昨日玉庭地区の”おもいで館”にある炭焼き小屋の炭だし見学に行きました、ほとんど手伝いもせず、移住者の方たちと話して終わりでしたが、意外と多い玉庭地区の移住者の面々、昔の生業を楽しんでいます、よくもまぁこんな雪深いところにと思いますが、あえてこういった田舎に来るのが移住者ですな、わたしは故郷にUターン、自由に出来るところを模索中、一度移住失敗してますから慎重に探してるとこですが希望してる基準の話になるとほとんど同じ考えでーーーというところで話が盛り上がりましたわ・
不戦の誓い
数日前になるがオバマ大統領と安倍首相が真珠湾で演説し、安部さんは『戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民に、世界の人たちに、固いその決意を・・・』と述べ不戦の誓いをしました。1941年12月7日真珠湾奇襲攻撃あれから75年ですそういえば、会社入りたてのころ初の海外出張で対応してくれた人がハワイ育ちの日系人で、かたことの日本語は古い言い回しの広島弁でした『わしゃーのう、いくさのときはのう、日系ということでおなごもみんなつらい思いをしたョ・・』って明るく話してくれました、しかし内容はとても言えないつらい話でした、中島みゆきさんの”時代”の歌詞『今はこんなに悲しくて 涙も涸れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけど そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ ・・・』ほんとだわなー、当時よく笑って話せるなと思ったものでした、三ヶ月に渡り公私ともお世話になり仕事が終わりシカゴから帰国するとき一泊自腹だけど運賃同じだからハワイに寄っていきなさいといってホテル予約してくれました、思わぬ一泊2日のハワイ旅行となり、迷わず日米開戦となった地、真珠湾そして戦艦アリゾナを訪れたのでした、1977年9月のこと・・ようやくアルバム整理が終わり、あとは今年撮り貯めた写真や動画のバックアップです、今年も残り2日、今外は雪です。
処分できない古いもの
一旦降った雪もとけてすっかりなくなってましたが、また降り始めました、しかしまだ米沢スキー場営業再開までにはいたってません、雪国だからやっぱ雪ないと困るよね。今年ものこり3日衣類や書籍など不要品整理、つい懐かしんで時間がかかる、そして・・これも処分できないよなー、もう43年も前になるカセットテープ高1のとき、まだステレオなんて高価なものは無く、安物のレコードプレイヤーを鳴らしてカセットデッキにあるマイクで録音、テープカウンターがついていてじっと音立てずにカウンターを眺めて記録してたのを思い出す、テープも意外にもつものです・・ちゃんと聞けます、当時好きだった拓郎、なんかジーンときます。
年末の掃除
年末掃除で不用品の整理、都会ではそんなに保管するところが無いからバンバン捨てていました、毎年文庫本とかはBooKOFF行きでした、でもどうしても捨てられないものがあると置く場所が無いから実家にこそっともってきてました、その実家はものであふれてます、実家では使える、使えないで捨てるか決める、まー置けるとこがあるからですが・・都会ではどうしても使える定義だとやたら物が増えてしまいます、そんな中、昔持ち帰っていたレコード盤も片付けようかと見直してみると、出てきた拓郎さん、もっとあったはずですが???昔寮に住んでいた頃は先輩後輩とかと貸し借りが多く、いつの間にやら無くなっているのです、実家に持ち帰った古いもの、これもどうしようか??処分しようかと思ったもののまたもとに戻しました。・・あはは!結局思い入れの強いものは処分できないナー、趣味のものは他人から見ればごみでしかないのですが、しかしアルバムからポロリとでてきた広告、フォーライフレコードのTシャツ、トレーナー、バックの購入申込書チラシ、こんなの売ってたんだね、なんとも昭和の香りです。。これも捨てられなかった。
宣伝うちわ(石野真子)
昔はよく暑中見舞いとかで宣伝広告用うちわをもらうというのがありました、いまではあまり見かけなくなった。 ”富士ヨット学生服”で製作した衣料品店のうちわ、痛んでいるが捨てられません、八重歯の可愛いい真子ちゃん、デビュー曲の『狼なんて怖くない』は吉田拓郎さん次の曲も拓郎さんでした、わたしたちの世代では真子ちゃんファンはたくさんいたと思いますが、二十歳にして長渕さんとの結婚は驚きました、しかも仲人は吉田拓郎夫妻このとき妻は浅田美代子さん・・・どっちもアイドルをくうてしまって ・・許せないナー・・しかもどっちも合うのかなのかなーとか当時仲間内でもそうおもっていたがほどなく離婚してます、アイドル見た目とはちがうぞーなんてラジオで話していたと思います・・70年代フォーク歌手はもてていたんでしょう。こちとらもてない野郎たちが集まってひがんでいただけですが・・昔寮生活していた頃、いつも週末になるとどこかの部屋に集まり夜明けまで話していた、そんな時代もあった青春時代がなつかしい。