しました。
朝、かみさんが冷し中華を弁当にするということで、キュウリ、薄焼きたまご、アラスカなどを細く切っていました。冷シャブなども作って中々凝っています。
それらの具材を弁当箱に詰めました。そして麺は別にガラスのタッパーに茹でて詰めました。
店に来てすぐに冷蔵庫に入れました。
お昼の時間がやってきました。雨がかなり降っているので、お客さんは多分来ないだろうところを見計らって、麺をさっと冷水でゆがきました。全体的に麺はくっついていたのですが、それをすることによりいい感じにほぐれました。
ついていた冷し中華のタレではちょっと足りない感じなので、ポン酢を加えました。非常にさっぱりと美味しくいただけました。
職場に冷蔵庫のある方、是非お試しください。なかなかいけますよ!
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くろガムで笹巻きを食べる。
笹巻きをもらったのですが、きな粉も黒蜜もありません。
それで、店で売っている「くろガム」をかけてみました。
このくろガムは液糖に珈琲の花から採った蜂蜜を混ぜて、カラメルで色付けしたものです。
食べて見ると、すごくお上品な味になりました。
笹巻きといえば、大学時代に母がよく送ってくれました。結構な量を送ってくれるので、本当にご飯代わりにレトルトカレーをかけて食べたり、お茶漬けにしたりと随分重宝しました。
笹の防腐効果で日持ちがするといいますが、実際は段々角の部分から干からびてきます。そして角の部分から、米から出る糖蜜のようなものが段々垂れてきて、少しずつ笹巻きが小さくなっていきます。ぽたぽた落ちてくるので、下に新聞を敷いていました。
それで、店で売っている「くろガム」をかけてみました。
このくろガムは液糖に珈琲の花から採った蜂蜜を混ぜて、カラメルで色付けしたものです。
食べて見ると、すごくお上品な味になりました。
笹巻きといえば、大学時代に母がよく送ってくれました。結構な量を送ってくれるので、本当にご飯代わりにレトルトカレーをかけて食べたり、お茶漬けにしたりと随分重宝しました。
笹の防腐効果で日持ちがするといいますが、実際は段々角の部分から干からびてきます。そして角の部分から、米から出る糖蜜のようなものが段々垂れてきて、少しずつ笹巻きが小さくなっていきます。ぽたぽた落ちてくるので、下に新聞を敷いていました。
オムライス、3丁あがりっ!
母の日に「オムライス作るぞっ!」と息子に話していたのですが、諸般ストラウスの事情でその日は出来なかったので、作ることにしました。
問題はホウレン草2把を茹でてくれといわれていたことです。それならばホウレン草炒飯(以前本で見たことがあった。)にして卵でくるむのはどうだろうと考えました。
ところが息子は赤いご飯がいいと言い張ります。ケチャップもいいのですが、肝心のケチャップも余りなかったのと、ホウレン草は体にいいぞということで言いくるめて作ったのがこれです。
ホウレン草をかなり細かくみじん切りにして、これも細かく切った玉葱と鶏胸肉と一緒に炒めて軽く塩味をつけます。かなり具材を多く入れたので、そのまま食べてもいいぐらいだったのですが、そこは我慢。ご飯を投入して割としっかり炒めました。
ホウレン草のおひたしとこごみのおひたしと供に、おいしくいただきました。
日本人の作った洋食って感じが好きです。
問題はホウレン草2把を茹でてくれといわれていたことです。それならばホウレン草炒飯(以前本で見たことがあった。)にして卵でくるむのはどうだろうと考えました。
ところが息子は赤いご飯がいいと言い張ります。ケチャップもいいのですが、肝心のケチャップも余りなかったのと、ホウレン草は体にいいぞということで言いくるめて作ったのがこれです。
ホウレン草をかなり細かくみじん切りにして、これも細かく切った玉葱と鶏胸肉と一緒に炒めて軽く塩味をつけます。かなり具材を多く入れたので、そのまま食べてもいいぐらいだったのですが、そこは我慢。ご飯を投入して割としっかり炒めました。
ホウレン草のおひたしとこごみのおひたしと供に、おいしくいただきました。
日本人の作った洋食って感じが好きです。
今日はとんかつ食べたいなっ!
まあ、現在では食卓に並ぶことはありませんが、うちの母はよくとんかつを揚げていました。
で、わたしもとんかつ好きになり随分食べ歩きました。
この箸袋は、松戸伊勢丹に催しに行ったとき目の前にあった「燕楽」のものです。
奥さんに「新橋からノレン分けされたんですか。」ときくと「そうなんです。」とにこやかに答えていただきました。
大きくて分厚いとんかつだったように記憶しています。
当たり前といえば当たり前でしょうが、修業したところとほぼ同様のものが出てきます。
秋田の本庄市役所前で食べたとんかつは、上野井泉と同様のものでしたし、名取のふじ支店も本店とほぼ同じボリウムで、ガツンと出てきます。
国分寺鷹の台で私がバイトしていたとんかつ屋のマスターは、どこで修業した方だったのでしょうか。聞いときゃよかったなぁ。
でもって燕楽はその後一回訪ねたのですが、お店がなくなっていました。検索するとご主人が亡くなって廃業されたようです。
米沢では、満月のとんかつが好きでした。こちらも店を閉められました。
ないというと無性に食べたくなる夜もあります。
で、わたしもとんかつ好きになり随分食べ歩きました。
この箸袋は、松戸伊勢丹に催しに行ったとき目の前にあった「燕楽」のものです。
奥さんに「新橋からノレン分けされたんですか。」ときくと「そうなんです。」とにこやかに答えていただきました。
大きくて分厚いとんかつだったように記憶しています。
当たり前といえば当たり前でしょうが、修業したところとほぼ同様のものが出てきます。
秋田の本庄市役所前で食べたとんかつは、上野井泉と同様のものでしたし、名取のふじ支店も本店とほぼ同じボリウムで、ガツンと出てきます。
国分寺鷹の台で私がバイトしていたとんかつ屋のマスターは、どこで修業した方だったのでしょうか。聞いときゃよかったなぁ。
でもって燕楽はその後一回訪ねたのですが、お店がなくなっていました。検索するとご主人が亡くなって廃業されたようです。
米沢では、満月のとんかつが好きでした。こちらも店を閉められました。
ないというと無性に食べたくなる夜もあります。