●「人間の国というのはとにかく、楽しいところだ。ごちそうは食べきれないほどあるし、不思議なことに、木の実だけでなく、(ご祝儀の)魚(の干物)まで空から降ってくる。だが何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満があるのだ。何やら、とっても面白い物語を語って聞かせてくれるんだが、ひげをはやした威厳のある老人が、どうしたわけか、途中でその語りをやめてしまうのだ」(キムンカムイ)
●「新聞の連載小説みたいに、面白いところで『後は明日のお楽しみに』と切る。すると、クマの神さまはその続きを聞きにやってくる。ユカラ(英雄叙事詩)がとてつもなく長いのはこのこととも関係あるのかも知れない。長ければ長いほど、クマ神が人間の国に遊びに行きたいと思う回数も多くなるというわけだ」(ひげの長老)
アイヌ民族にとって、クマは動物界でも最高神に位置する「キムンカムイ」(山の神)である。狩猟を生業(なりわい)としたアイヌの人たちにとって、そのクマこそが暖かい毛皮や飢えをしのぐ肉、貴重な薬になる胆(い)…などを与えてくれるいのちの糧(かて)でもある。「イヨマンテ」はクマの霊をカムイモシリ(神の国)を送る伝統的な儀式で、歌舞音曲の宴(うたげ)のさ中に冒頭のような会話が賑やかに飛び交うのだという。ユカラの続きを聞き損ねたクマの無念が伝わってくるようで、プッと吹き出したくなるような光景である。
「排除か共生か」―。“クマ騒動”で揺れる中、いまや消滅した「イヨマンテ」の儀式の光景かふと、まな裏に浮かんだ。ビデオ映像を私に見せながら、アイヌの友人は言った。「日本人はすぐ残酷だとか野蛮だと批判するが、この儀式は人間を含めた生きとし生ける者すべてとの“共生”宣言。その根底に流れるのは畏敬(いけい)と感謝の精神だ」―。(上)で紹介したクマたちによる小十郎の「葬送の儀式」について、哲学者の梅原猛さん(故人)はこう語っている。
「何百頭の熊を殺してきた代償として、彼(小十郎)はその身を熊に捧げたにちがいない。それを熊もまたよく知っていて、この小十郎の霊に対して、最大の敬意を払って、彼を手厚く葬ったのであろう。これはいわば、熊が行ったイヨマンテの儀式であろう。アイヌにおいて人間はイヨマンテの儀式によって、熊の霊をうやうやしく『あの世』に送るが、ここでは熊がイヨマンテの儀式によって、小十郎を『あの世』に送っているのである」(『百人一語』)―
(写真はかつて、アイヌ民族の間で行われた「イヨマンテ」。儀式の前に“花矢”を放って、止めを刺す=インターネット上に公開の写真から)
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