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繋がる、つながる、どんどん繋がる…本の”縁結び”!!??

  • 繋がる、つながる、どんどん繋がる…本の”縁結び”!!??

 

 突然で失礼します。私は埼玉県の所沢市に在住している写真家の飯島幸永と申します。突然ですが、御著「東京湾が死んだ日」を探しています。ネットでは品切れとなってまして、増子様のお手元に在庫があるか、と思いまして失礼とは思いましたがメールしました。

 

 実は私は昭和50年代に内房を撮影してまして、変貌する風景と海を放棄し労働者として働く漁民や海苔で生計立てる生活者や埋立の様子など写真に収めていました。まだ分かりませんが、「失われた時代」(仮題)と題し写真展を考えています。今日、本千葉にある県立図書館で8冊ばかり当時の関係本を見せてもらいデータをコピーしてきました。その中に御著がありましたので是非拝読させていただき、当時の全体像を把握したいと思っています。お忙しいところ恐縮ですが、ご一報頂けましたら幸いです。突然で失礼いたしました。

 

 

 新年早々の1月10日、上掲のメールが突然、届いた。現役記者時代、私は東京湾の盛衰を『東京湾が死んだ日―ルポ 京葉臨海コンビナート開発史』(2005年9月、水曜社刊)と題して、出版した。本棚の奥を探したら、2冊出てきた、不知の方だったが、「お役に立つなら、1冊贈呈します」と返信した。折り返し「貴重の本なので、買わせてください」とのメール。私は本を郵送する際、一筆添えた。「代わりにと言ったら、失礼になりますが、私たちはいま、宮沢賢治をメーンにした新図書館建設の署名運動をしています。よろしかったら、ご協力を…」

 

 「昨日御著を拝受いたしました。早々にご親切なご配慮に心より感謝申し上げます。大変参考になります。ありがとうございました。同封されていた署名運動に是非ご協力させていただきます。僭越ですが、友人にも声かけてみようと思いますので少し時間をください。後日拙著でございますが、小生の写真集を出版社より送らせていただきます。ご笑覧下さい」―。飯島さんから5日後にこんな返信が寄せられた。そして、3日後の18日、ズシリと重い写真集が宅配便で届いた。

 

 『寒流―飯島幸永写真集 津軽のおんな/越後・雪下有情』(2012年10月、彩流社刊)―。飯島さんは帯にこう記していた。「二つの雪国で、私が目の当りにし、かつ体感した世界は、紛れもなく風土を生き抜く人々の、渾身の姿である。人々があらわす喜怒哀楽は、支え合って生きるための、崇高な郷土愛と家族愛であり、幾世代へと続く、人の絆ではなかろうか」―。私は「津軽の方言詩人、高木恭三さん(故人)の詩と重ね合わせながら、拝見させていただきます」とお礼の返信をした。わずか、1週間余りで繋がった「絆」(きずな)の妙に胸が熱くなった。

 

 実は飯島さんから最初の連絡があったその日、もう一人の珍客がひょっこりと現れた。『炭坑美人―闇を灯す女たち』(築地書館刊)と題する写真集を出している写真家の田島雅巳さんで、20数年ぶりの再会だった。彼はいま、福島原発の放射能被ばくを受けた阿武隈山ろくで、うるしの木の植樹プロジェクトを続けている。「おれが死んでも、木は生き続ける。署名はもちろん、OK」と言い残して、また被ばく地に戻っていった。まるで、申し合わせたような二つの邂逅(かいこう)に私はかすかな「希望」の光を見たような気がした。

 

 それにしても、縁(えにし)って、本当に不思議!?繋がる、つながる、どんどん繋がる。離れても離れても、どんどん繋がる……

 

 

 

(写真は飯島さんから送られてきた写真集『寒流』)

 

 

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

  署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。

 

 https://oimonosenaka.com/

 

 

 

 

吹き飛んだ“行ッテ”精神…能登支援のうしろ向きに批判の声が続出!!??~阪神・淡路大震災から29年

  • 吹き飛んだ“行ッテ”精神…能登支援のうしろ向きに批判の声が続出!!??~阪神・淡路大震災から29年

 

