「3・11」から15年…あの日あの時、イーハトーブの足元では一体、何が~「義援金流用」疑惑から「さっさと帰れ」発言へ!!??

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 「本件に対する(懲罰)委員長報告は、増子義久君に戒告の懲罰を科すことであります。本件を委員長報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。起立多数であります。よって、増子義久君に戒告の懲罰を科すことは可決されました」(2011年12月2日開催の12月定例会会議録から)―。花巻市議会が開設されて以来初めてとなる、現職市議に対する「懲戒」処分は一人を除く賛成多数で可決された。私が「集団リンチ」事件と名づける、今なお消すことができない“悪夢”の記憶である。

 

 発端は約9ヶ月前の3月11日に発生した東日本大震災にさかのぼる。この日、市議会では予算特別委委員会が開かれていた。前年に初当選した私は奇しくもこの同じ日に71歳の誕生日を迎えていた。何かに突き動かされるような思いで、私は宮沢賢治の「イーハトーブ」(理想郷)に託し、未来への希望を表明した。数時間後の午後2時46分、議場全体が崩れ落ちるのではないかと思うほどの激しい揺れに襲われた。未曽有の大災厄はこうして、襲いかかってきたのだった。

 

 「何をやるべきか、何をやらなければならないのか―。走りながら考え、みんなで知恵を出そうではありませんか。試されているのは私たち自身の側なのです」(「設立趣意書」)―。受難者に寄り添うという賢治の「行ツテ」精神に背中を押された私は有志に呼びかけ、震災3日後に支援組織「ゆいっこ花巻」を立ち上げた。「多弁を慎め。ただひたすら被災者のこころに耳を傾け、がれきの微細に目を凝らせ」―。沿岸被災地の支援拠点のテント(コメント欄に写真掲載)には己を鼓舞するための貼り紙を張り付けた。やがて、せせら笑うような声があちこちから聞こえてきた。

 

 「他人の金を自分のポケットに入れるようなものではないのか」―。震災で中断していた6月定例議会(議案審議)が6月23日に開かれ、私はいわゆる「義援金流用」疑惑について、市側を追及した。被災者への災害義援金は会計処理上、本来は別会計(歳計外現金)で処理すべきとされていたが、当市の場合は寄付金名目で「一般会計」(歳計内現金)として、計上されていたことが明らかになった。

 

 当時、当市の温泉旅館や雇用促進住宅などには千人以上の沿岸被災者が避難していた。直接、支援に当てられるべき災害義援金がこともあろうに、被災者を受け入れた温泉旅館などに「被災者受入事業補助金」として、支出されていたのである。「まるで、猫ババではないか」―。この日、その使途に疑念を持つ内陸避難者が傍聴席を埋め尽くしていた。市側はのちに、災害義援金をめぐる法的”瑕疵”(かし)を認めることになったが、目の前の議場内ではにわかには信じられないような”事件”が勃発していた。

 

 「さっさと帰れ」―。昼食で質疑が中断した直後、私は傍聴席がざわついているのに気がついた。駆け上ってみると、複数の内陸避難者が「傍聴席に向かって、男性議員から『さっさと帰れ』と暴言を浴びせられた」と口々に訴えていた。私は議長に対し「着のみ着のままで投げ出された被災者に対し、これ以上の暴言はない。厳重に注意してほしい」と申し入れて、降壇した。途端に、敵意の矢がいっせいに向けられるのを肌に感じた。何か不穏な動きを察知したのである。

 

 「議員発言調査特別委員会」―。私の発言内容を調査するという前代未聞の会議が議長を除く全議員で設置された。傍聴者や当事者である私を含む議員全員に対し、約3か月以上にわたって厳しい“尋問”が続けられた。当時、傍聴席にいた妻(故人)にまで聞き取りは及んだ。「さっさと帰れ、という発言があったという確証は得られなかった」(10月4日)―という結論を待つかのようにして、今度は「懲罰特別委員会」(議員8人で構成)が設置された。冒頭の「懲罰」処分がそれである。一方で、議会の動きと並行するように“場外乱戦”(ブログコメント)も炎上しつつあった。

 

 「自作自演の狂言じゃないのか」「被災者を議場に呼び込んで、扇情まがいなことを企む」「民主主義のルール、多数決の論理にも従わず暴言を続ける71歳の悪あがき」「議員なんて辞めて、お遍路にでも出た方が市民が喜ぶと思いますよ」…。心理学上の「集団ヒシテリー」とはこのことかと思った。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐の中で、言い渡された“判決文”にはこう書かれていた。

 

 「増子義久議員は、平成23年10月4日の本会議において、議員発言調査特別委員会委員長の委員長報告に対する反対討論の発言中に、『一方に偏した議事運営こそが白を黒と言いくるめようと意図する委員長報告の欺瞞性を白日のもとにさらしていると思います。つまり、この報告は(「さっさと帰れ」)発言を聞いたとする10人全員が事もあろうに口裏を合わせてうそをついたということを言外にほのめかす内容』との言辞を用いたことは、花巻市議会の品位を汚したものであり、花巻市議会会議規則第137条に規定する品位の尊重に違反するものである。よって、地方自治法第135条第1項第1号の規定により戒告する」(2011年12月定例会の会議録から)

 

 「何にも変わっていないな」―。あの日から15年たったこの日もたまたま、予算特別委員会が開かれていた。私は審議の模様を議会中継で聞きながら、事態は逆に陰湿になりつつあるなと思った。「義援金流用」疑惑から「さっさと帰れ」発言…。そしていま目の前では民意を無視する形で、新花巻図書館の“駅前立地”が強行されようとしている。「二元代表制」の形骸化は目をおおうばかりである。

 

 議会中継を中座した私は市内の寺院「妙円寺」(愛宕町)に向かい、「勿忘(わすれな)の鐘」をついて、犠牲者の霊に手を合わせた。「ゆいっこ花巻」の有志が欠かさずに続けてきたこの追悼のつどいも年々、参加する被災者が減りつつある。15年前、被災地・宮城県石巻市出身の作家、辺見庸さんは「慟哭」(どうこく)の言葉を以下のように綴っていた。「3・11」から3代目となる小原市政の下、今夏にはイーハトーブの未来を占う市議会議員選挙が行われる。3度目の正直…今度こそ選択を誤ってはなるまい。

 

 「われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるであろう。つまり、愛や誠実,やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。見たこともないカオスに中にいまとつぜんに放りだされた素裸の『個』が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか」(2011年3月17日付「岩手日報」)―

 

 

 

 

(写真キャプション=「義援金流用」疑惑と「さっさと帰れ」発言について、真実を知ってもらうために各地区で個人報告会を開催した=2011年6月、市内の地区公民館で)

 

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の(昨年)7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

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・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ~カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026.03.10:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

沿岸被災地の支援テント

  • 沿岸被災地の支援テント

 「ゆいっこ花巻」では被害が甚大だった大槌町安渡の旧安渡小学校(校庭)に支援拠点となるテントを張り、仮設住宅が完成するまで寝泊まりしながら、支援活動を続けた=2011年4月

 

2026.03.10:[編集/削除]

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