何度かここに書いていますが、豊川炭鉱馬車鉄道という鉄道を調べて早3年、ここの場所がこの鉄道のターニングポイントとなった場所です。
一寸分かりづらいのですが、旧13号線と奥羽本線との交差地点です。
明治32年にここの踏切を越えられなかったために(実際は一回越えていますが、、、)全ての計画がおじゃんになってしまったのです。
鉄道と鉄道が交差する、方法はいくつかあります。
現在ではほとんどが立体交差となっています。
その昔は平面交差というものもありましたが、勿論危険も伴うため今僅かだと思います。
岩手の--軌道(ちょっと分かりません。)は一回線路が切れて東北本線の上を車輪ごと越えて、また線路に乗っかるということをしていたそうです。
佐賀県にあった祐徳軌道は長崎本線と平面交差をしていました。
その点ここの旧大橋踏切(南陽市大橋)は平面交差を許されなかったようです。
じゃあなぜ特許したのか、不思議です。
ここはどこ?
2009.11.08:mameichi:[線路は続くよ果てまでも。]
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