2月27日付「岩手日報」のコラム「日報論壇」に表題の寄稿文が掲載された。筆者は花巻市在住の佐々木信一郎さん(77)。「図書館とは本来、どうあるべきか」という原点に立ち返った共感を呼ぶ一文である。今後の“図書館論議”のきっかけになる一文だと考え、全文を以下に転載させていただく。
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老朽化に伴い、花巻の核となる新しい図書館計画が持ち上がっている。制約された用地と狭い館内という条件下で長い歴史を刻んできただけに、花巻市民の新図書館にかける思いと期待は大きく、その構想に関心を持って注目している。最近ようやく、新図書館複合施設整備事業構想が打ち出された。しかし、構想を知って私は失望と懸念を感じた。市民参画の手順も示されず、予定地はJR花巻駅の東側という。「えっ、そんな用地がどこにある」と疑問に思う中、新聞の報道で知り得たのはJR所有地であった。
鉄道に沿って既存の大きな建物や施設に囲まれ、固い路面と無機質な環境、振動や音…。無視できない現実がある。そして払い続ける土地の賃貸料。制約された用地の中に、都会ではよく見かける隣り合わせの箱型の建物を想起する。どうしても将来への夢が湧かない。私は、公共施設は可能な限り自然を取り込み、緑豊かな周囲の環境を大事にするべきと思う。豊かな自然のもとで四季折々の美しさを感受する。閑静な環境で読書を促進させることで、情操を育み、市民が深い憩いや安らぎを得て人生の豊かさも体得できる。自然の持つ力は、図書館に欠くことのできない要素でもある。
構想にある賃貸住宅などとの一体的整備は、文化のいぶきを涵養(かんよう)して人を育てるために、閑静であるべき図書館の機能を阻害するものではないだろうか。未来に託す市民の希望から乖離(かいり)しているように思う。市中の活性化や経済活動のはざまに図書館は置かれるべきではない。あくまで文化の殿堂、花巻のシンボル的存在として図書館はあり続けてほしいと願う。複合施設とするならば、むしろ美術館や視聴覚的機能をもった施設などの方が納得も理解もできるのである。
市は交通の利便性を強調するが、偏狭のこの地域に建設するその他の根拠が明確でなく、新図書館へのビジョンが推測さえできない。広いとはいえない道路や少ない駐車場、それを補うために浮上している立体駐車場も年配者への優しい配慮を欠き、安心安全を維持するために課題が残る。何とか広い用地を求め、自然豊かな環境を整えてもらいたい。そこにスケールがあり、ロマンあふれる図書館を構築するよう方向転換を図ってほしい。
(写真は新図書館が建設される予定のスポ-ツ店店舗。右側がホテル、奥に見えるのがJR花巻駅=花巻市大通で)
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