物資を盗み出す“戦果アギャ-”は年端もいかない少年少女たち。『生還こそがいちばんの戦果』と言っていたリ-ダ-がある夜突然消えた。圧倒的熱量!!聴け、沖縄の歌を」(1月19日付「朝日新聞」)―。第160回直木賞と第9回山田風太郎賞の2冠を達成した真藤順丈さんの『宝島』を宣伝する新聞広告にある予感を感じた。「沖縄」問題に“知らぬが仏”を決め込んできた本土(ヤマト)側に、この本はなにか別の風を吹かせるのではないか―そんな予感を。その一方で「逆もまた真なり」という不吉な予感も…

 

 

 

「韓国徴用工」裁判をめぐる異様なバッシング…『宝島』、直木賞に

  • 「韓国徴用工」裁判をめぐる異様なバッシング…『宝島』、直木賞に

 

 「明けましおめでとうございます。徴用工裁判に関する提言を『世界』最新号に書きました。お目に留まりましたら…」―。年明けの元日、奥秩父連峰の主峰・金峰山の山頂から新年のメッセ-ジが届いた。旧知の弁護士、内田雅敏さん(73)からだった。彼は弁護士として、私は取材者として「花岡」事件にともにかかわった間柄である。実は昨年12月初め、移設問題(新基地建設)で揺れる沖縄・辺野古の現場でばったり、出くわした。「ここでは新しい出会いと古い友人との再会があります」と内田さんは目を白黒させた。まさにそんな奇遇だった。目の前ではむき出しの国家暴力の横暴が繰り返されていた。その光景が二人の間に70年以上も前の記憶を呼び覚ましたようだった。

 

 太平洋戦争末期、東条内閣の「華人労務者内地移入ニ関する件」(閣議決定)によって、秋田県大館市(当時花岡町)に強制連行された中国人が過酷な労働に耐えかねて蜂起(ほうき)。劣悪な労働環境や虐待などで400人以上が死亡した。生存者・遺族は経営者の鹿島建設(当時鹿島組)を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたが、2000年11月、鹿島側が被害者救済のために5億円を拠出することで東京高裁で和解が成立した。日中共同声明(1972年)で中国側の賠償請求権は放棄されたことになっているが、この壁を乗り越えての民間同士の和解だった。「どうして、政府やマスメディアはこの先例に学ばないのか」―。二人の話題はつい1ケ月ほど前の韓国での同種の裁判に向けられた。

 

 韓国の大法院(最高裁)は2018年10月、戦時中に日本製鉄(現新日鉄住金)で強制労働させられた元徴用工の訴えを認め、賠償を命じる確定判決を下した。その後、三菱重工業に対しても同様の判決が出されたが、日本政府は「日韓請求権協定(1965年)で解決済み」と主張し、マスメディアも右ならへの”翼賛“報道に終始している。この協定で放棄されたのは国家の権利である「外交保護権」に限定されており、個人の請求権まで消滅させたものでないというのが従来の政府見解だったはずである。

 

 「強制労働問題の和解への道すじ」―取り寄せた『世界』2月号で、内田さんは「日韓関係が冷え込むなか、同じ強制労働問題に関し、参考すべき例がある。『花岡事件』の中国人被害者と加害企業の和解である」と書き、日本政府のかたくなな韓国バッシングを批判。同じ号では「花岡和解」の際の東京高裁の裁判長だった新村正人さんも手記を寄せ、当時の気持ちをこう述べていた。「日中関係について謙虚に歴史に向き合うことがまずもって日本の側に求められている、そのことを国の指導的立場にある人々にはもっと強く認識していただきたい」―。日中関係を「日韓関係」に置き換えてみる。あるいはこれに「日沖(ヤマトとウチナ-)関係」という言葉を並べてみると、もっと分かりが良い。「歴史認識」がわずか20年ほどの間にこのように逆転してしまったことに驚いてしまう。

 

 沖縄では米軍普天間基地の「辺野古」移設に反対する民意が司法判断によって、ことごとく退けられている。そして今度は隣国の大法院(最高裁)判決に干渉しようというのである。これでは「無法国家」と言われても仕方があるまい。こうした逆行にマスメデァだけでなく、国民の多くも異議を唱える様子は見られない。目に見えない“同調圧力”(村八分)が周囲に充満している。辺野古の新基地建設現場で内田さんと会って1カ月余り。埋め立て現場の陸地化は急テンポで進んでいる。

 

  「脱植民地」―。辺野古の浜には意表を突くようなのぼりがひるがえっている。そういえば、「徴用工裁判」問題も歴史をたどれば、日本による朝鮮半島の植民地化に行き着く。かつて、日本一の炭田だった筑豊のあちこちの寺にホコリをがぶった朝鮮人労働者の頭骨が放置されていた。私は当時の取材ノ-トに「この光景を忘れてはならない」と記したことを記憶している。地底(じぞこ)に絶命した坑内の炭壁には爪で刻んだとみられる朝鮮語もあった。「アイゴ-」(哀号)―。漆黒の闇からもがき苦しむ声がいまも聞こえてくるような気がする。「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる(訳文の原文では『盲目』)」―。ドイツの元大統領、ワイツゼッカ-の言葉がいまさらのようによみがえってくる。

