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サザエさんって、凄い!!

  • サザエさんって、凄い!!
声優の年齢順に書いてみました。

舟(84歳)、波平(79歳)年上女房だったんですね。

中島君(75歳)、マスオ(74歳)、サザエ(71歳)、イクラ(70歳)
ここまでが70代です。

タラオ(69歳)、花沢さん(67歳)、タイコ(61歳)
ここまでが60代です。

ノリスケ(50歳)、ワカメ(45歳)、カツオ(44歳)、浮江(37歳)

勿論若きスタッフも大勢おいででしょうが、実際大先輩が作るこの世界が毎回視聴率1位というのが重いです。

写真は最近全色揃った野田琺瑯のポットです。
2010.11.18:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

チャーリー・バーネットをご存知ですか?

  • チャーリー・バーネットをご存知ですか?
サックスの音色は不思議なもので、この人などは何年やっても素人の音がします。
それは下手だとか駄目だとか、そういうことを言ってるのではなく、その音で勝負しているのだという気もしています。

例えばテナーサックスという楽器の場合、ブロウという力技のように持っていく吹き方があり、通常これはこれで頂点に持っていくだけの時間と理由が必要なのです。
ですが、こういうしち面倒くさいことを飛び越えて、いきなりブロウ出来る奏者がハリウッドにはいます。
ピンクパンサーのプラス・ジョンソン、ネルソン・リドル楽団のバディ・コレット、最近の西海岸のスタジオではピート・クリスティーブ、リッキー・ウッタードあたりがそうでしょう。

こういう人はプロ中のプロなのですが、チャーリー・バーネットは何といっても1941~45年まで人気投票(テナーサックスなのかバンドなのかはわからないが)で1位だったそうです。
代表曲はビリー・メイアレンジのチェロキー、チェロキーはインディアン部族の名称なので鳥の羽根なのです。
ちょっと、聴いてみませんか。
2010.11.12:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

形見分けというか、、、

  • 形見分けというか、、、
前の商売の時、催事などで一緒になっていた友人がやってきました。
亡くなったお父さんの荷物を整理していた時に、出てきたレコードを頂戴したのでした。一周忌を終えたとのことでした。

私はそのお父さんとは一度もお話をしたことはなかったのですが、持っていたレコードを見るとちょっとお話してみたかったなあ、と思います。
戴いた本は、コーヒーハウスといってロンドンで一時期はやった社交場のことで、これもかなりマニアックな本です。

キング・コールのベスト盤は勿論ご機嫌です。
2010.11.10:mameichi:コメント(2):[芸能音楽の50]

HMV渋谷閉店に寄せて。

  • HMV渋谷閉店に寄せて。
丁度20年で閉店と言うことで、平成2年に米沢に帰ってきたので知らなかった訳で、一回も行かずじまいでした。

東京にいた7年間の中で、レコード屋だけを振り返ってみると、渋谷と言うのはそれほど印象にありません。
センター街から少し入って左側の路地の地下の所にあった中古レコード屋は、結構いいお値段つけていました。店によってかなり違うんです、中古盤も、外国盤新譜も。

渋谷といえば私の場合は、今はあの場所でなくなったような気がするタワーレコード、あのころはハンズの斜二軒目のビルの2階にあり、ジャズ喫茶スイングも近いのでお世話になりました。
そのスイングのビルにも坂を登ってすぐレコード屋(ここは中古)がありましたが、いつ行っても私の欲しいものは一枚もない店でした。店の名前はみんな忘れました。

そうそう、もう一軒ありました。
渋谷の駅からR246の歩道橋を渡り、リンガーハットの前を通り、石橋エータロー氏がやっていたであろう三漁洞という料理屋の前を通り、山手線に並行して恵比寿方面に歩いていくと、古いビルが何軒か軒を重ねています。
ダンス教室とか、怪しげな事務所、音楽練習スタジオなどに交ざって「芽瑠璃堂」という黒人音楽専門の新譜屋がありました。
3階だったか4階だったか、結構フロアは広く、ブルース、ラテン、R&Bなどずっと見ていくと2時間ぐらいは時間を潰せました。

この芽瑠璃堂、元々は吉祥寺が本店で、本当に鰻の寝床のような小さい店内に私の大好きなものが、一杯置いてありました。
私の仲間からはあまり好かれていなかった店長は、私にはよくしてくれていたので、ついつい長居をしていろんな話をしたものです。レコードは実は2割ほど引いて貰っていました。
テナーサックスはハンク・モブレーとかティナ・ブルックス、アイク・ケベックなどがお好みで、「ラッキー・ルチアーノの本がある筈なんだ。古本屋にいったら探してきてくれ。」などと言われたり。

東京を去って数年、名古屋の出張の帰りに吉祥寺により芽瑠璃堂の前に立ちました。残念ながら店はやっていませんでした。休みだったのか閉店してしまったのかは憶えていませんが、多分閉店になっていたのだと思います。
仕方がないので、斜向いの「ニュー・バーグ」でつなぎたっぷりのハンバーグを食べて、その角の洋服屋で果物柄の生成りのアロハ風のシャツを買って米沢に戻りました。

それから数年後、このシャツを着ていたら「私もそれと同じの持ってるよ。」といいます。
タグは違うけど同じ商品の赤のやつです、Sサイズで。
で、それが今のかみさんです。

しかしみんなもう行かないんですね、CD屋さんに。
私の場合、途中から中古レコードしか買わなくなったんで、現地に行って購入したいです。
また、一回は三漁洞で一杯やりたいなあ、とも思っていたのですが敷居が高かったですね、25、6のあんちゃでは。
2010.08.23:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

米沢に映画館が一杯あった頃。

  • 米沢に映画館が一杯あった頃。
今ワーナーマイカル米沢には7スクリーンあるんだとか。

昔の米沢にも最大7館がしのぎを削った時代があったといいます。
戦後急激に景気が回復して、米織も活況を呈し、まだテレビのない時代女工の皆さんも、子供達も、大人たちも映画館に足を運んだのでしょう。

私が子供の頃稼動していたのは次の4館です。
一番最後まであった日活丸の内(グリーンハウスという時代もあったそうです。)、中央映画館(大映系、今はマンションになっている第一ホテルの南側)、米沢劇場(東宝系、現在は今村タクシーと大清の間の駐車場)遊楽館(松竹系、あら町、丸万旅館北、現在も建物の一部はある)

遊楽館には入ったことはなかったんですが、憶えています。あと3館は見に行きました。ジョーズ、ゴジラ、ガメラとかそういうものを。
それ以前にあった劇場は、今の米沢ボーリングのところにあった、その名も国際劇場、立町皇大神社の南側にあった米沢銀映、そして当時の米沢新聞社長の辻武蔵が公会堂を借りてやっていた映画館と7つあったらしいのです。

多分その頃の邦画は、東宝、松竹、東映、日活、大映、新東宝の6社ぐらいと思われるので、洋画館もあったのでしょうか。
残念ながらこの小さい町でこの状況は余り長くは続かず、協定により確か銀映が閉館の憂き目にあったと、読んだことがあります。

二階席の独特な怪しげな感じや、便所の臭さ、退廃的なムードが自分にとっての映画館でした。
それから見るとずいぶんからっとしている今の映画館はどうでしょう。
随分行ってないので、今度息子と行きましょう。

2010.08.21:mameichi:コメント(1):[芸能音楽の50]