というと物議をかもすことがありますが、東京の中でも都電が廃止されてからバスでしか行けないところは、そんな風にいわれる場所も少なからずありました。
廃止しては見たものの、実際は便利だったんでしょう、都電という乗り物が。
今から20数年前、三ノ橋というところにお客様があり、時々お邪魔していました。
現在では南北線という地下鉄が通っているのでそれほど行きにくい場所ではなくなりましたが、六本木の交差点からバスに乗り飯倉片町を右折、一ノ橋、二ノ橋、仙台坂と過ぎていき三ノ橋に着きます。山手線の中とはいえ、また白金などの高級住宅地に近いのですが、行くのは億劫な場所でした。
お客様は日本生命のビルのテナントでしたが、細かいことは忘れてしまいました。
そのビルは少し道路から引っ込んだところに建っていて、その入り口にちょっとクラブハウス風の外から中がよく見える小体なカフェがありました。
見るでもなく目をやると、初老の姿のいい紳士が若い女性と話しているのが見えました。
髪はきっちり整えられ、細いフレームの少し色の付いた眼鏡、ジャケットを羽織り首にはスカーフを巻いています。
すぐに池部良とわかりました。
時代が違うので「青い山脈」とか「昭和残侠伝」などを見たことはついぞありませんでしたが、この人しかいないだろうという存在感で佇んでいたのを憶えています。
齢七十を過ぎても美貌という言葉が通用する人も珍しいと思いました。
謹んでご冥福をお祈りします。
丁度同じ頃、確か都立大の駅前の眼鏡屋で上原謙に遭遇したり、赤坂見附の弁慶橋のたもとでプリンスホテルの方に目をやっていたフジテレビの山川千秋(その後半年もせず亡くなられたと思います。)を見かけたり、あの頃の私は、昭和と平成の狭間の帝都を随分動き回っていました。
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