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札の辻に高札場復活!

  • 札の辻に高札場復活!
豆いちから歩いて40秒ぐらいのところ、大町通りと極楽寺からお城に向かう小関洋服店の角がその昔札の辻と呼ばれて、高札場がありました。そこに高札が立てられました。

もとは粡町にあったが、往来が烈しくなり元和年間に奉行郡代平林正恒がその場所に移したものです。写真で見るとおりかなり大きくて立派なものです。

私が知っている札の辻といえば、東京の田町にあるものと、京都の南区東九条西明田町という南なのか東なのか西なのか分からないところにあったのを思いだします。

札の辻は高札場であると同時に、里程および宿駅の基点になっていたということで、豆いちの場所は元々米沢のへそにあるといえましょう。

道中日記を今日から読む。

  • 道中日記を今日から読む。
前田慶次の会に入会したのはよいのですが、私は花の慶次の漫画も読んでないし、パチンコもやらないので今日から道中日記を読むことにしました。

また会より立派な会員証も送付されてきました。
本日から前田慶次の会の会員証を提示された方には、絵葉書を1割引にて提供いたします。是非お声掛けください。

ちょっと解説を読んで驚いたのは、元々上杉家に在った訳ではないのね、この旅日記。中村忠雄氏によれば、「本書は、昭和の初めに骨董商永森氏らの手を経、当時東大文学部文書科勤務、米沢出身の志賀槇太郎氏の手に入り、昭和九年に米沢郷土館の所蔵となった。」ということで、文中に出てくる永森氏というのは、現在神田神保町で盛業中の秦川堂書店、それと以前は街の風といっていた永森書店と同じ姓のため、関係者と思われます。また得意なんだ、こういう変わったものが。
上記2軒からは私も地図を始め、何点か資料を購入しているのです。また何か出物があるかもしれません。但し山形のものは少ない方だと秦川堂書店の社長は言ってましたが。

前田慶次の会に入会。

  • 前田慶次の会に入会。
義父がこの会の理事をやっているということもあり、本日入会の運びとなりました。昔義父の祖父が苺園をやっていた堂森山を整備して、没後400年の年には道中日記同様のコースで伏見から米沢まで歩くとのことです。

さて、天地人で誰が前田慶次をやるのか、まだ発表になっていないようです。今のところキムタクとか長瀬とか下馬評に上がっているようですが。
私の場合、漫画もパチンコもやらないので、その筋でどういうキャラクター設定が為されているのか分かりません。実際のところ前田家を離れたのは年を取ってかららしいのですが、花の慶次はバリバリの感じです。

戦国の武将で誰が好きですか?みたいなのをYAHOOでやってましたが、三河地区(信長、秀吉、家康など)以外は多くのの武将が米沢がらみで驚きました。景勝、兼継、正宗、小十郎、慶次などなど。片倉小十郎は成島神社の神主の子供で、現在も御子孫は青葉神社の神主を務められているそうです。全く知りませんでした。

今年は川中島の合戦が秋にも催されるとのことで、是非期待したいと思います。


昔からあるんだねぇ、、、あの学校

  • 昔からあるんだねぇ、、、あの学校
Wikipediaで「日本の高等学校設立年表」という江戸時代から大正までの高校の創立年を一覧にしたものがあるのですが、何と一番最古の学校が興譲館ということになっとります。

古いとは聞いていたのですが、一番古いとは、、、
しかも来年の旬の人、直江兼続が創設ということになっています。
興譲館といえば、以前は何か鷹山公がらみで始まった、、、だったような気がしますが。

以前は鷹山公から始まったといわれていたことが、最近直江城洲に書き換えられていないでしょうか。実は前から山城が手をつけていたのが、鷹山公のほうが分かりがいいのでそういうことにしていたのでしょうか。
流れでしょうか?

それはともかく、あるところから「米沢尋常中学校規則」という17ページの小冊子を手に入れました。明治19年から28年にかけてこの名前を使っているらしく28年以降は「興譲館」をあとにつけたみたいです。

それによると、9月11日より始業、2期制で前期は2月末日まで、3月より9月10日が後期となっています。これは欧米に習ったものでしょう。
授業日数は1年42週、授業時間は1週30時間となっています。但し教授時間の始終は日の長短に因りて之を定む、ということで、まだ世に電灯というものが無かった故でしょう。米沢に電気が来たのは明治32年で、その時の水力発電のタービンは犬山の明治村に保存されているはずです。

さて、どんなことを勉強していたのか、一週間の時間割を1年と5年で見てみましょう。

1年は倫理1時間、国語漢文7時間、外国語6時間、地理2時間(日本の)、数学6時間、博物1時間、習字2時間、図画2時間、体操3時間 合計30時間

5年は倫理1時間、国語漢文4時間、外国語5時間、農業2時間、外国歴史3時間、数学5時間、博物3時間、化学物理3時間、図画1時間、体操(兵式)3時間  合計30時間

1年で国語漢文と習字あわせて9時間やってるのがみそですね。また4年生は週2時間中国の歴史を勉強しています。

夏休みは8月1日から9月10日と長いです。


とにかく古いんですね。
女房とたたみはアタラ、、、、いやいや何でもありません。

夜、寒行の太鼓の音が、、、

  • 夜、寒行の太鼓の音が、、、
するような気がして、起きてしまいました。何か決まったリズムが聞こえてますが、寒行のうちわ太鼓ではないですね。

最近来ませんね、あの集団は。子供心にやはり恐ろしいというか、不気味というか、人さらいというか(勿論そんなことはないのですが)、あと、山伏の格好で回ってる人もいたような気がします。寒くなると何かいろいろまわってくるんですよね。笹野の花売りとか。

そういえば、この間実家の近くで流しのほうき屋を見かけました。しかも自転車で、、、これは懐かしかったですね。イメージは弁慶を想像していただければ、背中にいろんなほうきを背負って、手にはほこり取りをたがってました。昔だとやはり師走に来るものだったと思います。あと包丁や鋏を研ぐ職人などもどこからともなく、一年に一度アポなしでやってきていました。家は繊維関係だったので鋏を研いでもらっていました。前の川の水を使って研いでいきます。それを子供たちは興味しんしんで後ろから、すこし遠巻きにして様子を伺っていました。

音が止みましたね。ダクトとかなにかでしょうか。

寒行はよく時代劇にも登場していましたが、最近その中にもあまり登場しませんねぇ。

時代劇にでなくなったといえば大きい観音様を背負って街道を歩く拝み屋みたいな人とか、虚無僧というのもあまり出ませんね、大岡越前などはしょっちゅう出ていましたけど。

あと出なくなったといえば、忠臣蔵の畳替えのシーンで盛大に走っていた茶坊主の姿。ちょっと小さい役者さんなのでしょうか。少年という感じでもないですねぇ。とにかくばたばた右往左往していたのが印象的なのですが(多分東映の片岡知恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介、大友柳太郎(出てないかな)中村錦之助、大川橋蔵、東千代介ほかのオールキャストのやつでしょう)、最近走りませんね。あのシーン金かかりそうですもんね。
マキノ雅彦(=津川雅彦)監督が今回次郎長を撮ったらしいんですが(未見)、次回作はと問われて、やはり最終的には「忠臣蔵」なんですが、制作費がねぇ、、、と話されておりました。
是非、作ってください、広大な江戸城のオープンセットに茶坊主が所狭しと走るシーンを。茶坊主はミッキーマウスの中に入っている人何人かにお願いすればいい感じになるんじゃないでしょうか。