こんどの日曜日10月30日は小松でプロレス観戦・・・町の若者が企画した催し、観戦無料で、協賛金により開催、プロレスだけじゃあなくて、産直交流市場もOPEN、歌謡ショーや子供太鼓、踊りもある、この企画に賛同しアトリエ・リーノとして木工クラフト人形で参加します、クラフト関係は3店舗でそれぞれ紹介にクラフト体験と専用ホームページにあり、びっくり・・まだそれは早いと考えていたのですが、これはやるしかない、急遽体験用に人形サンプル作りしました、ちょうど翌日31日はハロウインなのでこの人形作り体験で行こうかとその試作品です、他小松の伝統民俗芸能・祭り人形も展示販売しますので時間あるひとは来てみてください。ホームページは https://komatsuling.wordpress.com/map/
イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN03(中小松三日町)
小松で行われた虫送り、神送りの神事の翌日、中小松でも同じように村境から次の下小松との村境まで『ヨーセ、ヨッセ、ヨセー』と唱えながら提灯行列が進みます、バードが通った頃のこの通り、同じ間口の萱屋根民家が並んでいた頃となります、昭和の40年頃まではまだ、萱屋根民家がつながるいい感じの景色の街道でした。
イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN02(坂の上)
バードが宿泊した羽前小松坂の上は1801年の小松絵図や東講商人鑑1855年の資料にこの地名が見られる、坂の上の突き当たりは米沢城下と長井方面に行く分岐の道になる、ここは毎年7月の26日に虫送り神事、8月の28日には神送り神事として小松の西区、南区、北区の提灯行列が集まるところである、各区の村境からこの坂の上に向かって『ヨーセ、ヨッセ、ヨセー』と笛と太鼓にあわせ唱えて進む、害虫や悪霊を集め村境に送る神事、ここで集まった各区の行列は中小松村の境まで進みます。中小松は翌日その神事が行われます。バードはこの坂の上から長井の小出側に進んだのでした。
イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN01諏訪峠
昨年7月に故郷にUターンし、はや1年が過ぎた、離れて分かる故郷の良さ、その良さを再発見したり、未知なることを知ったり、またそれを確認したり、しかしまた、子や孫がいる都会を思い出したりと・・・都会のときは頻繁に故郷のホームページを見ていたが、今は都会のホームページよく見るようになった(笑)、遠い首都圏、行きたいところを空想したりしてと人間とは面白いもので、ことわざに”近くの神より遠くの神”とか詩などでは”ふるさとは遠きにありて思ふもの”とかそうなんだなとつくづく感じると良く想うのです、バードが通った越後街道はまだほんの一部しか行ってないわけで、今週末は黒沢峠歩きをしようと思います。。そのバードが通った道がわかる、1801年の小松村の絵図バードが通ったのは明治11年1878年だから77年後のことである、現在もほぼ同じ道が残っている、まずは自分が生まれ育った小松の町から絵と木工人形でバードが通った道を主に作品作りを開始した、その1作目は諏訪峠、私が生まれた懐かしい昭和30年代をモチーフに製作します。因みに、バードが通った時代の服装とか風景がよく分からないのでネ・・作れないわけです・・その昭和30年代まだ父親のイメージは無口で頑固、威厳があり怖かった存在、長男は跡取りとして使命感に燃え、兄貴面して下の子を上目線で見る、母はそんな家族を暖かく見守る厳しくも優しい存在、末子は自由奔放で怖いものなし、そんないち家族が峠を重い荷を運ぶ姿、下の子は親の真似をしたがる時期で『ワタチも背負いたい』と言って、荷縄でたきつけの小枝を背負わせている、母は『あんたのおかげでほんとに助かる』とおだてて褒めると、娘は意気揚々と歩きつつも心配そうに見つめている姿である、案の定、娘は疲れておやすみモード、荷車の上でお荷物になるのでした。。。
雪囲い
今年の春からはじめたそば打ち、月一程度では全くダメよ、ダメダメ、12月に検定があるので今日から週一で中津川そば師匠宅で特訓をば開始、道すがら、いつの間にやら、稲刈りもほとんど終わり、山は色づいてきた、師匠宅は雪囲い真っ最中、早いものです、ついこないだまで暑い、暑いといっていたかと思うのですが。。、特に田舎に来て感じたこと、雪国では季節の変わりがはっきりしている、風景もそうです、風雪から家や庭木を守るため、家の入り口やら・まどや庭木など、雪でつぶされないように板などで囲います、板とか、藁とか、色んな風景が見れます、週一で中津川、秋の紅葉も観測してみます。