HOME > ヒカリノミチ通信について

時々刻々…市議選告示「大当たり」(5日目)~消えたポスタ―!?

  • 時々刻々…市議選告示「大当たり」(5日目)~消えたポスタ―!?

 

 「もう年も年だし、当たるとしてもせいぜい“中気病み”(よいよい)ぐらいなもんだろうな」―。そう思っていたら、ポスタ-掲示の場所取りの抽選で、なんと「1番くじ」を引き当ててしまった。「幸先が良い。当確」、「神のご加護」、「日ごろの行いの現れ」…。友人、知人からまるで、“当選祝い”みたいなメ-ルや電話が殺到した。小学生から大学生に至る成績で「1番」になったことはもちろんなし。宝くじを買ってもいつも「はずれ券」ばかり。選挙は“縁起もの”とはいっても、そう単純に喜んでばかりもいられない。

 

 選挙戦も中盤をすぎ、少しづつ手ごたえみたいなものも感じてきた。アドリブ満載の絶叫調街宣(街頭演説)に一息を入れ、ぐるりと全方位を見回すと…。いるいる。2階の窓から身を乗り出して、じっと聞き入っているおばあちゃん。ちぎれるように手を振っているおじいちゃん。「私は当年82歳。みなさんの代表選手です」と応答すると、本当にちぎれた腕がこっちに飛んできそう。

 

 選挙戦がヒ-トアップする中、他陣営に遭遇する機会もしょっちゅう。道端に整然と並んだ支持者を前にして、公約を披歴する候補者、連呼を繰り返しながら、目の前を風のごとくに通り過ぎる選挙カ―。「候補、候補。うしろ、うしろ」とウグイスさん。振り向くと、鮮やかな色彩の帯みたいな布がヒラヒラ舞っている。ハタと心づいた。「このオレにも『1番』があったじゃないか。“理非曲直”(りひきょくちょく)に頑固な自分が…」―

 

 21日昼過ぎ、この「1番」が自宅近くの掲示板から消えてなくなっているのに気が付いた。「明らかな選挙妨害(いやがらせ)。許せない」、「いや、いやがらせなら、ビリっとはぎ取った形跡が残るはず。逆に丁寧にはがしたような感じだ」、「1番さんに魅了された誰かが永久保存版に盗んだのではないか」…。選挙カーの中はこの”椿事“の真偽をめぐって盛り上がった。”叛逆老人”の選挙の波紋はまだまだ、広がりそうな気配である。

 

 

 

 

 

 

(写真は生まれて初めて「1番」になったポスタ―掲示場の前に立つ私=7月21日午前、花巻市内で)

 

時々刻々…市議選告示「苑長!苑長!!」(4日目)

  • 時々刻々…市議選告示「苑長!苑長!!」(4日目)

 

 「苑長!苑長!!苑長~っ!!!」―。のぶ君やてる君が一斉にそう叫びながら、飛び出してきた。みきちゃんやきくよちゃんの姿も…。私は以前、この施設の施設長だった。あれから12年。みんな同じ年かさを重ねたが、今も「苑長」と呼んでくれている。私は不覚にもボロボロと涙をこぼしてしまった。

 

 この日、私は花巻南温泉郷の入り口に当たる障がい福祉サ-ビス事業所「こぶし苑」の前で、マイクを握っていた。新聞社を退社後、この福祉の現場に飛び込んだのは18年前の平成16年3月。6年あまり、福祉という未知の分野で新しい体験をした後、平成22年7月、「アラセブ(70歳)、最後の決断」―を掲げて市議に初当選。2期目は「アラセブ、再度の決断」と看板を塗り替えて再選された。このノボリを作ってくれたのは施設の印刷班のみんなだった。敷地内には私が在職中に建設したパン工房「銀の鳩」が健在だった。走馬灯のように当時の思い出が去来した。

 

 「叛逆老人は死なず」―。今回のノボリもここのみんなで印刷してもらった。のぶ君が突然、怒鳴るような声で言った。「オラも父さんも苑長に入れることにしている。んだども、選挙って、必ず当選するとは限らないべ。落ちたら、また苑長として戻ってくればいい。おらはそっちの方がうれしい。だって苑長はずっと、死なないんだから」…。涙が今度はしずくとなって頬を流れ落ちた。