 「災害の現場も見ず、被災者の声も聞かずにどうやって救済できるのか。独断で現地に入った国会議員を批判するなど本末転倒。最低限の随行人数で現地の悲鳴を最大限受け止めてきてよね。首相なら」(1月10日付「東京新聞」本音のコラム)―。歯に衣着せない文芸評論家の斎藤美奈子さんが能登半島地震をめぐる与野党の「視察自粛」申し合わせやれいわ新選組の山本太郎代表に対するバッシングという“狂態”ぶりを痛烈に批判しているが、当市花巻でも日本赤十字社が募集する義援金の窓口を設置しただけで、被災地に寄り添った具体的な支援の動きはいまだに見えてこない。

 

 東日本大震災(3・11)の被災自治体である大船渡市ではいち早く、ふるさと納税による「代理寄付」の受付を始めた。被災地の輪島、七尾両市へのふるさとの納税の受け入れ事務を代行するほか、公営住宅の提供(10戸程度)、被災児童の受け入れ(小学生70人、中学生30人程度)、介護チームの派遣などの支援を打ち出した。「3・11の際の支援を忘れることはできない。壊滅的な被害を受けた自治体のお手伝いを少しでもできれば…」と担当者。また、盛岡市でも給水車の派遣を第6次まで継続派遣する方針を決めたほか、県も約260戸の公営住宅などを2次避難先として、確保したことを明らかにした。

 

 「早池峰の風薫る/安らぎと活力にみちた/イ-ハト-ブはなまき」―。当市は将来都市像として、こんなスロ-ガンを掲げている。宮沢賢治が「理想郷」と名づけた、そのイ-ハト-ブへのふるさとの納税の寄付額は令和3年度で約44億円。自治体別ふるさと納税寄付額のベスト100(同年度)の中で、全国24位のランクにあり、東北でトップの寄付額である。ちなみに、今年度の寄付額は現時点で総額90億円(見込み)という巨額にのぼっている。「こんなに潤沢なお金があるなら、こんな時こそ被災地支援に生かすべきではないか」という声があちこちから聞こえてくる。

 

 「温泉に一緒に浸かって背中を流してあげたい。暖かいみそ汁とご飯を口元に運んであげたい。何をやるべきか、何をやらなければならないか―。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。試されているのはわたしたち自身の側なのです」(趣意書から)―。「3・11」の4日後、私たち有志は支援組織「いわてゆいっこ花巻」を立ち上げた。髪も爪も伸び放題の被災者たちがうめくように言った。「あんたのところは東北有数温泉地。風呂さ入れてけねべが」

 

 「日帰り入浴」支援はこのひと言でスタートした。温泉経営者が千人風呂と厨房、大型バスを無料で提供してくれた。行く手を阻むがれきを手で押しのけながら、バスは被災地へと向かった。女性ボランティアは被災者の性別、年齢、サイズごとに真新し下着を準備し、厨房では手料理に腕を振るった。震災2週間後、大槌や陸前高田、大船渡などの被災地から数百人が湯船で歓声を上げた。「生き返った」…心からのこの言葉がまだ、耳底に残っている。私たちはあの時、賢治の詩「雨ニモマケズ」に背中を押されたのだったのかもしれない。受難者に寄り添おうというこの「行ッテ」精神はいま、いずこに…

 

 

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ……

 

 

 

(写真は真新しい下着を被災者に手渡す女性ボランティア=2011年3月中旬、花巻市の志戸平温泉で)

 

 

 

 

《追記-1》~がれきをかき分けて進むバスと車中の光景、そして、「いい、湯だな」(コメント欄に写真)

 

 「3・11」の際は震災直後から、“生きている”道路を辿って、何とか沿岸被災地に行き着くことができた。今回の地震は半島という地理的条件がネックになり、支援の手が届きにくくなっている。一刻も早いホテルや温泉地などへの「広域避難」が望まれる。

 

 

 

《追記―2》~「雨風太陽」が炊き出し支援プロジェクト

 

 産直アプリ「ポケットマルシェ」の運営などを手がける(株)「雨風太陽」(あめかぜたいよう=本社・花巻市)が能登半島地震の直後に被災地入りをし、仲間たちと炊き出し支援プロジェクトを立ち上げた。産直アプリに登録する全国の生産者から食材を提供してもらい、産地直送の食材を使った料理を提供する。代表の高橋博之さんは「いわてゆいっこ花巻」の呼びかけ人の一人である。

 

 

 

《追記ー3》~岸田首相が被災地へ。歴代首相でラストランナー

 

