別格官幣上杉神社遷座大祭記念 立町通ノ奉祝
昨日の粡町の通りから比べると、道が異常に広く感じられます。
右の3軒目の建物が絵葉書も発行していた盛文堂書店(ファザードが看板建築になっている。現在もある)である。
左側から進んで奥の三角屋根が米沢郵便局であろう。大正6年の大火で全焼し、翌7年11月に再建された建物である。しかしその後大正13年6月に失火で全焼、大正15年鉄筋3階建てとなった。場所は現在の東京第一ホテル米沢である。
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本日の絵葉書 7月10日 其の80
別格官幣上杉神社遷座祭記念 粡町ノ奉祝
なぜかこの解説のみ大祭になってないのはどういうことでしょう。
粡町の粡という字は、通常は使われないので以前は出すのに苦労していました。
絵葉書の粡も米編と同の少し小さいフォントを組み合わせた文字になっています。
粡には「ちまき」という読みもあるのでちまきで入力すると引っ張ってこれます。
米沢ではポピュラーな文字のため米沢の印刷屋では活字は用意されていたと思うので、この絵葉書は米沢以外で作られたものではないでしょうか。
米沢は粡町の住所はなくなりましたが(商店街は戎市などで大いに盛業中)、近隣にはまだ伊達時代からの流れなのかそのまま残っているところもあります。主なものは
高畠町一本柳粡町
長井市あら町(郵便局名は現在も粡町)
川西町上小松粡町
上山市中山粡町
小国町粡町
福島市飯坂町湯野粡町
大体の町にあるようです。しかもこの辺以外ではあまり使われていないのではないでしょうか、「粡」は。
政宗とともに仙台に移動した元粡町の人たちは、仙台市内に荒町としてその名を残しており、米沢とも交流しているようです。
写真の中央上に円盤のようなものがぶら下がっていますが、電燈でしょうか。イタリアの町中でよく見かけましたが、このパターンは。
なぜかこの解説のみ大祭になってないのはどういうことでしょう。
粡町の粡という字は、通常は使われないので以前は出すのに苦労していました。
絵葉書の粡も米編と同の少し小さいフォントを組み合わせた文字になっています。
粡には「ちまき」という読みもあるのでちまきで入力すると引っ張ってこれます。
米沢ではポピュラーな文字のため米沢の印刷屋では活字は用意されていたと思うので、この絵葉書は米沢以外で作られたものではないでしょうか。
米沢は粡町の住所はなくなりましたが(商店街は戎市などで大いに盛業中)、近隣にはまだ伊達時代からの流れなのかそのまま残っているところもあります。主なものは
高畠町一本柳粡町
長井市あら町(郵便局名は現在も粡町)
川西町上小松粡町
上山市中山粡町
小国町粡町
福島市飯坂町湯野粡町
大体の町にあるようです。しかもこの辺以外ではあまり使われていないのではないでしょうか、「粡」は。
政宗とともに仙台に移動した元粡町の人たちは、仙台市内に荒町としてその名を残しており、米沢とも交流しているようです。
写真の中央上に円盤のようなものがぶら下がっていますが、電燈でしょうか。イタリアの町中でよく見かけましたが、このパターンは。
本日の絵葉書 7月9日 其の79
別格官幣上杉神社遷座大祭記念 米沢新聞社ノ大山車天照大神
今の共立ビルの前と思われます。神様はマネキン人形みたいな感じで、ちょっと怖い感じもします。花笠を背中につけているのは新聞社の方でしょうか。
山車の後ろは市役所です。大正10年11月竣工、工費11万5千円という大事業でしたが昭和45年に取り壊され、ファミリーデパートを経て現在は公園になっています。
天照大神を祭る皇大神社(神明神社=おしめさま)は市内の町場には3つあります。東町と立町が有名ですが、豆いちが加盟している町内、大町にも皇大神社はあり、この間から豆いちも氏子になり維持費を収めさせていただきました。
丁度、この間まで修繕をしていました。山形屋染物店さんの前です。
今の共立ビルの前と思われます。神様はマネキン人形みたいな感じで、ちょっと怖い感じもします。花笠を背中につけているのは新聞社の方でしょうか。
山車の後ろは市役所です。大正10年11月竣工、工費11万5千円という大事業でしたが昭和45年に取り壊され、ファミリーデパートを経て現在は公園になっています。
天照大神を祭る皇大神社(神明神社=おしめさま)は市内の町場には3つあります。東町と立町が有名ですが、豆いちが加盟している町内、大町にも皇大神社はあり、この間から豆いちも氏子になり維持費を収めさせていただきました。
丁度、この間まで修繕をしていました。山形屋染物店さんの前です。