 

 

 

(写真は花岡事件を後世に伝える「中国殉難烈士慰霊之碑」=大館市の十瀬野公園で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記―1》~陸地化がすすむ辺野古「新基地建設」現場(コメント欄に写真掲載)

 

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が埋め立てのための土砂を海域の一部に初めて投入して14日で1カ月が経過した。県は埋め立て承認撤回の効力を一時的に停止した国土交通相の決定は違法として総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出ているが、工事現場では土砂の投入が続く。

 

 県は沖縄防衛局が私人の利益救済を趣旨とする行政不服審査法に基づき国交相への執行停止を申し立てることはできないなどと主張し、執行停止の取り消しを求めている。係争委は県、国交省の意見を踏まえて2月28日までに結論を出す。辺野古反対の民意に耳を傾けず土砂を投入した政府への批判は日本国内だけでなく世界に広まっている(1月14日付「沖縄タイムス」)

 

 

《追記-2》~巨星、墜(お)つ

 

 日本古代史が専門の哲学者、梅原猛さんが12日、93歳で死去した。何度か講演などで話を聞く機会があったが、アイヌ民族へのまなざしの深さに共感したことがあった。ある時、梅原さんはこんなことを話した。「僕は洋の東西の哲学を学んできたつもりだったが、足元の大事な哲学を忘れていた。それは森羅万象に神(カムイ)を見るアイヌの哲学である。僕にはもう余り時間が残されていないので、若い人たちはぜひこの深遠な哲学と向かい合ってほしい」―。宮沢賢治の童話「なめとこやまの熊」を、アイヌに伝わる「イヨマンテ」(熊の霊送り)の儀式と重ね合わせて読解するなど大胆な発想をする巨人だった。

 

 

《追記―3》~祝!!直木賞受賞

 

 1月11日付当ブログ「“辺境”のエンタメ魂」で取り上げた真藤順丈さんの『宝島』が16日、開かれた選考会で160回直木(三十五)賞に選ばれた。読書を勧めた甲斐があった。「沖縄」を身近に感じてもらえれば…。真藤さんは1977年生まれ。2008年「地図男」で第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュ-。同年「庵堂三兄弟の聖職」で第15回日本ホラ-小説大賞など新人賞4賞をそれぞれ別の作品で受賞。昨年は同書で第9回山田風太郎賞を受賞している。

 

 

 真藤順丈さんは「きょう1日、とてもどきどきしていたので、受賞の知らせを聞いてほっとしました。エンタ-テイメントとして、読者に響くものがあったのではないかと感じています。現実の問題について、自分なりに伝えたいと思い、この小説を書きました。青春小説なので、何かを成し遂げたくてうずうずしている人、目の前に壁を感じている人にたくさん読んでもらいたい」と話していました。

 

真藤さんの「宝島」を直木賞に選んだ理由について、選考委員の1人の林真理子さんは「平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができた」などと話しました。会見で林さんは、「1回目の投票から、真藤順丈さんの作品が圧倒的な票を取った。2次投票を行うかどうか長い論議があったが、これだけ差が付いているものに投票の必要はないという意見から、真藤さん一本でいこうという結論になった。文句なしの受賞でした」と、選考のいきさつを説明しました。

 そのうえで、受賞作となった「宝島」については、「非常に高い熱量で沖縄の強さと明るさが描かれ、どれだけつらくてもなんとかなるのではないかという、少しいいかげんな部分さえも伝わってくる。沖縄を描く小説にはこれまでも名作があったが、歴史のつらさを単に重く暗く書くのではなく、突き抜けた明るさで書いたことは、真藤さんのものすごい才能だ。私はこの明るさが、沖縄の戦後史を描くための必要なテクニックだと思う。平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができたと思う」と話しました。

 また、作者が東京出身であることについては、「マイナス評価はなく、沖縄の人の精神性や方言、風俗、路地のおばちゃんのしぐさに至るまで、よくこれだけリアリティ-を持てたなと感嘆した。一方、あまりにつらい場面でも、語り手が明るく茶々を入れる文体で描かれているため、委員の中には『沖縄の人はどう思うか』という心配もあったが、私は沖縄の人もこれを読んで感動してくれると確信している」と評価していました(1月16日付NHKウエブ)

 

 

 

 

 

“辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』

  • “辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』
  • “辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』

 生まれ故郷で不遇をかこっていると思っていたら(1月7日付当ブログ「『宮沢賢治』という演繹法」参照)、賢治さん、今度はなんと基地の街・沖縄のとある路地裏に出没していた―。第160回の直木賞候補となり、第9回山田風太郎賞を受賞した真藤順丈さん(41)の最新作『宝島』の文中での思わぬ遭遇である。米国施政権下の沖縄を生きた若者たちの青春を描いたこの小説には孤児たちがたくさん登場する。米国人の血が流れる子もいる。主人公のひとりであるヤマコが読み聞かせをするシ-ンがある。

