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本日の絵葉書7月11日 その81

  • 本日の絵葉書7月11日 その81
別格官幣上杉神社遷座大祭記念 立町通ノ奉祝

昨日の粡町の通りから比べると、道が異常に広く感じられます。

右の3軒目の建物が絵葉書も発行していた盛文堂書店(ファザードが看板建築になっている。現在もある)である。
左側から進んで奥の三角屋根が米沢郵便局であろう。大正6年の大火で全焼し、翌7年11月に再建された建物である。しかしその後大正13年6月に失火で全焼、大正15年鉄筋3階建てとなった。場所は現在の東京第一ホテル米沢である。
2009.07.11:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

本日の絵葉書 7月10日 其の80    

  • 本日の絵葉書 7月10日 其の80    
別格官幣上杉神社遷座祭記念  粡町ノ奉祝

なぜかこの解説のみ大祭になってないのはどういうことでしょう。
粡町の粡という字は、通常は使われないので以前は出すのに苦労していました。
絵葉書の粡も米編と同の少し小さいフォントを組み合わせた文字になっています。
粡には「ちまき」という読みもあるのでちまきで入力すると引っ張ってこれます。
米沢ではポピュラーな文字のため米沢の印刷屋では活字は用意されていたと思うので、この絵葉書は米沢以外で作られたものではないでしょうか。

米沢は粡町の住所はなくなりましたが(商店街は戎市などで大いに盛業中)、近隣にはまだ伊達時代からの流れなのかそのまま残っているところもあります。主なものは

高畠町一本柳粡町
長井市あら町(郵便局名は現在も粡町)
川西町上小松粡町
上山市中山粡町
小国町粡町
福島市飯坂町湯野粡町

大体の町にあるようです。しかもこの辺以外ではあまり使われていないのではないでしょうか、「粡」は。
政宗とともに仙台に移動した元粡町の人たちは、仙台市内に荒町としてその名を残しており、米沢とも交流しているようです。

写真の中央上に円盤のようなものがぶら下がっていますが、電燈でしょうか。イタリアの町中でよく見かけましたが、このパターンは。
2009.07.10:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

本日の絵葉書 7月9日 其の79   

  • 本日の絵葉書 7月9日 其の79   
別格官幣上杉神社遷座大祭記念 米沢新聞社ノ大山車天照大神

今の共立ビルの前と思われます。神様はマネキン人形みたいな感じで、ちょっと怖い感じもします。花笠を背中につけているのは新聞社の方でしょうか。
山車の後ろは市役所です。大正10年11月竣工、工費11万5千円という大事業でしたが昭和45年に取り壊され、ファミリーデパートを経て現在は公園になっています。

天照大神を祭る皇大神社(神明神社=おしめさま)は市内の町場には3つあります。東町と立町が有名ですが、豆いちが加盟している町内、大町にも皇大神社はあり、この間から豆いちも氏子になり維持費を収めさせていただきました。
丁度、この間まで修繕をしていました。山形屋染物店さんの前です。
2009.07.09:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

本日の絵葉書 7月8日 其の78    

  • 本日の絵葉書 7月8日 其の78    
別格官幣上杉神社遷座大祭記念  神輿渡御

残念ながら場所は分かりません。
神主が馬に乗るというのは、あることなのでしょうか。
米沢オリジナルなのでしょうか。
2009.07.08:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

本日の絵葉書 7月6日 其の77   

  • 本日の絵葉書 7月6日 其の77   
別格官幣上杉神社遷座大祭記念 神輿渡御

現在の粡町和泉屋陶器店さんの前あたりでしょう。
右に見える三階建ては現在のエビスヤ質店、このころは都亭という遊女屋だったそうです。後ろの林は現在では道が切れてしまった西蓮寺です。ここは大火でも焼け残ったため、現在の建物になるまでは茅葺でした。

粡町の提灯には稲穂が描かれていますが、これは粡町の名前の由来になった米問屋のあった町から来ているのではないでしょうか。左側に娘たちがパレードを見ている様子も微笑ましく感じます。
2009.07.06:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]