白布温泉の東屋24代当主が、幾世の安らかなる事と、温泉の永遠の栄えを祈願して、石工と共に西国三十三観音を巡礼し、分霊をうけ、享保14年(1729)に建立した「石造野立の三十三観音」。更に、笹野観音住職が巡礼し分霊をうけ、昭和50年安置の「四国八十八ヶ所」もあり、来場者の憩いの場ともなっています。」とある。石仏の他にも祭壇と思われるものや、地蔵尊像や石碑、石祠、石灯籠なども建立されていて、石灯篭の一つは上杉家の寄進とあります、2017年12月の21日平日木曜日スキーの帰りに立ち寄ってみた、雪の中どなたか知らないがちゃんと雪道ができていました、1312年に開湯され700年以上スキー場が開かれて55年・・温泉とスキー続きますように・・
車買うならワーゲンがいいなと思っていていた二十歳ころ当時なかなか高価な車・・・ドイツ本国では1977年昭和52年に生産中止となり”栄光のビートル”として最後のビートルにはグルービービートルのエンブレムが付いたワーゲンが西ドイツから船便で横浜のヤナセ整備工場に届くというニュースを観たのでした。ちょうどこの年仕事で初の海外出張6月から9月まで給料4カ月にボーナス1回分まるまる手付かずで残っている・・当時は現金なので課長から手渡し、出張期間は食費も生活費も出張費で賄えており当時会社の寮生活で寮費もいないからかからず、自分にしては大金を手にする・・この泡銭と思われるお金、ほしかったワーゲンを手に入れるチャンスと車探しを始めたのでした・・そこで見つけた白の中古VW1300ccに一目ぼれしたが少しお金が足りずその年の12月ボーナスまで父にお金借りて衝動買いしたのでした当時の給料10カ月分今の価値だと200万くらいだと思いますから結構高かったと記憶してます・・クーラーもなく加速も悪いし、RR車で前が振られるから雪道は怖くノロノロ運転リクライニングもできずいろいろと現在の車からみると不便でしたが、後ろに立てかけるスキーキャリア付けたり、サイドにステッカー付けたり、とても気に入ってました・・ワーゲン誕生秘話や年式別の特徴など本で調べたりして知れば知るほど面白い車でした、目黒にあるワーゲンショップ行ったり、当時東芝小向工場勤務でそのすぐ近くにヤナセがありその所長さんとも顔見知りになりメンテなど相談に行ってましたね・・懐かしのワーゲン二十歳から二十三歳のたった3年間のオーナ経験でした、結婚のため車は売り払いこのお金でアパートに入ったのでした23歳で結婚その1年後24歳で長男誕生ワーゲンは忘れられずミニカー集め初めていたが長男のおもちゃとなりその時のミニカーはいつの間にかなくなっている・・
昨日お休みで午後はまだ残っている大根救済・・雪の中から掘り出し大根がたくさん・・ということで、インスタントの漬物の素”べったら漬け”で漬物にそして”いか大根”を作って・・ついでに食べてみたかったNHKのドラマ『おしん』で出ていた”大根飯”・・・ネットで検索すると結構でています大根飯レシピ、その昔、人口の半ばが農民だった戦前の日本では、富裕ないじわる地主と働けど働けど貧しい小作人がたくさんいた、地域などによっても大きな違いがあり、お米はとても貴重で毎日コメなんか食べられない時代がありました、そんな大事なコメの消費をおさえて食べていたという大根飯・・山形では大根飯が日常的に食されていたといいます・・ドラマおしんは実家に帰るとNHKBSで再放送したおしんの録画がありよく見ては同じところで涙がでて止まりませんでした、おしんの勤勉さや正直なところ、へこたれない根性、人として本当に大切な物は何かというメッセージが垣間見れます、これでもかこれでもかと不幸なところへ追いやって(作者の意図)いじめにあったり貧乏ゆえにあらぬ疑いかけられたり・・幼いおしんは耐えかね奉公先から逃げてしまいます・・雪の中で倒れたおしんは農地解放運動して逃げている青年(中村雅俊さん)に救われ大事なことを教わります・・人生の歩みの中で出会ってきた沢山の恩人の言葉を通して散りばめられているおしん・・一番上の孫がおしんと同じ年になる、こんど来たら大根飯にこのドラマ見せようと思う