1975年(昭和50年)初めての都会生活は、東京都日野市旭ヶ丘3丁目(東芝日野工場の第二平山寮)から始まった、転勤で神奈川県横浜市鶴見区の駒岡寮へ、そして初めてアパートを借りて住んだのが会社近くの川崎市幸区下平間の安アパートでした、23歳で結婚し会社の門から100mという社宅(川崎市幸区下平間東芝中塚荘)に引越した、朝通勤の社員の足音で目が覚め、5分前の始業ベルで出ても間に合う距離で何かと便利だった、しかし風呂なし、汲み取りトイレの昭和昭和した安アパートで、当時銭湯は近くに3軒あった、程なく長男が生まれ1歳まで生活、銭湯では、子供を見てくれるおばさんもいた、まだ昭和の雰囲気が強く残る商店街いい雰囲気だった、しかし、仕事で遅くなると銭湯もしまるので、風呂付がほして団地(横浜市神奈川区白幡東町)に引越し、2人目の娘が生まれた、このとき26歳、やがて念願のマイホームを相模原市に購入し住むことになる、仕事で関係していたJAXAの宇宙研がチャリで5~6分とうれしい距離、たまに打ち合わせなどでうれし、うれしの直行、直帰、都会では通勤に往復2,3時間は当たり前だから、ほんとにうれしかった、まだ、このころは田舎暮らししようなど考えてもいなかった頃である・・・それぞれに路地裏とか散歩で好きな場所があった、そんな自分の好きな細い道をだらだら、ぼそぼそとつぶやきます。(思い出の子安運河、置賜桜回廊、置賜紅花のみち他)
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春の到来ふきのとうで一杯
今日、白鷹町”あゆーむ”で行われるワークショップを見にいく途中、昨年5月に娘の孫連れて桜回廊で有名な大明神桜、釜の越し桜、薬師桜を見た、今どんな感じかなと見て回った、大明神桜は縄文の岡公園があり、とてもいい雰囲気の里山、そこで夫婦が草むしりしていた、ずいぶん早い段階でやってるなと聞いたらクサは外来種のクサ、ほうっておくとすごいことになるのだそうだ、市販の土に混ざっていたのが繁殖してるそうだ、魚にクサに天敵の無い外来種は強い、農作業のこと、山菜のこといろいろ聞かせてもらった、土手にはふきのとうが出ていてどうぞと言うことで取らせてもらったが、これも取るルールがあるそうだ長く継続させる代々伝わる知恵、大事なことだ、今夜はふきのとう味噌、てんぷらでいっぱい、鼻にぬける春の香り、今日は日本酒がおいしい。
成田の獅子振り
もう先月になるが長井市成田八幡神社の獅子振り、幕の内話の講演があり、行ってみた、講演は獅子宿の獅子彫師、それと地元獅子蓮のかたが幕なしで獅子振りの様子を実演して見せる内容であった、幕の内側が見えて大変興味深い内容であった、ここ長井市は黒獅子祭りで有名であり、地元っこは小さい頃から獅子に慣れ親しんでいるので獅子馬鹿が多い、私の幼馴染も母方実家が成田ということもあり、小さい頃から見ていたせいで、相当な獅子マニアである。今までそんなに見に行く機会もなかったが、故郷に帰ってきた昨年夏、認知症の母介護で始めた木工人形作り(毎朝の話ネタ)にはまり、白鷹まで足を広げ祭りを見始めた、獅子はどれをとっても同じものはなく、興味深い、置賜にいくつあるかだが、全獅子の製作を目指すつもりだ。 黒獅子に白鷹の赤獅子を製作したので、投稿。