 

 

 

(写真は自分たちが作ったノボリを握り、リ-フレットを手に記念撮影に収まる利用者のみんな=4月20日、こぶし苑の前の広場で)

 

時々刻々…市議選告示「地蔵さん詣で」(3日目)

  • 時々刻々…市議選告示「地蔵さん詣で」(3日目)

 

 「願以此功徳/普及於一切/我等與衆生/皆共成仏道」―。苔むし、風化しつつある石仏を手でなぞりながら書き写していくと、こんな漢字が連なった。「願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生(しゅじょう)と、みな共に仏道をなさんことを」…。こんな意味だということが分かった、告示日初日にこの「桜の地蔵さん」に触れて以来、その詳しい由来が気になって仕方がなかった。忙しい遊説の合間を縫って、図書館に通い、歴史の狭間に埋もれた悲劇を知った。以来、遊説に出発する前の合掌が習いとなった。

 

 先人の研究資料などから、この地蔵尊が建っている旧奥州街道筋(現桜町4丁目)の近くには藩政時代、重罪人を処刑する「向小路殺生場」があったという。さらに、農民一揆の首謀者などもここで処刑されたという記録も残っていた。こうした過去の記憶を鎮魂し、慰霊するために今からちょうど100年前、花巻城の御家人(同心会)らが中心になって建立されたことを知った。宮沢賢治がこのすぐ近くに農民らの啓蒙を目的にした「羅須地人協会」を設立したのが、像の建立4年後の同じ日だったことについては、市議選告示「第1声」で触れた。

 

 仏教徒でもあった賢治が『農民芸術概論綱要』の中で、人類の幸せと世界平和を訴えたのは実はこの地蔵尊の存在を知ったからではなかったのか。「過去を帯びない現在や未来はない。世代を継ぎ続けることこそが歴史ではないのか」…急に胸が熱くなった。そして、今回の市議選が持つ意味の重要性にはたと、気づかされた。

 

 

 

 

(写真は地蔵尊に手を合わせ、遊説の決意を話す私=7月19日午前8時すぎ、花巻市桜町4丁目で)

 

 

 

《追記ー1》~82歳、がんばれ…仏国土からのメッセージ

 

 平和を願う「仏国土」(平泉)に住む知り合いの女性から、「82歳、がんばれ」と以下のような激励のメッセージが届いた。「いよいよ市議選の闘いが始まりましたね。平泉の空の下で健闘を祈っています。必ずや当選を!上田市政を代えるため、花巻の人々のためにがんばってください」

 

 

《追記ー2》~基地のない島を願う沖縄の地からも

 

 沖縄行のたびに運転手兼ガイド役を務めてくれる友人からも。「掲示板の『一番』は僥倖(ぎょうこう)の知らせ。まるで、劇画を見るようなこの選挙戦の模様をネットを通じて、全国発信します。祈当選」

 

 

時々刻々…市議選告示「ポスタ-狂騒曲」(2日目)

  • 時々刻々…市議選告示「ポスタ-狂騒曲」(2日目)

 

 「誠心誠意 全力!」、「世代交代」、「また生まれ変わっても花巻がいい」、「誰もが安心してくらせる花巻に」、「情熱と行動力」、「31歳、チャレンジ!花巻の未来のために」、「市民と市政のかけ橋になる」―。豪華絢爛&百花繚乱の趣きのあるポスタ-を見ながら、頭がクラクラしてきた。31人の市議選候補者はみんな笑顔で輝かしい未来を語っている。このスロ-ガンがそのまま実行に移されるのなら、「イ-ハト-ブはなまき」の建国は請け合いである。その一方で、こんな数字もある。「奥州市議会第3位、北上市議会17位…花巻市議会第523位」(早稲田大学の議会改革度ランキング)

 

 有権者の皆さん、市内436か所に設置されたポスタ-掲示場をとくとご覧いただきたい。バラ色に彩られた“公約”の真意をくれぐれも見誤らないように…。二元代表制の一方を担う市議会議員を選ぶ選挙は24日に迫っている。

 

 

 

 

(写真は華々しいスローガンが並ぶ候補者のポスタ-=花巻市内で)

