”川西町フレンドリープラザ夜の図書館”18日夜7時から”一夜限りの羅須地人協会”タイトルの読書会ありました・・羅須地人協会は宮沢賢治の設立した会、残念ながら成功だったとは言えない・・賢治がやりたかったこと、やり残したことをやってみようと一夜限りの羅須地人協会の再現ということで兄と読書会メンバーで詩の朗読と唄をやるというので幼馴染と聴きにいって来ました・・宮沢賢治、国語の教科書にも出てくる有名な詩人、理想の世界を夢見て活動するも周りからは変わり者と数々の挫折を味わい、ついには体を壊し亡くなっていく・・37歳あまりにも早い死でした。賢治は生前ほとんど評価はされず、その死後に草野心平らにより作品が知られ、国民的作家となってます、賢治の起居した玄関脇の小さな黒板には行き先がチョークでよく記され「下ノ畑ニ居リマス」はマネする人たくさんいます・・半農半教の生活スタイルを表す貴重なことばとして知られ、農的暮らしに憧れる人も増えている。ゴッホなども生前は全く評価されていないのですがね、生きてるうちにあなた方は多大なる影響を与える人になるよと教えてあげたいです、会場の入り口には例の黒板が立ててありました、詩の朗読に唄も大変良かった・・・
紅花まつり
山形県の花は紅花、江戸時代の最盛期には質、量ともに日本一でそのなかでも白鷹町が生産量一位となり現在も日本一・・相模原市の油絵サークルに入り絵を描き始めたころ、故郷置賜の風景で一番山形らしくていいなと感じて、この時期に休み取って帰省し紅花写真に風景スケッチしたり、紅花摘みも体験したりしてました、花は2週間ほどで終わるため摘み取りが大変で白鷹町では猫の手借り隊と言って十王地区の八掛公民館で摘み取りした紅花を計量しその場で現金渡してくれます誰でもOK、予約もなにもなし朝そこらへんで近所のおばちゃんがたが摘み取りしてるから混ざってやると地元の話も聞けて楽しかったですね・・昨年は行けなかった紅花まつり、今年は休みとって行ってみました、今年の祭りは7月14,15日公民館でのおもてなしは冷たい紅花茶に紅花入りおにぎり、おろぬきした紅花のお浸し、ゼリーとアンズに漬物が並んでます。。以前いただいた紅花の種来年こそは庭に植えてみたいです・・そして完全リタイヤしたら紅色抽出までやってみたいなとおもってますが・・かなり手間暇かかる作業やってる農家さんは休みなく大変そうです
イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17・No2 中小松三日町
川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント参加で一寸変わった茅屋根の家と直木賞作家”井上ひさし”さん生家の説明案内があったので追記・・中小松三日町の通りで今では貴重な茅屋根を残しているお宅、元お医者さんで今は住んでなく除雪とか家の管理は人に頼まれていると伺っている・・以前茅屋根民家写真撮りためてるときに何げなく写真に収めていたのですがこの家のつくりが和と洋を組み合わせた貴重な建物らしいです、窓は上下スライド式です、日本は明治になり洋式文化が入り建物も洋風なものが昭和40年初頭までは小松街中でもよく見かけました、今でも残ってるものがありますが少なくなりました、このおうちも文化財的価値のある建物のようです、町出身の直木賞作家、井上ひさしさんの生家はお父さんが病気で亡くなった後、小松小学校の入り口にあるところに引っ越すわけですが生家は三日町にあり、現在使われていた石だけは、いまでも庭の敷石に使用されている、おうちの後ろに祠などがあり昔をしのばせる部分があるのですが写真は許可もないので省略・・
イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その12・No2 小松坂の上
川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント・・・140年前の7月14日バードが宿泊した金子邸から同じ日に同じ道をたどるという企画に参加した、140年前の朝と同じ良く晴れた日になりました、この日宿泊した永十さん『高級役人の泊まるりっぱな部屋、久しぶりにゆったりした部屋に落ち着くことが出来たが、中庭にある池の蛙がうるさくゆっりは休めず翌日も人口3000人の町の半数の人が押しかけた』という記載が残る、その金子邸現在はガソリンスタンドでその中庭伺うことができました、当時のまま残ってるわけではないですが庭石と庭木は当時のものだそうです・・まちなか歩きのポイントになってるようで庭に看板が掲げてあります・・
川西町中小松のしゃぎり
諏訪神社の祭礼で街中を練り歩く『しゃぎり』は小松の3地区・・西区、北区、南区から山車がでてきます、旧小松村のお祭りで昔から続いている、この他にも虫送り、神送りといった神事もありその隣村である中小松村でも同じようにしゃぎりや虫送り、神送りの神事がある、残念ながら現在しゃぎりは中小松では消滅している・・・中小松のしゃぎり・・新山神社に置かれていてその社殿前で記念撮影している写真がある、歴史おたくの幼馴染の話によると台車は残っているそうですが上の屋台はもうなくなっているとのこと何とか復元できないかと思っているようだ・・何年かかるかわからないが3地区のしゃぎりに新山神社のしゃぎり模型でいいから残しておきたいと思っている、貴重な中小松のしゃぎり写真ですが他にないものか図面が残ってないものなのか?