 岸田首相が14日午後、能登半島地震で壊滅的な被害を受けた石川県の輪島市と珠洲市を2週間ぶりに視察した。ちなみに、歴代首相の被災地視察では一番遅い。一方、当市でも13日、被災地である石川県白山市、内灘町に生理用品や紙おむつ、携帯トイレなど、15日にはアルファ化米(災害用非常食)やブルーシートなどを輸送した。後だしジャンケンでも良し、これからも支援の継続を。

 

・阪神・淡路大震災(1995年1月17日)~村山富市首相:2日後

・新潟中越地震(2004年10月23日)~小泉純一郎首相:3日後

・東日本大震災(2011年3月11日)~菅直人首相:翌日

・熊本地震(2016年4月14日)~安倍晋三首相:予定の16日に大きな余震があっため、9日後

(斎藤さんの「本音のコラム」より)

 

 

《追記―4》~阪神・淡路大震災とシリコロカムイ

 

 

 29年前も新しい年明けの決意をへし折るような大災厄だった。能登半島の無残な光景がそれに重なった。被災地に入った際のもうひとつ光景が目に焼き付いている。倒壊した家屋を支えていたのは街路樹の木々たちだった。当時、私は以下のような原稿を現地から送った。忘れられない記事のひとつである。

 

 現地ルポのために西宮市に入った私は倒壊した建物群にではなく、その倒壊を防ぐように家々を支えている街路樹の並木に目を奪われた。被災者たちは公園の中の巨木に下に身を寄せ合っていた。足元には地中深くまるでタコの足のように太い根が張り巡らされていた。「木はただ、地面に突っ立っているんじゃない。逆に地面を下から支え持っているのさ」―。ふと唐突に、アイヌのフチ(おばあさん)の言葉を思い出した。樹木のことをアイヌ語で「シリ(大地を)・コロ(持つ)・カムイ(神)」という。「逆立ちしてごらん。そうすれば、あんたも木の神様になれるっていうわけさ」とフチはその時、自然を畏敬(いけい)する大切さをそう語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

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年男の覚悟…山折流「老いと死」に学ぶ~新図書館は賢治ゆかりの病院跡地へ、一方では駅前立地論など新年早々、百花繚乱の趣き!!??

  • 年男の覚悟…山折流「老いと死」に学ぶ~新図書館は賢治ゆかりの病院跡地へ、一方では駅前立地論など新年早々、百花繚乱の趣き!!??

 

 「前花巻病院跡地は実家のそばでもあり、なつかしい場所です。どうぞ、これからもお元気でご活躍ください」―。著名な宗教学者で当市の初代名誉市民でもある山折哲雄さんは新花巻図書館の旧花巻総合病院跡地への立地を求める市民団体の署名の呼びかけに賛同し、こんな一筆を添えてくれた。その「実家」とは市の中心部に位置する浄土真宗(本願寺派)・専念寺である。

 

 「ア-・マイ・ティ-チャ-(a My Teacher)、やめましょう」―。私の中学時代のことだから、もう70年も前のことになる。寺の本堂から、読経ならぬ場違いな英語の会話が流れていた。「所有格(My)の前に冠詞(a)をつけたら間違いですよ」―。私も塾生の一人だったが、この寺の長男だった山折さんが時折、ピンチヒッタ-で教壇に立つのが何よりの楽しみだった。当時は東北大学でインド哲学を学ぶ学生だったが、その型破りな授業は鮮明な記憶として残っている。そういえば、花巻の中学生の英語力が県内で群を抜いていることが話題になったのもその頃のことだった。

 

 幾多の病魔を乗り越え、当年92歳の山折さんが『ブッダに学ぶ 老いと死』(朝日親書)と題する新著を刊行した。「人間・釈迦の80年に、楽に生きるヒントがある」というキャッチフレ-ズに魅かれた。ブッダに学んだ山折さんに今度は私が学ぼうという魂胆である。たとえば私自身、同じ悩みを持つ書物の“断捨離”について、こんな風に書いている。「最後まで手元に残していたのが、親鸞と柳田國男、宮沢賢治の全集です。死ぬまで手元に置いておこうかとも思いました。けれども2021年、最後の三つを手放しました。要するに老人の成熟は『自由の境涯』に向かうのです」―

 

