前職では思えば、随分いろいろなところに出張させていただきました。
北は北海道から南は福岡、佐賀、大分まで、いかなかったのは青森、山口、長崎、宮崎、熊本、鹿児島、沖縄です。
そして昨日は久々の出張でした、市内でしたが。
米沢城は規模こそ他の城よりもかなりしょぼいのですが、当時は一応三の丸までありました。
本丸の堀は残っていますが、二の丸、三の丸はほぼ埋め立てられています。
唯一二の丸の堀が残っているのが、児童会館の西側からNHK米沢放送局の部分にあるところです。
そして、南側にちょっとテラスのある小粋な建物を御存知でしょうか。
個人のお宅なのですが、そこで土曜、日曜と「おほりばたマーケット」が開催されました。
そこにお呼ばれして、珈琲を淹れてきたのです。
イタリア食材のピウ・ボーノさん、お花のフロリコルさんと御一緒させていただきました。
多くのお客様にもおいでいただき、久々に外の空気を吸った気分でした。
HOME > そこいら辺を歩く
八木橋を行く。
駅前に佐藤清水公園があります。佐氏泉公園とも呼ばれています。「佐氏泉」とは「佐藤清水」を漢文調で呼んだ名前で、その名のとおり佐藤氏の清水(泉)という意味です。
佐藤氏は、平泉にある奥州藤原氏の重臣、福島県の信夫地方や置賜を治めた佐藤元治の一族で、八木橋の舘に住み、清水の湧くこの地に別邸を建てて心なごませたといいます。
その館のあった八木橋を朝散歩してきました。
現在は市役所から橋が掛かり、また13号線からも奥羽線を渡る道路が出来たのでそれほどとは思いませんが、子供の頃はそれはそれは遠い、子供にとっては未知の区域でした。
随分変わってしまいましたが、それでも原風景のようなものはまだ残っていました。
佐藤氏は、平泉にある奥州藤原氏の重臣、福島県の信夫地方や置賜を治めた佐藤元治の一族で、八木橋の舘に住み、清水の湧くこの地に別邸を建てて心なごませたといいます。
その館のあった八木橋を朝散歩してきました。
現在は市役所から橋が掛かり、また13号線からも奥羽線を渡る道路が出来たのでそれほどとは思いませんが、子供の頃はそれはそれは遠い、子供にとっては未知の区域でした。
随分変わってしまいましたが、それでも原風景のようなものはまだ残っていました。
私が住んでいる桜木町は、
松川が隣にあるので、少し行くとどこからも見晴らしのいいところにでます。
米沢出身の北村 徳太郎(きたむら とくたろう、1895年 - 1964年)は、日本の造園技師・都市研究者・都市計画家で、東京大学農学部教授も歴任した内務官僚です。
彼を顕彰するために作られた北村公園が、うちから歩いて3分のところにあり、ソメイヨシノ以外の桜がたくさん植えられています。
桜は八重桜が多く、まだ満開なものもあります。ぜひみにきませんか。
ちなみに息子の金曜日の遠足はなんとうちから歩いて3分の「北村公園」です。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 伊勢大輔
米沢出身の北村 徳太郎(きたむら とくたろう、1895年 - 1964年)は、日本の造園技師・都市研究者・都市計画家で、東京大学農学部教授も歴任した内務官僚です。
彼を顕彰するために作られた北村公園が、うちから歩いて3分のところにあり、ソメイヨシノ以外の桜がたくさん植えられています。
桜は八重桜が多く、まだ満開なものもあります。ぜひみにきませんか。
ちなみに息子の金曜日の遠足はなんとうちから歩いて3分の「北村公園」です。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 伊勢大輔