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山形は羽山会?

  • 山形は羽山会?
越後は越山会、陸中は陸山会、このパターンからすると山形は羽前なので羽山会となるのでしょうか。

羽山会というのは沖縄県宮古島市の歯医者さんが医療法人のお名前で使用されてます。

えつざん、りくざんとくれば「うざん」なのでしょうか。なんか語呂が悪い感じがします。米沢にある愛宕山の近くに羽山という500メートルぐらいのピークがあります。羽山神社というのもあり、これは「はやま」と読みます。

「はやま」は県内では「葉山」の字を当てているのが多い(長井、上山、村山など)ですが、本当は端っこの山なので「端山」なのが本当だと思います。

県内の代議士の資金管理団体に「羽山会」という名を推薦したいですね。

で、随分前に撮った写真ですが、右側の端っこが「羽山」です。
2010.01.19:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

忠太の影

  • 忠太の影
上杉神社が再建されたのが大正12年4月25日です。

この年の9月1日に関東大震災が起こり、織物業界は債権回収不能と着物どころではなくなり大不況を迎えるので、大正時代最後の光彩を放った出来事だったかもしれません。大正14年には大手の買継商がほとんど倒れてしまいます。

さてこのとき設計を任されたのが伊東忠太です。
この人は本当は絵描きというか漫画家というか、そっちのほうになりたい人だったらしく、水木しげるのような妖怪などの絵を多く残しています。

築地本願寺などの階段の踊り場の手すりにも意味不明の生物がおりました。
上杉神社には何か紛れ込んでいるのでしょうか。
この間いったら、手水舎のところにタイガーマスクがおりました。
2010.01.15:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

11日朝の松岬神社。

  • 11日朝の松岬神社。
初詣に行きそびれたので、今日で天地人博が終わるという日に上杉神社と松岬神社にお参りに行きました。

問題は松岬神社の二の鳥居です。
鳥居の右側にひびが入っています。実はこのいわれを先輩から聞いております。

そばに二中があった時のある日、授業中にすごい轟音がしたと思ったら、鳥居の一部が落下していたのだそうです。
そんなこともあるんですね。どういう風につないだかわかりませんが、今のところ特に問題ないのではないでしょうか。

入って左側の庭園は、景勝の時代に作られた米沢でもかなり古い庭園と聞いております。
2010.01.14:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

七万円をすられる。

  • 七万円をすられる。
これも東京のサラリーマン時代の話でご機嫌を伺います。

なにせバブルの真っ只中で、私も嫌いではないので、だいたい毎晩のように飲みに行ったりするわけです。そのほかに平日でも平気でライブなどの活動もしていましたのでどうしても生活は荒れてきます。

それで何を買おうと思ったのかは忘れましたが、また持っていたんです、七万円を。そのころの私は財布は何回も落とすので、これはないほうがいいということで財布を廃止していました。
その代り今もあると思いますが、高橋書店の№75の手帳のポケットにお札を挟む習慣があったのです。

先輩の佐々木さんというステーショナリー好きに「石塚、この手帳はセンスあるよ!」と珍しく褒められたので会社員を辞めるこの間までずっと愛用していました。

で、終電近くの電車だったでしょうか、ヘベレケになって寝てしまったんですね。
で背広の内ポケットに入れた手帳は七万円とかもろもろの大事なものとともに消えてしまいました。駅を降りてから気づいたんだっけかなぁ。酔いも吹っ飛びましたが勿論そいいうものは二度と現れません。

そしてその年のその後の手帳は思うようなものがなく、次の年分から落としても大丈夫なように(?)同じものを2冊購入していた意味不明な時代があります。

十四万円よ、さようなら!
そんなことがあるたんびに、残念会と称して飲んでいました。
こうやって見てみると七万円ってそこそこ厚いものですね。
2010.01.11:mameichi:コメント(2):[そこいら辺を歩く]

飛田新地は想いでばかり、、、

まあお正月ですから、ちょっと色っぽい話から始めましょうか。

先輩に連れられていったのが、大阪の鶴橋というところ。
まあ、ニッポンのコリアですね、生肉の盛り方が。で、またバッタモンが山のように売っている訳です。確かここでは美味しいうどんをごちになりました。

次に社会勉強ということで連れて行かれたのが、飛田遊廓でした。

これはいってみれば落語の世界です。
一軒一軒の店に綺麗なお姐さんが張っており、左側にやり手ババァがいて「にぃちゃん、にぃちゃんこの娘(こ)よろしやろ、どやっ、あがってぇー」などということをおっしゃいます。ほんまもんはなかなかエグイです。
ぐるぐる回ってひやかしていると、可愛い娘から消えていき、別の方が張っております。

法律というのはどのようにでも解釈できるものなのですね。あくまでも料理屋の仲居さんとの自由恋愛ということで、今日も成り立っているわけですよっ、こういう商売が。

多分100軒ばかりあるでしょうか。賑やかな通りには本当にお綺麗なお姐さんがいらっしゃいます。それはそれは女優さんのようで、ピンスポが煌々と当っております。

だんだん場末の方に行くと、これまた具合が悪い。明かりも多くは当てません。そしてどっちが客引きの方か分からなくなったりします。
料金的には、、、ということなのでしょう。
もしかしたら扱いはこういう店のほうが、、、などということも十分にあるわけでしょうな。

かなり狭い道の両側に店が張っているわけですが、そこを和歌山ナンバーとか岐阜ナンバーとかの箱車がぐるぐるコッポラのゴットファーザー「パパラ・パパラパ・パパラパラー」をならしながらぐるぐる回っております。

大阪はすごいです。
2010.01.08:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]