ほとんどTVは見なくなってしまい、時間があればラジオを聞いています。
特に朝飯のときと夕食からはずっと聞いてしまいます。
「森本毅郎スタンバイ」の「日本全国8時です」の荒川洋治氏と小沢遼子氏以外はNHK第一、あと国会中継は苦手ですね。
昨日は渋谷アニメランドという番組に、大河原邦男さんというガンダムのメカデザインをされた方がゲストで出演されていました。
彼はタツノコプロ出身なのですが、ずっと鷹の台にいたという話をされました。
そうそう、タツノコプロはオフィスが国分寺駅の南口から国立寄りにあり、現場が西武国分寺線で国分寺から2駅行ったところにありました。
その現場は、まず駅からずっと真っ直ぐに歩いていくと商店街があります。もう少し歩くと私が半年ほど世話になったトンカツ屋が左、創価高校の野球グランドを右手に見て進むと正面米屋を左折、玉川上水を渡り少し行って右折するとタツノコプロです。
なぜ私が知っているかといえば、タツノコプロの前の浅川荘という下宿に4年間世話になったからです。
そして、タツノコプロの先生方にも何回かお世話になりました。
というのは、その下宿には受け専用の呼び出し電話が2階にあり、だいたいは塚田さんという先輩が出てドアをノックして取り次いでくれました。
そして電話をかけるときは、道を挟んであっちがわのタツノコプロ前の電話ボックスに行ってかけていたのです。
その電話ボックスは、ほとんどタツノコプロ専用と言ってもいいくらいに使われており、何回言っても使用中ということがよくあります。
その合間を縫って電話をかけ下宿に戻ると、今度は下宿の電話が鳴ることがありました。
足音が私の部屋の方に近づいてきます。
「トントン」とノックしたのはやっぱり塚田さんでした。「タツノコさんから手帖を預ってるから取りに行くように。ちゃんと忘れないようにしろよ。」
といわれ、手帖を取りに行ったことが何回かありました。いやはや、、、
そのころやさしく渡してくれたお兄さん方は、この大河原さんのように最早偉大なアニメーターとして君臨されていることでありましょう。
そういえば余りに手帖をなくすので、年末に2冊づつ買っていたことがありました。途中で買うとなると使いやすいやつが売ってないのです。
なくす度にアドレス帳を作るのが大変だったし、どんどん友達の連絡先もわからなくなっていきました。
HOME > あの頃
川淵さんも岡田さんもここから始まったんだ。
昨年の出張の帰り、足尾で10分ほど休憩しました。
田中正造の足尾鉱毒事件というのを教科書で習ったほかは、馬車鉄道があったという事実を知っていただけでした。
帰ってネットで見ていたら、小野崎写真館のHPがあり【小野崎一徳写真集】足尾銅山という本が出ていることを知りました。
その後ちょっと忘れていたのですが、図書館に行ったらあったのです、こんなマイナーな本が。市立米澤図書館恐るべし。
内容は明治から大正にかけての炭鉱の歴史がパワーのある写真とともに綴られています。
来週返しますので、興味のある方はご覧ください。
元気なころの日本が満載です。写真も上手いです。流石プロは違います。
田中正造の足尾鉱毒事件というのを教科書で習ったほかは、馬車鉄道があったという事実を知っていただけでした。
帰ってネットで見ていたら、小野崎写真館のHPがあり【小野崎一徳写真集】足尾銅山という本が出ていることを知りました。
その後ちょっと忘れていたのですが、図書館に行ったらあったのです、こんなマイナーな本が。市立米澤図書館恐るべし。
内容は明治から大正にかけての炭鉱の歴史がパワーのある写真とともに綴られています。
来週返しますので、興味のある方はご覧ください。
元気なころの日本が満載です。写真も上手いです。流石プロは違います。
アノコロ、、、
或る方から、私が小学校3年の時の担任の先生の近況を聞く機会がありました。
先生は退職後割合早く体調を崩され、現在は施設に入られているとのことでした。
そのころだったか、次の年だったかクラスに私たちより大きい女の子が入ってきました。多分6年生ぐらいの年齢だったと思います。その娘には障害があり、いつもお婆ちゃんと二人で学校に通ってきました。
そのお婆ちゃんのいで立ちはといえば、着物に立ち着けできものの衿には手拭いが縫い付けてありました。昔の人が子供のなかに入っているわけです。