時々刻々…市議選告示「第1声」(初日)

  • 時々刻々…市議選告示「第1声」(初日)

 

 花巻市議会選挙が17日告示され、24日の投票日に向けた7日間の戦いの火ぶたが切って落とされた。ポスタ-掲示の一番くじを引き当てた私はいわゆる選挙の七つ道具を抱えて選車に乗り込み、同日午前10時すぎ、自宅近くの「雨ニモマケズ」賢治詩碑を背に第1声のマイクを握った。以下に絶叫調「第1声」(要旨=さわり)を掲載する。

 

 

 安部元総理に対する白昼テロ、長期化するウクライナ戦争、そして拡大の一途をたどるコロナ禍…。岩手県は4日前、ついに過去最多の新規感染数を記録しました。なにか終末感さえ漂う時代に足を踏み入れたような不気味な予感さえしています。さて、私の背後には郷土の詩人、宮沢賢治が逆境に置かれた人たちに“寄り添う”ことの大切さを訴えた「雨ニモマケズ」詩碑が建っています。そして、この場所は賢治が世界全体の幸せと平和へのメッセ-ジを発した「羅須地人協会」があったその場所であります。

 

 このすぐ近くの道端に「桜の地蔵」さんが建っています。「処刑」という不慮の死を遂げた百姓一揆の首謀者を追悼する地蔵尊で、ちょうど100年前の昨日(1922年陰暦7月16日)に建てられました。賢治が「羅須地人協会」を設立したのはそれから4年後の同じ日です。私はこの日付の符合に賢治の確固たる意志が込められているような気がします。

 

 地球規模の危機にさらされているいまこの時、私はこの場所でマイクを握ることの不思議なめぐり合わせに胸が熱くなります。賢治はここ岩手・花巻の地をエスペラント語で「イ-ハト-ブ」と名づけました。「ドリ-ムランド」(夢の国)を意味する“理想郷”のことです。数々のメッセ-ジが賢治精神の“原点”ともいえるここ桜町の地から発せられてきたのです。

 

 私はこの賢治精神の奥深さを最近見た映画で実感させられました。「75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を認め支援する制度、通称プラン75が今日の国会で可決されました。深刻さを増す高齢化問題への抜本的な対策を、政府に求める国民の声が高まっていました」―。カンヌ国際映画祭で新人監督賞の特別表彰を受けた『PLAN75』(早川千絵監督)はこんな淡々としたラジオニュ-スで始まります。私は画面に吸い寄せられながら、背筋がゾッとしました。“姥捨て伝説”を題材にしたあの名画『楢山節考』(今村昌平監督、深沢七郎原作)の現代版ではないかという思いにさせられたからです。

 

 少子高齢化に向かういま、将来を約束するのは「世代交代」しかないというスロ-ガンがまことしやかに一人歩きしています。今年1月の市長選で3選を果たした現職も公約の真っ先に「子どもの達の未来/はなまきを創る」―を掲げています。また、今回の市議選でもその必要性を声高に叫ぶ新人候補も見受けられます。その正当性を否定する気持ちは毛頭ありませんが、これを論じる場合は同時に「PLAN75」の現実にも目を向ける想像力が必要です。「若さ」と「老い」とは実はコインの裏表なのです。「若気の至り」と「年寄りの冷や水」とのコラボレ-ション…「世代ミックス」こそが社会を健全に機能させるための“車の両輪”だと私は思います。そして、このことの大切さを指摘していたのもまた、賢治だったことを改めて思い知らされました。

 

 止まることのないコロナ禍の中で一番、苦境に立たされているのはお年寄りたちです。私は自らに対し「叛逆老人は死なず」というスロ-ガンを課しました。こんな時代閉塞の時代、白旗をあげてオメオメと退場してたまるかという思いです。当年取って82歳の“老残”の身ですが、お化けではありません。ご覧の通り、二本の足でちゃんと立っています。私はお年寄りたちの代表選手として、その悲痛な訴えをリユックサクに一杯詰め込んで、議員をめざしたいと決意を新たにしています。

 

 ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

(写真は賢治碑の近くで第1声を上げる私とスタッフたち(7月17日午前、花巻市桜町4丁目で)