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雪のバカヤロー

  • 雪のバカヤロー
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一昨日23日は宿直で24日に一日ぶりの帰宅、序口はたっぷりの雪で雪降りの中除雪!25日翌朝は地吹雪の荒れ模様・・せっかくの除雪もしっかり吹き溜まりで出れず、朝いち除雪機稼働、道は地吹雪で一寸先が見えないところも・おっかねーす・帰ると案の定・・吹き溜まりで膝までたっぷりでまたまた除雪、この最強寒波は週末まで居座るそうな・・。東京は金曜日、土曜日も朝の最低気温は氷点下3度の予想・・東京では22日(月)に23センチの積雪を観測し、24日もまだ7センチの雪が残っているという・・7センチなんでほんと可愛いもんですが・・都会ではねーそれはそれで大パニックで大変でしたね・しかし年に1回か2回なんだから雪国とはさすがにねー、水道凍結なんてなかったシー・・昨日から2回目の流し凍結、洗面所に風呂場に洗濯機は凍結防止でOKなんだけど、流しだけ凍結する??対策しないと困ったものです。。さて今日は源流の森『そば道場』そば検定合格者のお祝いで休みしていたのですが、急遽大雪で取りやめになったので、スキーにでも行こうかなと思うのですがまずは家の前の雪片付けしないと行けません・・雪も続くと頭に来るなーー,雪のばかやろ^^コンにゃローと独り言いうようになった・

2018.01.26:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

そば処 吾妻軒でラーメン

  • そば処 吾妻軒でラーメン
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今日はお休みで米沢スキー場シニアスキー仲間と3人で天元台でスキー、お昼は白布温泉街にあるそば処吾妻軒さんでお昼することになり、てっぺんから麓まで6km一気に滑り降りてきます、麓駅からは数分で到着、都会に出て数年はよく春スキーに来たりして・・昼は吾妻軒でもよく中華そば食べてました・・私は数十年ぶりですがスキー師匠はかなりの常連です、米沢スキー場のシーズン券に天元台スキーシーズン券どちらも持ってる人が結構いて埼玉県人ですが師匠もそのひとりで米沢で滑っていても昼わざわざ食べに来たりもするそうです・・師匠冬は奥さんの実家福島からスキー三昧の日々・・師匠おすすめは冬季限定の鍋焼きラーメンです愛嬌のある美人女将さん、運んできたのは熱々で餅トッピングの鍋焼きラーメンうどんではなくラーメンというのは珍しいです・・私は懐かしい中華そば、変わらぬ味でおいしいです・次回はおすすめの鍋焼きラーメンにしてみます。

2018.01.22:li-no:コメント(0):[菜園・食]

仕事の記録1978~ETS-Ⅲイオンエンジン装置の開発(その2)

  • 仕事の記録1978~ETS-Ⅲイオンエンジン装置の開発(その2)
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東京都田無市向台に電子技術総合研究所(略称:電総研、英文略称:ETL(ElectroTechnical Laboratory))がありました、最初に宇宙に関わった仕事はETS-Ⅲ搭載のイオンエンジン装置の開発で電気制御関係はETLで研究しておりました、1978年からかかわり当時筑波研究学園都市へ移転する前になります、現在ETL跡地は高校と公園になってるようです、エンジン本体の研究は調布市深大寺にある航空宇宙技術研究所:略称NALがありここのイオンエンジン研究棟でエンジンの研究開発を行っていました、ETS-Ⅲの開発ではエンジンはNAL指導で三菱電機鎌倉製作所が担当してETL指導で電源とその制御器を東芝小向が担当しておりイオンエンジンのサブシステム試験は東芝とりまとめとなっていました、新設の宇宙事業部で取りまとめするサブのリーダーが通称”ねこさん”でその下で、総合サブシステム試験の設備から試験装置を担当することになった私はETLとNALに随分と通いました、なにもわかっていなかった新人の私はETL,NALの先生に随分と教えてもらったということになります、配属職場のETS-Ⅲイオンエンジンプロジェクトの取りまとめがねこさんと同じような格好のKさん制御器担当のKさん電源装置担当のOさんもほんとになにもわからない私をよく辛抱強く使ってくれたと思います、ETS-Ⅲの経験はやがてETS-Ⅵの電源装置主担当になっていくのですが・・ETS-Ⅲの成果は昭和59年にETL研究報告となり博士論文となりましたね、その電源装置担当のOさんに渡った論文はどういうわけか現在私がもっています、そのETS-Ⅲ電源装置担当Oさんはその後の電源研究で博士論文を取得してます・・

