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豆柿

  • 豆柿
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わたしは知らなかった、豆柿、ちゃんと柿だよね、大きさの違いが面白い、知り合いの所で見かけて可愛いなと思っていたら、とっていいというので一枝もらった、実家の母に見せると小さい頃庭にあった、おやつで食べたそうです、父も渋を採って桶などにぬって長持ちさせたとか、昔はよく見かけたが今は少ないようで、今の今までわたしは知らなかった、調べてみると、豆柿は中国が原産、日本には古くから渡来し、柿渋を採るため広く栽培された、特に信越から東北地方でひろく栽培された、霜の降りる頃には渋みが取れて食用になるそうです、認知症の母、数分前のことは忘れても小さい頃のことは鮮明に記憶していて良く話す、接木で普通の柿をつなぐと普通の柿が支配して豆柿はなくなっていく、不思議だなと子供ごごろに思っていたと話してくれた、いい感じの枝なので一輪指しで部屋に飾る。

2016.11.30:li-no:コメント(0):[菜園・食]

中津川でそば打ち

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12月3日のそば打ち検定に向け、わがそば師匠の中津川別荘宅にそば打ち練習に行く、玉庭から中津川に行く峠の頂上は路面が濡れて雪が少し残っていた、飯豊山もさむざむと感じる、もうすぐ里も雪の予感です、2週間前はまだ紅葉が残ってましたが師匠宅の周辺も白黒の世界に変わってきた、今日の昼そばは極細を試しに打った師匠のもの、あまりに細いとダメみたい、適度な太さでないと食感が悪いようで太すぎても硬くてと適度な太さというのがやはりあるのだなーと・・・3日の寒河江での検定予定立てて終了、なめこに野菜ももらってそばも全部持ち帰り、そばは知人宅におすそ分けします。

2016.11.30:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

米沢市綱木地区獅子踊り人形作り

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米沢に13あった獅子踊り,現在は3つだそうです、その一つ、山形と会津を結ぶ会津街道となる山形県の最南部に位置する綱木地区に残る獅子踊り、8月15日に行われている、先獅子(雄獅子)が春日大名人、中獅子(雌獅子)は天照皇太神、後獅子(雄獅子)は八幡大神の化身といわれており、細かく見ると獅子に違いがあります、昔は8月14日~16日と三日三晩行っていたそうです、細部までとはいかないが、先獅子から人形作りに挑戦、衣装が青地に赤の牡丹模様、これは難しく失敗したので省略、再度衣装の模様も入れて雌獅子も含めた3匹獅子に挑戦するとしますかぁ。。

2016.11.30:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その8手ノ子、松原、諏訪峠

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バードが手ノ子に着いたのは午後、ここ手ノ子でバードはおもてなしを受けている、『ここで伊藤はぞっとする料理を7皿とり、わたしには酒、お茶、ごはん、黒豆が運ばれた・・』とある。 もてなした旧家は今も風情ある建物で残っている、昭和のはじめまで旅人に出す茶屋をしていたとのことであり、伊藤が食べた“ぞっとするもの”とは「納豆もち」という説があります、11月5日にあった街道探訪での昼食は手ノ子地区民のもてないしで”ごま、あんこ、納豆”もちが出てきました、そういえば東京に出て四国出身の会社の同期2人がスキーしに実家に来たとき、2人とも納豆もちはありえないと言っていたのを思い出す・・美味しいのにね。。バードも気持悪かったのはうなずけるよね、しかしバードはここで、娘さんがうちわで丸1時間扇いでくれて、代金を不要とする親切さに心を打たれたとあります、おもてなしの心、日本の誇れるところですね、バードは松原から諏訪峠を超え小松へと向かいます、松原の旧道の通りは大内宿にあるような幅広の通りが残っているが、昭和40年を境に萱屋根民家は姿を消し、昔の風情ある風景はなくなりました、松原からゆるい下りとなり通りを過ぎると緩やかな上りの諏訪峠に進みます、頂上が飯豊町と川西町の境になる、宇津峠から落ち合は飯豊町『手ノ子保存会』、諏訪峠は川西町『諏訪峠保存会』がそれぞれ街道保全やPR活動を行っている、街道探訪11月5日のあと、11月20日天気が良かったので落合から諏訪峠まで散策、諏訪峠は旧道から頂上まで登ってみました。

 

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その7落合から手ノ子

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落合の大松は昔2本あったが米坂線工事のとき切られてしまったということです、小学生のころ父の商いに小国まで付いて行くことが多かったが、この大松はすごく印象に残っている、盆栽みたいないい枝ぶりは今も健在のようです、松のすぐ右下は削り取られた崖となり米坂線が通ってます、大松から手ノ子方面、右手の山には手ノ子スキー場が見えます、ここを下ると現113号線にぶつかり左に折れて手ノ子の町にと入ります。当時手ノ子は山麓に開けた重要な宿駅であった所です、旅人宿10、木賃宿、牛馬宿、茶屋に遊女屋も4件と記されています、宿場独特の雰囲気で昭和40年頃までは萱屋根の店やが両側に残る通りだったと記憶していますが、車の普及とともにバイパスの開通となり旧街道筋は人通りが無くなり、お店は無くなってしまいました。