そして授業が始まると、一生懸命お婆ちゃんがノートをとっています。その子は何処かを見るでもなくぼーっ、としていることが多かったかも知れません。
お婆ちゃんも一緒に給食を食べ、その娘と二人で仲良く帰って行く姿が瞼に残っています。
私たちは、あまりその子をいじるでもなく、全く無視するでもなく、気になりながら特に交わることもなかったと思います。
ちょっと、その辺のことを先生に聞いてみたかったなあと思います。
さて、好評の豆チョコですが、Xmasヴァージョンを作ってみました。
140gで350円、3つで1,000円といつもと同じです。
先生は退職後割合早く体調を崩され、現在は施設に入られているとのことでした。
そのころだったか、次の年だったかクラスに私たちより大きい女の子が入ってきました。多分6年生ぐらいの年齢だったと思います。その娘には障害があり、いつもお婆ちゃんと二人で学校に通ってきました。
そのお婆ちゃんのいで立ちはといえば、着物に立ち着けできものの衿には手拭いが縫い付けてありました。昔の人が子供のなかに入っているわけです。
そして授業が始まると、一生懸命お婆ちゃんがノートをとっています。その子は何処かを見るでもなくぼーっ、としていることが多かったかも知れません。
お婆ちゃんも一緒に給食を食べ、その娘と二人で仲良く帰って行く姿が瞼に残っています。
私たちは、あまりその子をいじるでもなく、全く無視するでもなく、気になりながら特に交わることもなかったと思います。
ちょっと、その辺のことを先生に聞いてみたかったなあと思います。
さて、好評の豆チョコですが、Xmasヴァージョンを作ってみました。
140gで350円、3つで1,000円といつもと同じです。
石原莞爾 生涯とその時代 を読む。
阿部博行という庄内農業高校の先生が書いた本を読んでいます。上下刊であとがきまで653ページという大著なので、中々先に進みません。
2週間に1回息子と市立米沢図書館に行くようになり、奴が選んでいる隙に何かを借りようと書棚を物色するのですが、強いて言えば特に読みたいものもないのかもしれません。
でも、息子が借りる落語絵本だけではお里が知れるので、取りあえず何かを借りているといった按配です。
石原莞爾は鶴岡の人、満鉄東亜経済調査局理事長の大川周明は酒田の人、満映理事長の甘粕正彦は米沢ゆかりの人、国内で花咲かせる場所はなかったんでしょうかなぁ、県人は何やったんだろうなぁー。
満州は漫画家を多く輩出している場所でもあります。
赤塚不二夫、北見けんいち、高井研一郎、古谷光敏のフジオプロの先生方、ちばてつや、あきおの御兄弟、四コマの上田トシ子、丸出だめ夫の森田拳次とか。
その他浅丘ルリ子、松島トモ子、池田満寿夫、小澤征爾、加藤登紀子、板東英二、なかにし礼、山崎拓、冬柴鉄三、田勢康弘、岩見隆夫、草野仁、ジェームス三木、宮尾すすむ、富山敬と筋が通っているような、いい加減なようなメンバーが続きます。
満州がなくなってからまだ65年でしかないので、そりゃ怒る人もいるだわなぁ。(故竹下登風に)
あのころはこっちもそうやってたんだから。
2週間に1回息子と市立米沢図書館に行くようになり、奴が選んでいる隙に何かを借りようと書棚を物色するのですが、強いて言えば特に読みたいものもないのかもしれません。
でも、息子が借りる落語絵本だけではお里が知れるので、取りあえず何かを借りているといった按配です。
石原莞爾は鶴岡の人、満鉄東亜経済調査局理事長の大川周明は酒田の人、満映理事長の甘粕正彦は米沢ゆかりの人、国内で花咲かせる場所はなかったんでしょうかなぁ、県人は何やったんだろうなぁー。
満州は漫画家を多く輩出している場所でもあります。
赤塚不二夫、北見けんいち、高井研一郎、古谷光敏のフジオプロの先生方、ちばてつや、あきおの御兄弟、四コマの上田トシ子、丸出だめ夫の森田拳次とか。
その他浅丘ルリ子、松島トモ子、池田満寿夫、小澤征爾、加藤登紀子、板東英二、なかにし礼、山崎拓、冬柴鉄三、田勢康弘、岩見隆夫、草野仁、ジェームス三木、宮尾すすむ、富山敬と筋が通っているような、いい加減なようなメンバーが続きます。
満州がなくなってからまだ65年でしかないので、そりゃ怒る人もいるだわなぁ。(故竹下登風に)
あのころはこっちもそうやってたんだから。