 成熟の域に到底、達していない私には「断捨離と自由の境涯」の関係性がピンとこなかったが、同郷の賢治さえも断捨離したことには少し、虚を突かれた思いがした。山折さんはこうも書いていた。「死んだ人の魂は山に登る。それが供養を受けると、やがて氏神になる、山の神になる。いわゆる山岳信仰です」―。真冬のこの時期、我がふるさとの霊峰・早池峰は白雪にキラキラ輝いている(2023年12月31日付当ブログに写真掲載)。そうか、この霊峰をこよなく愛した賢治はいま「山の神」となって、ふるさとを見守っているんだ…ストンと腑に落ちる気持ちになった。

 

 「老年的超越と妄想三昧」、「死後の世界について、釈迦は何も語っていない」、「閻魔(えんま)信仰と輪廻転生の背景」、「老いと病の中に、既に死が含まれている」…。山折流「体験的ブッダ論」に引き込まれているうちに、5年前のある講演会で山折さんが口にした言葉が記憶の底から目を覚ました。「賢治の銀河宇宙とマコトのまちづくり」というテーマだったように思う。ぎくりと突き刺さるような言葉だった。

 

 「イ-ハト-ブとは賢治が“人間苦”からの解放を目指した物語世界ではなかったのか」―。能登半島地震や羽田空港での航空機事故、そしてガザやウクライナ…。まるで“終末感”さえ漂う年明けの中で、私はこの言葉を何度も反芻(はんすう)した。「イ-ハト-ブだけではなく、日本いや世界全体が等しく“人間苦”から解放されなければ…」―

 

 老翁・山折さんに背中を押されながら、辰年生まれの私は今年もまた、イ-ハト-ブ“図書館戦争”の最前線に立つ覚悟でいる。その”和平”の地は神々が宿る霊峰・早池峰の眼下に広がっているはずである。かつてそこには、賢治の主治医だった医師が運営する病院があった。「愛は人を癒(いや)し、誠(まこと)は病を治す」という病訓はまさに、“人間苦”からの救済を約束する言葉でもある。「90代になって、喜怒哀楽の差が非常に激しくなったんですね。それともう一つ、自分の考え方が非常に過激になっていることに気がつきました」と老翁は同書の中でつぶやいている。私も少し、似てきたなぁと思う。なにせ、干支(えと)が“昇り龍”なもんで…

 

 

 

(写真は山折さんの最新本)

 

 

 

 

《追記ー1》~“人間苦”ということについて

 

 この重い言葉を最初に使ったのは、民俗学者の柳田國男だと言われる。山折さんも自著『これを語りて日本人を戦慄せしめよ』の中に引用している。少し長めになるが、混沌を極める今という時代にこそ、読み返されるべき文章だと思う。柳田は末尾をこう結んでいる。「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。また我々をして考えしめる」。以下に『山の人生』(大正15年)からその部分を転載する。

 

 

 

 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(きり)殺したことがあった。

 

 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰もらってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 

 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しきり)に何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向(あおむけ)に寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢(ろう)に入れられた。

 

 この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細(しさい)あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むしばみ)朽ちつつあるであろう。

 

 

 

《追記―2》~山本太郎”バッシング“と「さっさと帰れ」発言!!??

 

 

 能登半島地震の被災地で松葉杖をつきながら、悲惨な状況の聞き取りを続ける「れいわ新選組」の山本太郎代表に対し、「救援作業の邪魔になる」など誹謗中傷めいたバッシングが浴びせられている。またかと思った。「3・11」の際、私は現役市議の使命として、いち早く沿岸被災地に入り、支援組織を立ち上げた。議会周辺から「あの人は被災地にばかり足を運び、足元の市政をおろそかにしている」という声が聞こえてきた。

 

 当市花巻にも着の身着のままの被災者が多く、避難していた。その悲惨な実態を議会で明らかにし、万全の支援体制の確立を求めた。傍聴席には定員を超える避難者が詰めかけていた。まさにその時、議員席から傍聴席に向かって「さっさと帰れ」という罵声が投げつけられた。真相究明を求めたが、うやむやになり、逆に「議会の品位を汚した」という理由で私が懲戒処分を受けた。当時、全国から集まった義援金が直接被災者には渡されず、市の歳入として扱われた「流用」疑惑も浮上した。山本代表の決死の行動を見るにつけ、政治の“無為無策”どころか、それはもう精神の荒廃の極とさえ言わざるを得ない。受難者に寄り添うという宮沢賢治の「行ッテ」精神(「雨ニモマケズ」)一体、どこに…

 

 

 

《追記―3》~「駅前立地」論の考え方(コメント欄に原文を掲載)

 

 

