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川西ダリヤ園

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早いものです・・今日で8月も終了・・ここずーと雨、雨、雨です・・畑の草がぼうぼうですけど時間もないし雨だしまぁいいか?ということにしてほったらかし、久々に昨日の休みに実家裏にある川西ダリヤ園行きました、ちょうど1年前孫たちが田舎の移住先に泊り来てダリヤ園も寄って写真納めてましたが昨年に比べて夏の雨不足で全体的に成長が遅いようです、それでもさすが国内一のダリヤ園きれいな花が咲いてます、町田にもダリア園ありますが種類も花のきれいさもダントツに川西がいいです、町田のダリア園ここから球根寄贈したりの関係にあります・・川西ダリヤ園は昭和35年開園、もうすぐ還暦になるのですね、普通ダリアが一般的な呼び方ですが、ここ川西ではダリヤとなっているのです、昔の発音だからダリア園に変更する案が出たようですが慣れ親しんだダリヤで継続するようです、ちょうど1年前”初孫”という名の花の前で撮った孫の写真と今年の”初孫”比べると全然成長が違います・・

2018.08.31:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

風呂コン

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川西町の温泉施設『まどか』では温泉棟のロビーで不定期ですがコンサートがあります・・ジャンルも自由、参加費も入場料もなし・・題して『みんなで・風呂コン』社長の考案で始まったようです、プロの方のコンサートも食事付きで宿泊棟ロビーで行ったりと音楽好き社長が音楽を愛する人に楽しんでもらおうとそんな場所を提供してくれてます、社長はすぐ近くにライブハウス『Jam』も所有しています。そんな風呂コン、昨日は兄”無花果堂(いちじくどう)”とよく知っている”ココペリ”の演奏があるというので聴きに行きました、兄もココペリも定年になって青春甦りという状況、歌も演奏もうまくなってます・・実は10月に私たちもここでデビュー予定・・若干ビビりですが何より場に慣れないといけないのでまずは申し込み10月に向け練習に励みます。

2018.08.31:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

萌展に向けて

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所属している相模原市の油絵サークル『どんぐり』は来年40回目のグループ展となります・・私は30回からの入会で10年がたちました、早いものですがまだ10年という感じもあります、田舎暮らしに憧れ山形に来ましたが会は継続してます。こないだ東京行った折に40回記念の打ち合わせがありました、毎年5月連休頃に町田の国際版画美術館で行うグループ展、会の歩みに個人のプロフィールも作るということで。。今年も来年に向けてそろそろ作品つくりしないとまた切羽詰まったとこで悪戦苦闘しますが、まぁことしもそうなんでしょうね、すこしでも進めないとと思い小さい作品から製作開始しました、小作品は米沢市に移住したので米沢市内から望む天元台高原や西吾妻山をテーマにしてみます・・キャンバスに額も最近は手作り、キャンバスはベニヤに漆喰塗って、額は風雪に耐え節があらわになり半分朽ちて捨てられた板を削って使用してます・・

2018.08.30:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

飛んで火にいる夏の虫

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明るさにつられて飛んできた夏の虫が、火で焼け死ぬ意から、自分から進んで災いの中に飛び込むことのたとえのことわざ・・天元台高原のロープウエイ駅舎内に明るさにつられて虫が寄ってきます、早朝の掃除でトンボに蝶に昆虫生きてる虫君たち面倒ですが捕まえて逃がしてあげますが隅に逃げ込んだ虫は死んでしまいます、久々にオニヤンマにノコギリクワガタがいました・・小さい頃、虫取り良くしましたね、誘蛾灯といって田んぼに害虫駆除で設置してあったとこにいってクワガタにカブトムシつかまえにいったりしました。。昆虫みると童心に帰ります

2018.08.28:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

金池山心光寺

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米沢市金池6丁目3-16にある金池山心光寺の脇道、車が入れない狭い道、いい雰囲気で小道が残っています、地蔵に六角地蔵もありここだけ数百年前の小道といった風情があります、寺の入り口に古い松の木と水屋があり、この地が金池となった由来が掲げてあります、その昔この松の木の下の池から湧き出す清水で”松の下酒造店”という造り酒屋をはじめこの清水で作った酒が大変おいしく大評判となり上杉6代藩主を迎えたお茶会の席であまりのお茶のうまさに黄金のような水であると言われそれ以降黄金池と呼ぶようになり。後に黄金ではあまりにもったいないということから黄がとれて金池となったと記されています・当時酒屋は順風満帆で2千坪の大屋敷があったとされています・・酒屋はどうしてなくなったのか気になるところです・

2018.08.26:li-no:コメント(0):[歴史探訪]