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新山神社(小松城止)その1

  • 新山神社(小松城止)その1
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小松城は、鎌倉時代の創建とみられ、長井氏家臣の船山因幡守や、伊達時代には大町氏、桑折氏、牧野氏が城主を務めた。
元亀元年(1570年)牧野久仲、父、中野宗時とともに伊達家に反旗を翻した、この内乱で首謀者の牧野、中野が死亡したことにより小松城は廃城となるなど、伊達家の歴史の舞台となった。福島県桑折町の町名の由来となる桑折播磨守景長が居城した城でもある。(川西町史参)現在も土塁の一部が残っている。

2016.03.03:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

川西町営小松スキー場

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山形県内のスキー場として最も早く作られたスキー場に上げられる、川西町営小松スキー場、地元では“三本松”の愛称で呼んでいた。ロープ搭といってロープにつかまり上っていく、途中で傾斜が変わり急になるので、小さい時は手を上に上げて必死でつかまって頂上に上がっていた、昔は2本のロープがあり、第一と第二があったが今は第二のみ、中央に一本だけになったようだ、コースも設備も非常にシンプル、ゲレンデもコンパクト、地元の小、中、高校生が主に使用していた、ナイター設備もありクラブ員は遅くまでやっていた。写真アルバム『置賜の昭和』に昭和18年置農生スキー部のようだ、ゲートルを巻いており当時の世相を現している、また小松スキー場全景写真があり昭和31年とある、同じ場所で昨年撮影したが昔の写真どれもそうだが、雑草がなくきれいに刈り取られている、山もきれいに芝刈りしているせいだろう非常にきれいに見える。あと中学卒業アルバムに新山中スキー部が小松スキー場山小屋前で撮っていたのがあったので投稿、昭和47年のものである。

2016.03.03:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

置賜の歴史探訪(はじめに)

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  • 置賜の歴史探訪(はじめに)

2015年7月、故郷置賜に40年ぶりに帰ってきた、若い頃は都会に憧れ、その便利さや、都会の刺激に酔っていた、いつしか離れてみてわかった故郷の良さ、そして失って見てみてわかった、自然の尊さ。便利さや、効率を求めていくのは良いが、やりすぎると悪になる、いつしか、後に続く人のことより、いまだけ、自分だけいいとか、人間関係も希薄になり、親子や兄弟の関係も悪化し、小言を言われただけで簡単に人を殺していくような人が増えてきている、里山では人と人がかかわり、自然とも共生し、孫子の代にまで気を配り、自然を守り生き続けてきた、そんな里の暮らしも、高齢化、少子化でなくなりかけている、村落の消滅はお祭りや、神社、石碑等の消滅となり忘れ去られてしまう、古きよき置賜の文化、歴史を少しでも残し、故郷は良いもんだと都会に行った人も、戻ってきてくれる人が増えれば幸せだ、こんな独り言を写真や文書でその思いをつづりたいと思う。 置賜には月夜燈、草木搭など独特の文化がある。

2016.03.03:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

まっきー菜園さんのがんこだれ&ドレッシング

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 地元川西町で自宅農家の農産物を利用し、ドレッシングやおかず味噌、焼き肉のタレの加工品販売している(まっきー菜園)さん、実家に帰省すると、まっきーさんのドレッシングがよく家に置いてあった、実家では近くの温泉施設『まどか』で購入していたんで知っていて、いちファンであった。

私はUターンして、はじめてフレンドリーで行われた春待ち市を見学、そこで本人に会いました、いろいろと挑戦している姿にあこがれます、この日、がんこだれとドレッシングを購入。ヤマザワでアスパラが安かった、うども安かった、鶏肉も安かった、ねぎは『まっすぐ屋』さんから、こないだたくさんいただいたんでアスパラ+うど+ねぎ+鶏肉がんこたれで炒め物調理、生野菜サラダは水菜+だいこん+にんじんでドレッシングをかける簡単調理。 実家では母が認知症となり、家事はもう7年位していない、父も体力的に厳しくなり食事夕は兄が行うようになった、実家来て里暮らし準備の私は、朝の食事を担当、料理は嫌いではない、実家の自慢、母は料理は好きで惣菜はほとんど買わずにほぼ100%自作料理であった、兄も自分も血を引いているようで手作り料理にこだわる、しかし母、さしみと生野菜サラダは食べない、昔食いつけてないのでNGのようだ、出してはいたのだが、ここ最近、毎日作った朝食の写真記録を始めた、平成の朝食?365日分完成したら町に寄付しようかな?(どこかの農家が既に寄付されていて面白いとおもった)100年後みたらぜったい面白いと思う、江戸時代は?明治時代は?昭和の戦時中は?庶民の食事はどうだったのかみたいと思いますが・・・どこかないのか?自分朝食支度で林檎は必ずウサギとかそれ以外にも古民家にしたり木にしたり適当に遊んでいるが、林檎彫刻はまだ修行が足りない。

 

 

2016.03.02:li-no:コメント(0):[菜園・食]

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その18 中小松八日町

  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その18 中小松八日町
  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その18 中小松八日町

 バードは三日町から直進し、小松城の入り口の角にさしかかる。するとみちがかくっとクランクして曲がり、そのかど亥子屋さん前になる。ここを通過して八日町に進む。この八日町の古い写真は『置賜の昭和』に掲載されていたので投稿。説明には体育会マラソン折り返し点とあり昭和36年頃とある。 現在右の畳屋さん、左のバイク屋さんが見え、奥には樽平酒造さんが見える。 町出身の直木賞作家、井上ひさしさんの本家筋にあたる、昔ながらの酒作りを大切にしているところ。ドラマや小説にも出ているし、東洋陶磁器のオールドコレクションで知られる『掬水巧芸館』は何度もマスコミに取り上げられている有名どころである。井上少年はこのあたりが遊び場。小松城にある新山神社では野球に熱中し、写真奥の犬川は水遊び場だった、神社横は新山中学があったが統合されなくなっている。 統合した中学の校歌は町の依頼で井上ひさしさんが校歌を作詞している、その一文”めあては一つひとらしき人、空よりも心の広きをめざして、・・花よりも心の清きをめざして、・・山よりも心の強きをめざして・・]が好きである。