 9日付岩手日報の「日報論壇」に「新図書館立地 利便性考えて」と題する投稿が掲載された。筆者は盛岡市在住の66歳の男性。ある意味で「駅前立地」を主張する人たちの声を正直に代弁する内容になっている。上掲の当ブログの立ち位置とは真逆だが、混迷を続ける“立地”論争の論点を整理するという意味ではタイミングの良い投稿だと言える。

 

 文中で投稿者は「利便性」のほかに、「安物買いの銭失い」という表現で、「文教政策は百年の大計である」と主張している。まったく、異論はない。むしろだからこそ、「利便性や費用対効果(コストパフォーマンス)という目先の近視眼的な考えは排除しなければならない」というのが私の持論である。図書館は「人類の記憶の貯蔵庫」とか「知のインフラ」とも呼ばれる。人の集まる場所に図書館を造るのではなく、人を呼び寄せる図書館こそが本来のその姿であろう。「図書館とは何か」という原点の議論が今回の投稿をきっかけにして高まることを期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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元旦を直撃した大地震…「天災は忘れた頃に」~3・11から足かけ、13年!?

  • 元旦を直撃した大地震…「天災は忘れた頃に」~3・11から足かけ、13年!?

 

 新しい年の出鼻をへし折るようにして襲いかかった「令和6年能登半島地震」…刻々と広がる被害の実態におののきながら、私はあの東日本大震災の地獄のような光景をまなうらに浮かべていた。有志数人で立ち上げた支援組織「いわてゆいっこ花巻」は震災5か月後の2011年8月11日、当市出身の宗教学者、山折哲雄さんを招き、「3・11大震災とイーハトーブ」と題した講演会を開催した。山折さんは「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉などを引用しながら、「天然の無常」について語った。その内容はそのまま今回の悲劇に重なる、いやそれを「予言」していたとさえ思える。以下に当時、当ブログに掲載した文章(要旨)を再録する。

 

 

 「仏の影もお地蔵さんの姿も感じられなかった。賽(さい)の河原の光景とはこういうものだろうか。心底、地獄だと思った。」―。宗教学者の山折哲雄さん(80)は4月中旬、被災地に足を踏み入れた時の気持ちをこう切り出した。講演会場を埋め尽くした聴衆は身を乗り出すようにして聞き入った。「津波が去った後の海はキラキラと輝き、瓦礫(がれき)の向こうには美しい稜線が見えた」と山折さんは続けた。

 

 東日本大震災から5か月目の11日、花巻市文化会館で開かれた講演会―「3・11大震災とイ-ハト-ブ…岩手の風土から復興の原点を問う」には花巻へ転入した沿岸被災者を含め、900人以上が詰めかけた。山折さんは冒頭の自然が抱え持つ2面性について、物理学者で随筆家の寺田寅彦(1878~1935年)を引き合いに出して次のように話した。

 

 「この世に永遠不滅なものはない。寺田はそれを『天然の無常』と表現した。自然に抗わずに頭(こうべ)を垂れる。そういう太古からの感情が日本人の体には染みついている。ハリケ-ンに襲われた時、米国人は怒り悲しみ、もがき苦しんだ。それに比べて今回の大震災の被災者の表情は取り乱すこともなく、穏やかだった。寺田がいう『無常観』が根底に横たわっているからではないか」、「長い時を経て日本列島に築かれた文明の本質を自然科学と人文学の両面から分析した先駆者の一人が寺田だった。自然災害と科学技術のあり方とそこに立脚する日本人の精神性についての鋭い分析を今こそ思い起こさなければならない。寺田が生きていたら、地震列島の上に原発大国を築くような愚(ぐ)は決して許さなかったはずだ」

 

 山折さんは「このジレンマに一番苦しんだのは花巻が生んだ宮沢賢治ではなかったのか」と述べ、自伝的な作品と言われる『グスコ-ブドリの伝記』を引用しながら、講演会を次のように締めくくった。

 

 「法華経の熱心な信者で科学者でもあった賢治は冷害で苦しむ農民を救出するため、火山を人工的に爆発させ、温室効果によって空気を暖めようと考えた。しかし、爆破するためのスイッチを押す要員として一人は火山に残らなければならない。その役割を買って出たのがブドリ、すなわち賢治だった。寅彦の天然の無常、賢治の自己犠牲の精神から学ぶべきは自然に対する畏敬(いけい)の念ということだと思う」

 