 

 「最初に選んだのはマ-ク・トウェインの『ハックルベリ-・フィンの冒険』。それから宮沢賢治の『風の又三郎』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と読みついだ。はじめは聞くほうの集中力がつづかなかったけど、そこはさすがに古今東西の児童の心をつかんできたちいさな英雄たちの物語だ。孤児たちもいったん没入すれば、主人公に感情移入してきゃあきゃあと楽しんでくれた」―。そういえば、賢治は村の分教場に転校してきた又三郎について「赤毛の子ども」と表現し、村の子どもたちには「あいつは外国人だな」と言わせている。昭和14年、この童話が初めて築地小劇場で上演された際、又三郎役を演じたのはロシア人の血が混じる俳優の故大泉滉(あきら)さんだった。混血孤児への読み聞かせにこの童話をさりげなく並べる作者の知力に脱帽したが、読み進むうちにぶっ飛んでしまった。

 

 541ペ-ジに及ぶこの大著はサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効した1952(昭和27)年から1972(昭和47)年の本土復帰までの20年間を「リュウキュウの青」「悪霊の踊るシマ」「センカアギャ-の帰還」の3部で構成されている。米軍施設から食料や衣類、薬などを強奪する「戦果アギャ-」たちの躍動ぶりは復帰の2年前、コザ市(現沖縄市)で米軍車両や施設を焼き討ちした“コザ暴動”でクライマックスに達する。エンタメの極致を堪能しつつ、最後のペ-ジをめくった私は「これは壮大なる叙事詩ではないか」という思いを強くした。

 

 「叙事詩は辺境に宿る」-というのが私の勝手な定理である。中央集権(ヤマト)の捨て石にされた辺境にこそ、いつかは芽吹く叙事詩のタネがまかれているのではないのか。昨年秋に読む機会に恵まれた『凍てつく太陽』(葉真中顕著)はアイヌ出身の特高(警察)を主人公にすえた「北の叙事詩」だった(2018年11月9日付当ブログ「現代版『新附の民』と歴史修正主義」参照)。『宝島』の中で主人公のレイが激して口走る場面がある。

 

 「返還によって日本(ヤマトゥ)のはしっこに加えてもらうんじゃない。国家の首都の座を獲得するのさ。1972年のその瞬間からは、沖縄(ウチナ-)が国の中心になって、この島の英雄が“最高行政主席”(プライム・ミニスタ-)になるのさ。そのぐらいの条件をつけなければ遺恨は晴れない。戦争をしないことにした日本の平和がアメリカの傘下(さんか)に入ることで成立しているなら、その重要基地のほぼすべてを引き受ける地方が国政をつかさどるべきだとは思わないか。地図の片隅にある島だなんて先入観にとらわれるな、それは本土(ヤマトゥ)の人間が描いた地図なんだから」―。ここには琉球王国の時代から「ヤマト世(ゆ)」、「アメリカ世」へと受難の歴史を歩んできた悲痛な叫びが凝縮されている。

 

 沖縄出身の作家としては例えば、石垣島で育った池上永一さん(48)の『テンペスト』や『ヒストリア』などが琉球・沖縄史を舞台としたエンタメ大長編として知られている。しかし、本作の作者は生粋のヤマトンチュ(日本人=本土人)である。この一大叙事詩がこの人の手になることにも驚かされる。真藤さんは新聞などのインタビュ-でこう語っている。「沖縄の複雑な諸問題は、現在の日本が抱える最大級の難題といってもいい。批判を恐れて萎縮して、精神的に距離を置いてしまうことは、ヤマトンチュがこれまで歴史的に沖縄におこなってきた『当たらず障らず』の態度と変わらない。現在の沖縄の問題と地続きですから、その時は筆が止まりました。逃げようと思ったこともあるが、それは沖縄を『腫(は)れ物』にすることであり、無関心をよそおうことと何ら変わらないと思った」

 

 私は昨年10月21日付の当ブログで「時代を隔て、いまに結ぶ…現代の『神謡』」と題して、こう書いた。「今年の沖縄全戦没者追悼式(沖縄慰霊の日=6月23日)で朗読された平和の詩『生きる』を口ずさんでいるうちに、ふとそんな思いにとらわれた。まるで通奏低音のように、それは遠い太古からのもうひとつの詩と共鳴し合っている。最近になってそのことに心づいた。96年前、詩才を惜しまれながら19歳で世を去ったアイヌ女性、知里(ちり)幸恵が死の前年に編訳した『アイヌ神謡集』の、それが序だったということに。『私は、生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ…』。そして、相良倫子さん(浦添市立港川中学3年)の『生きる』をその上に重ねてみる。すう~っと、溶けあっていくような、そんな感じ」―。アイヌ民族に伝わる神謡(カムイユカラ)は神々がうたう叙事詩である。

 

 我流の「定理」もあながち、的外れではないと最近思うようになった。とまれ、北と南の一大「叙事詩」を一読するようお勧めしたい。

 

 

(写真は注目を集めている『宝島』と著者の真藤さん=インターネット上に公開の写真から)