4日間ひたすら家の清掃、片付けに追われてました、30日から荷物運びを開始して2月1日から新居生活開始しました。まだネット開通、TVもなしで、ご近所さんから、なしてこの時期に?と驚きの表情、これも色んなめぐりあわせというもんですから、こうなったということですかね・・この民家は先代から都会育ちのかたが購入し、わずか4年目で売り出して・・そのあとまた都会の人が5年住んで2015年の11月から空き家で売りにだしたんだそうです、私が移住3代目になるようです、今までの人もシニアだそうです、そしてわたしも同じような田舎憧れ族ということで、何年持つかという話があったそうです、まァわたしも故郷とはいえ18歳から今まで雪の葛藤は経験無しですから、ちょうど寒波きて吹雪いて雪と葛藤しました、買物でたら周りは田んぼでふきっさらし、全くまっしろで見えない・・怖い・・・そして買物から帰宅すると20~30cmほど積もってました、やっぱりね・・吹雪いた日は出ないに限るわ、それにしても序口まで遠い、これでいやになったのか?それなら入り口に車庫でも作っていてほしかったが、理由はこれではないか?と”ぶつぶつ”しながら除雪に精出す・・まァわたしは来シーズンまでは入り口に車庫作るな・・
部屋に糸トンボ
飯豊中津川を出たのが昨年7月末、実家2階に居候し空き家探しして半年、ようやく終の棲家が決まったので、もうすぐこの部屋ともお別れです、都会では毎朝6時起床、夜は12時過ぎの就寝でしたが、今は夕食してかるーくお酒飲むと眠くなり9時、10時には寝てしまいます、するとだいたい6時間で完全に目が覚め4時には起き出して趣味時間に入ります、そんなんで毎朝明るくなる時間が分かります、日が昇るとカーテン開けますが、だいぶ夜明けが早くなってきました、今朝カーテン開けたら何かいると思ったら、イトトンボでした、糸のように細く小さいゆえデリケートなトンボ、植生豊かな湿地にしか生息できない種、限定した地域や水域でしか生息できない種とさまざま、日本は北海道から南の島まで、いろいろな種が生息してます。生息環境がデリケートなはずですがこの部屋のどこにいたのでしょう、良くいきてられるもんです、外に出すのもなんだしと思っているうちに部屋のどこにいったかわかりません・・
引越し開始
念願でありました里山暮らし、古民家売買契約を完了しました。こんどは所有権ですから自由に出来ます。。定年なったら里山でと10年前から思い描いていましたが、実際は里山の山は遠くにあり、『里山暮らし』ではなく『里暮らし』ですかね、、、昨年、飯豊町の空き家バンク紹介で住んだところは大きな池あり、山も借りれるところでしたが、所有権で自由に出来ないことになり出ることにしました、そして空き家探しを再会して半年、ついに古民家を見つけました、先住のかたは都会から来た田舎好きのかたで、同じようにセミリタイヤとなり都会にいる子供や奥さんとは別に一人で住んでいたようです。多品種の野菜作りと、庭の土を入れ替えて果樹を植え、山菜もあちこちに植えているそうです、今度の春が楽しみ、しっかり引き継いで行きたいと思います、野菜もなるべく自給できるようにがんバロー、昨日友人とおおかたの荷物運びしました、そして今日、あちこち引き出しとか押入れとか細かく見ましたが、障子も痛んでおり、畳がカビているところがありはがしてみたら下の板が相当湿って虫も湧いていました、これは当分掃除が続きます。 曲がり屋の部分は車庫になってますがその上は萱が見えていい感じです、ここをアトリエにしたいかな・。
今泉から飯豊山
昨日朝あまりにいい天気なので今泉の陸橋からみた米坂線写真撮りに行く、朝7時45分実家川西は快晴、ところが川西町と長井市の境になる今泉に近づくとなんと霧で真っ白、8時7分米坂線上り狙いでしたが仕方なく次の8時47分狙いに変更、寒いから散歩してみることにして今泉陸橋から飯豊町側に歩いていく、国道113号線もちろん誰も歩く人はいない、30分もすると体もあったまり、霧も晴れて快晴『飯豊山』がくっきり見え始めました、国道からそれて田んぼに入り写真とりしました。飯豊山は山形、新潟、福島の3県にまたがる山で”昔”といっても昭和の30年代まではあったそうですが少年の成人儀式=15歳までに登頂しなかったものは一人前として認めてもらえなかったことから盛んに登っていたそうです、行屋というその行をする小屋もあちこちにあったということですが今では、取り壊されて残っているのはほとんどありません、今そんなことしたら、冗談じゃないと子供に怒られますかね。昔は全て歩きで行くのですからたいそうしんどかったはずです・・