 「『3・11』はさらに生者同士の横の対話以上に犠牲者との対話の重要性を教えてくれた。死者の声を聞こうという縦軸の対話のル-ト…私はこれを生者と死者との『対魂関係』と呼んでいる。今回の大震災の復興は死者に寄り添う、この対話を通じてしか道行きを見出すことができないと思う」ー。「東日本大震災の犠牲者は一人ひとりがブドリなのだ」という声を最近聞くようになった。この言葉を思い出しながら、「3・11」の深淵に耳を傾け続けなければならないと、そう肝に銘じた。

 

 

 

 (写真は当時のポスタ-。「言葉は無力です。そばに寄り添って祈りしかない。悲しみを共有できない。負い目を背負うしかない」という山折さんの言葉も)

 

 

 

 

《追記ー1》~原発が稼働していたら!!

 

 

 9割近い家屋が倒壊するなど壊滅的は被害を受けた石川県珠洲市では中部電力などが2014年の稼働を目指した「珠洲原発」の建設を計画していたが、28年間にわたる地元住民などの粘り強い反対運動が実り、2003年に計画は凍結された。原発反対の最前線で活躍する青木美希さんの『なぜ日本は原発を止められないのか?』を再読する(2023年11月17日付「当ブログ」参照)

 

 

《追記―2》~岸田首相の年頭記者会見…原発質問に聞く耳なし!?

 

 

 「地震から3日も経過して、いまだに総理が原発についてひと言もコメントしないのは異常です。質問させてください!」と記者。進行役は「本日中に担当宛てにメールでお送りください。後日書面で回答させていただきます」。それでも記者はあきらめずに「総理、原発再稼働はあきらめるべきではありませんか?地震大国の日本で原発の再稼働は無理だと今回分かったのではありませんか!答えてください」と大声で質問。首相が一礼して会見場を後にしようとすると、記者は「聞く力はどこに行ったんですか!!」とひと際大きな声で問い掛けた。

 

 この記者の訴えに「日本中学生新聞」の公式X(旧ツイッター)は、「ぼくも同じ考えだ!年末年始と新聞第2号で、COP28の原発のことを書いている時に地震が起きた。そして、今日、女川原発2号機の再稼働を5月ごろ目指すと記事が出ていた。どうかしてる!地震が起こるたびに、怯えている国民がいることが分からないなんて」と投稿した(5日付「日刊スポーツ」電子版、要旨)

 

 

《追記ー3》~「役立たず」という役

 

 

 「死者84人 安否不明179人へ」(5日付「朝日新聞)ー。能登半島地震の惨劇を報じる同じ一面の常設コラム、鷲田清一さんのこの日の「折々のことば」はサックス奏者、坂田明さんの「ミジンコにはミジンコの都合がある」。この伝で坂田さんは「『役立たず』と言われる人も『役立たず』という役を確(しか)とやっているのだ」と。なるほど、この未曽有の”国難”の中で、わが身の保身だけに汲々とするわが宰相こそがその「役立たず」という役割をちゃんと、果たしているというわけである。

 


 

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 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

  署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。

 

 https://oimonosenaka.com/

 

 

 

 

 

 

「公共善」と「公共悪」のはざまにて…今年一年を振り返って~いざ、夢多き未来へ、そして、激震の年明け!!??

  • 「公共善」と「公共悪」のはざまにて…今年一年を振り返って~いざ、夢多き未来へ、そして、激震の年明け!!??

 

 「公共善(=共通善)を愛するあらゆる者は、(中略)残酷で救いのない苦悩に苛(さいな)まれる」―。こんな逆説的な言葉を反芻(はんすう)し続けた一年だったような気がする。『従順さのどこがいけないのか』(将基面貴巳著)という本の中で、20世紀フランスの哲学者、シモ-ヌ・ヴェイユがこう語ったということを知った。著者の将基面さんはさらにこう解説する。「権威や権力、そして社会一般の通念は、それに服従することを求め、服従しない者に制裁を加えるのが常だからです」。ひと言でいえば、「出る杭(くい)は打たれる」ということであろう。

 

 「イ-ハト-ブ図書館の実現に向けて」―。私は今年の元日付の当ブログにこう書きつけた。そして一年たった大晦日の今日、その実現どころか「立地場所」の選定がさらに9カ月先延ばしされるという異常事態に直面している。「公共善(共通善)」について、著者はこう書いている。「文字通り、人々が共通に善いものとみなすものであり、ある共同体全体の利益を意味します。…それと正反対のものは、一部の人々だけの利益です。特に権力者や、彼らがひいきにする一部の人々だけがせしめる利益のことです」。闇にうごめく“利権”疑惑…。公共施設の代表格である足元の「新花巻図書館」がいままさに、そんな危機のただ中に投げ出されつつある。

