最後におめにかかってから、早や10年が経っちゃいました。
このパンフレットは年末うちのかみさんが店を掃除してくれたときに、どこやらから見つけ出してきてくれたものです。あの公演中ずーっともっていたに違いないものですが、なぜか折り目一つ付いていない、完全美品で発掘されました。不思議と言えば、不思議です。
立川談志が米沢にやって来る!!
その時の喜びようは何とも言えぬものがありました。まだサラリーマンだった私は、出張に絡めて東京で聴く、という方法もあったとは思うのですが、多分最早東京ではそう簡単にはチケットが手に入らぬ領域に入っていたのではないかと思われます。
この公演が終わってその年の年末、私はある病院でパラパラと週刊文春をめくっていました。堀井憲一郎の「ホリイのずんずん調査」という連載が目に留まったのです。それは今年一年間の立談志の全落語演目とその評価が一覧になっていました。堀井氏は残念ながら米沢の独演会のみ、未見であるとしてありました。
そして、この平成16年は立川談志にとって非常に出来のいい高座の多い、好調な年であったと書いてあったと思います。
その時の小噺、
あるスペインの町のレストラン、男が食べていると隣の席では大きな肉の塊で見たことのないようなものをぱくつく奴がいた。
男は給仕に「そっちの席であの方が召し上がってる料理は何と云うのかね?」
「あれは牛の金玉です。本日闘牛があったのをご存じでしょう。その時の牛のものです。」
「それは、私も食べてみたいな。どうすればいいんだい?」
「ご予約いただければ次回の闘牛の時にご用意いたします。」
といって、その男は予約をしてレストランを後にした。
次の闘牛開催の日、その男は楽しみにレストランへと向かった。
給仕に例のものをといい、待っているとそのひと皿が運ばれてきた。
運ばれてきた皿には、小さな肉の塊がちょこんと載っていた。
「おい給仕、これはどうしたんだ?前回のはもっと大きくて、もっと美味しそうだったじゃないか?」
「お客様、闘牛は牛が勝つ場合もありますから、、、、」
爆笑爆笑、大爆笑、満足そうな談志師匠の顔が目に浮かびます。
なぞなぞのたび
うちの息子が大好きな本です。昨日も布団の中で一緒に読みました。
絵を書いている荒井良二さんのプロフィールに1958年山形市生まれとあります。
今回の朝ドラ「純と愛」のタイトルにも荒井さんの絵が使われています。
まさに時の人と行った感じです。
そのうちに、うちの妹が行っている山形市の滝山小学校のOBということがわかりました。
もう少ししたら、うちのバンドの渡部さんが、高校時代クラスメートだったということも分かりました。
「あいつ、暗かったけど、、、」いまはバンドなどをなさっており、そうは暗くは見えません。