2018.01.21:li-no:コメント(0):[過去の仕事]

仕事の記録1978~ETS-Ⅲイオンエンジン装置の開発(その1)

  •  仕事の記録1978~ETS-Ⅲイオンエンジン装置の開発(その1)

技術試験衛星Ⅲ型(ETS-Ⅲ)は大電力を必要とする人工衛星に共通な三軸制御を確立するために当時宇宙開発事業団(NASDA)より東芝が主契約で行ったプロジェクトであり、東芝小向に宇宙棟を建てて宇宙専門の事業部で本格的に宇宙事業に関わった衛星となります、東芝小向や研究所ですでに関わっていた人も小向の宇宙事業部配属となり東芝日野からは小向に宇宙事業部をメインに1978年(昭和53年下期)に50名移動したなかの私はその一人でした、衛星は当時、詳細設計に移行する時期で、配属された電源技術部は当時宇宙研のSEPACと宇宙開発事業団(NASDA)のETS-Ⅲの開発機器に他の産業機器電源もあり忙しかったのですが、新米の私はすぐ使い物になるわけもなく、搭載機器はすでに詳細設計まで進んでいて、私はイオンエンジン装置のサブシステム試験やイオンエンジン電源装置とその制御装置の試験を行うための試験治具や試験装置側の設計担当として宇宙関係の仕事に関わり始めました、このETS-Ⅲは1982年(昭和57年)の打上げ後、軌道上で「きく4号」と命名、先に打ち上げられたETS-Ⅳが「きく3号」と命名されたためⅢだけど4号となっています、3軸姿勢制御や太陽電池パドル展開機能の確認、能動式熱制御に関する実験、イオンエンジン装置の動作テストなどを行い1985年3月、姿勢制御燃料が枯渇状態となったため運用を終了しています(JAXAホームページより、写真は衛星試験中のETS-Ⅲ)このなかのイオンエンジン装置が担当装置でこのあとETS-Ⅵ、Ⅶ、Ⅷとかなりの期間をイオンエンジン装置と付き合うことになっていきました・・つづく

2018.01.20:li-no:コメント(0):[過去の仕事]

仕事の記録1978~SEPACプロジェクト

  • 仕事の記録1978~SEPACプロジェクト
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極地方のオーロラ現象をスペースシャトルを利用して人工的に確認しようというアイデアの共同プロジェクト。(SEPAC:Space Experiment with Particle Accelerators)と名づけられていた、シーパック、職場ではセパックと言っていた、主に電子ビームやプラズマビームによる人工オーロラ生成実験装置で、NASAのスペースラブ-1号の搭載機器として1976年(昭和51年)に採択、開発は日本の東大宇宙科学研究所が実験・観測機器を担当し、米国側がスペースラブ搭載用管制装置とソフトウエアを担当していて、配属の職場は宇宙研より電子銃プラズマ電磁加速器の開発を担当、製造も同じ部内で行っていました、何年までだったかもう忘れて定かではないのですが自分はこのプロジェクトではなく技術試験衛星Ⅲ型のイオンエンジン装置開発側に回りました、まだまだひよっこの私は搭載機器ではなく地上試験装置から衛星機器開発に関わるようになりました・・セパックは相当苦労してましたね・・それが第一回目のミッションではMPDによってビーム放射による放電現象の励起、臨界速度効果の検証実験、プラズマ放出による帯電中和などに関して科学的成果を挙げたのですが。EBAについては電源に異物が混入したことから機能不全となり、オーロラ実験は不発1992年(平成4年)に行われた第二回目のミッション(NASA実施)で人工オーロラの生成に成功している。地上に帰還したEBAを調査に行ったのは私の仲人してくれたK課長で異物発見にΣ(・□・;)ニュースにも流されて・・悲しい結果に、2回目のチャレンジで成功するも大きく取り上げられなかったという記憶です、その機器はいまでも宇宙研相模原キャンパスの見学展示コーナーに置いてあります、宇宙研は相模原住まいの時は自宅から自転車で10分以内と近く宇宙研での仕事のときはうれしかったですね、長男の結婚披露宴(2010年)で両親に兄弟来ていたので宇宙研見学実現しましたね・・あれからもう8年相模原から山形の里暮らし始めて今年で3年目になります、相模原キャンパスも懐かしいです・

2018.01.18:li-no:コメント(0):[過去の仕事]