 

 「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)はその第1条でこう定めている。「公有地の拡大の計画的な推進を図り、もって地域の秩序ある整備と公共の福祉の増進に資することを目的とする」―。つまり、まちづくりを推進するため、当該自治体に土地の優先取得権を与える法律である。旧新興製作所跡地(花巻城址)の譲渡に際しても当然、同法が適用された。「由緒あるこの土地をふたたび、市民の手に」という機運が高まりつつあった、そんな師走のある日…

 

 「多額の費用がかかるため、当市がただちに当該土地全部を取得することを決定することはできない」(上田東一市長)―。さかのぼること9年前の(2014年)12月25日、市民はまるで“悪夢”のようなクリスマスプレゼントにのけぞった。この年に誕生した上田市政の“失政”の始まりだった。あれから足掛け10年、「秩序ある整備と公共の福祉の増進」(公拡法)などはどこ吹く風、まちのど真ん中にはいまも瓦礫(がれき)の荒野と化した廃墟が無惨な姿をさらけ出している。文字通りの「公共悪」である。そして、こともあろうに…

 

 その同じ人物が今度は「税金の無駄使いだ」という市民の声に背を向けるかのように、図書館用地として花巻駅前のJR用地の取得を強行しようとしている。9年前のあの悪夢が二重写しになった。「(新興)跡地にパチンコ店とホ-ムセンタ-を誘致し、まちの活性化の一助に」―。当時、革新を標榜(ひょうぼう)するある議会会派が「取得断念」を先導し、議会の大勢がこれに追随した。またぞろ、同じような勢力図が勢いをいや増しそうな気配である。そう、「駅前の活性化には図書館と駅橋上化が欠かせない」という上田流“便法”(詐術)への同調風が…

 

 その一方で、敢然と立ちあがる市民の姿があった。Xmasイブの24日、「“夢の図書館”をクリスマスの贈り物に。新興跡地の二の舞は許さない。市有地化が決まっている病院跡地こそが最適地」―。こんなスロ-ガンを掲げた市民団体が市内のショッピングセンタ-で署名の呼びかけをした。クリスマスケ-キを抱えた買い物客が次々に応じた。この光景を目の当たりにしながら、私は胸の高まりを覚えた。「服従」から「不服従」へ…。少しずつだが、何かが確実に変わりつつあるような手ごたえを感じたのである。将基面さんは「不服従の覚悟とは何か」ということについて、以下のように述べている。これでもかこれでもかと迫ってくる重い問いかけである

 

 「『忖度(そんたく)』する人々は、ひたすら上司が望むところを察知して先回りしてでも上司の期待に添うように行動します。『忖度』する人々は自らの自由と独立を放棄し、奴隷状態に自分を貶(おとし)めています。このような人々が増えるほど、社会から自由は失われてゆきます。権威や多数派に対して従順に服従するのではなく、自分自身で『選択』することとは、他ならぬ自分自身のアイデンティティを確立し、それを守り抜くことです。『NO』というべきことをはっきり拒否できる人だけが、『YES』というべきことをはっきり肯定できるということです」―

 

 「公共善」にとって代わって「公共悪」が大手をふるって闊歩(かっぽ)するいまだからこそ、「不服従の覚悟」が必要なのかもしれない。「われ反抗す、ゆえにわれら在り」(アルベ-ル・カミュ『反抗的人間』)―。将基面さんがカミュのこの言葉をあえて引用した深い意味が少し、分かったように思った。元日の朝、私は霊峰・早池峰を仰ぎ見るのを習い性としている。城跡と隣接する病院跡地からの借景がこれまた、格別である。まさに「神々しい」としか言いようがない山容である。では皆さん、良いお年を。新しい年が夢多き一年になることを祈りつつ…

 

 

 

 

 

(写真は「公共悪」の見本みたいな旧新興跡地の荒地の光景=花巻市御田屋町で)

 

●コメント欄に霊峰・早池峰の写真。キラキラと白雪をいただく眼下には廃墟の城跡が…

 

 

※「2024・1・1」地震(令和6年能登半島地震)

  ~この一年を思考する原点の日に!?

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

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